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情報ではないもの

情報化社会と呼ばれるように、今は濁流のような情報が毎日ひっきりなしに溢れている時代だなあと思う。

好きではない言葉のひとつに“情弱”があるのだけれど、そうした言葉が生まれるくらい、今は多くの情報があり、知る人と知らない人の差が激しいのだろうなということがわかる。

「人生は、知るか知らないかだけだ」……というコピーがあったのは、デスノートだったっけ。まあ、そういう側面があるのは否定できないひとつの事実だ。


でも、わたしは情報よりも、感情がほしい。情報よりも、感情をあげたい。

noteやブログを読んでくれている人ならわかるだろうけれど、わたしが書くものには「ためになる情報」は出てこない。noteはまだそういう場所かもしれないけれど、ブログにもお役立ち的な記事は、きっとほとんどない。

これは、わたしが書きたいものが単なる情報ではないからなのだろうな。

たとえば、何かを感じるひとつのきっかけだとか。
たとえば、何かを考える取っ掛かりだとか。

そうしたものが、わたしは読むのも書くのも好きだ。


考えていることを言語化することも好きだし、それによって誰かから目から鱗を吹き飛ばされるのも好きだ。


情報も、もちろん必要。だけど、情報だけだと、わたしは薄くなってしまうし、乾いてしまう。自分の土台をきちんと保つためにも、感じ考えつづけられる状態に身を置いておきたいし、そのためになるものを書いたり読んだりしていたいと思う。

だから、創作本(マンガ、小説)や映画も好きなのだろうな。

「役に立たないから」とビジネス本しか読まない人もいるけれど、わたしにとっては、こうした「即効性のないもの」こそが、求めているものなのだと思う。


web記事にも、情報+感情が大切にされているものが増え始めていて(エモいブーム?)、それは素直にうれしいなあと思っている。

感じ考えられる記事、読みたいです。(そして書きたいです)



#エッセイ #コラム #ブログ #日記 #編集note #わたしのこと

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