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好きなことは、がんばらない

好きこそものの上手なれ、という言葉がある。これは、まったくもってその通りだと思う。

たとえば、わたしに文章を読み取る力がついたのは、本が好きで読みまくっていた幼少期から小学生時代の土台があったからだろう。

文章をそれなりに書けるのは、呆れるほど書いてきているからだ。呆れるほど、というのは、小学一年生の頃、月一冊自由帳を潰し、毎日書かなくていい“あのね帳”を毎日書いてはトータル冊数学年一位になった、というような程度。

その後も物語や作文や読書感想文、小論文に創作、日記や手紙。とにかく何かしらものを書いている。ああ、家族向けの新聞を作っていたこともあるよ。

才能こそないけれど、創作は幼児時代から空想して遊び続けてきた癖が染みついているからこそ、とりあえず今のレベルにまで達したのだろうし、人が好きだから、吐くほどの人間関係トラブルを経験しても心を開いて関わることをやめなかった。その結果、対人スキルはおそらく上がった……と思いたい。

好きなことは、がんばらないのがいい。

がんばってなんかいないのに勝手にやり続けるから、自分の中に経験値をどんどん貯めていけるのだと思う。だって、気負いやストレスなど、余計なパワーが皆無だから。

“続けられることも才能だ”という言葉があるけれど、好きならそもそも“続けられる”ということがあり得ないんじゃないかな。むしろ、やり続けないという選択肢がないのだもの。

人の話や相談に乗ることも昔から好きだった。子供時代から老若男女問わず、親戚他人問わず、そういえば話を聞き続けてきたんだよね。

楽しそうに話してくれる人の表情や知らないことを教わること、誰かに聞いてほしくてたまらないといった風情の人が喜んでくれること、どれもこれも大好きだ。

そりゃ、取材やインタビューが楽しいはずだよ。

でも、わたしは何にもがんばっていないんだ。「好きだから」「楽しいから」、それだけ。もちろん「うぐわあああ」と唸ることもあるけれど、それはストレスとは別のもの。創作途中に「主人公の気持ちがわかんなくなった」と迷宮入りすることと同じ感覚なのだ。

だから、きっとまだまだわたしは今握りしめている石を磨ける。芽吹いたばかりの芽を伸ばせる。

それは、まるで子どもの感覚。
今、息子たちが気に入った歌を耳コピしたり、仮面ライダーの名前を覚えたり、絵本の文章を丸暗記したりすることと同じだ。そうして、この感覚を携えていられる限り、いつまでも成長していけるのではないかな。子どもの感覚は貪欲だから。

そんなことを思いながら、わたしはまたフリック入力でnoteを書き上げる。(所要時間20分かかっていないくらい)

「書きたい」「誰かとコミュニケーションをスムーズにとりたい」「頭に浮かんだスピードと同じスピードで文章を打ちたい」それだけの思いで、わたしはタイピングもフリック入力も身につけたのだから。

なお、頭の中での言語化が得意なのは、常に考えることが好きなのと、マシンガントーカーだからだと思うよ。リアルに会ったことがある方はご存知だろうけれど、わたしは相当早口だから。(これも、頭に浮かんだら即言葉にしたい気持ちの表れだと思う)

#エッセイ #コラム #考えていること #思っていること #思考 #物書き

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