“抱え込み”で感じられる存在意義は本物か?

はじめてのバイト先だった文具店に、仕事を抱え込むのが好きな人がいた。

彼女がひとりで回していた仕事のひとつが、鉛筆の名入れだ。新入学生に贈るための鉛筆に子どもの名前を焼き入れる。バイト先は地域に根ざした文具店だったこともあり、年度末から新年度にかけて大量の名入れを受けていた。無料だったことも理由のひとつだろう。

名入れにはちょっぴりコツがいる。失敗したものはお客さんに差し上げられないし、売り物にも戻せない。そうした事情を理由に掲げ、彼女は一手に名入れ作業を引き受けていた。

ただ、店の仕事は名入れだけではないし、特にほぼ社員レベルの業務を担っていた彼女は、名入れをひとりで抱え込んでいる場合ではなかった。そうした事情を汲み、社員がわたしたちバイトに名入れの研修を受けさせ、仕事を分担できるように計らった。

結果どうなったかというと、ほぼ何も変わらなかった。わたしはコツをつかむのが早かったこともあり、戦力になれるレベルにまで達することができたのだけれど、彼女は「あたしがやるからいいよ」と話し、バイトたちに仕事を回すことはなかった。彼女が休みの日に何度かピンチヒッターとして作業したことがあるけれど、それくらいだ。彼女は「あたしがやらないと」から離れなかった。


取材で訪れたとある保育園で、園長先生が「自分がいないとダメだなんて、嫌でしょ、そんなの」と話してくれたことがある。その人は「園長がいないと園の運営が回らない」状態をよしとせず、どんどん周囲に仕事を振っているらしい。そう快活に話す彼女は身軽そうに見えた。

結果、職員みんなが自分で考えて行動できるようになったらしい。どの立場の人間が休んでも全員が自主的に動けるため、仕事に支障が出ないのだと言っていた。


「わたしがいないとダメなんだから」は、甘美な響きだ。存在意義を感じられ、自らの価値がまるで高いもののようにも思える。しかし、実際のところは不健全だし、「いないとダメ」な状態にしてしまっていることは、一種の虐待だとも思う。相手の成長機会を奪ってしまっているのだから。

「わたしがいないと」「俺がいないと」は仕事を辞める辞めないのときにもよく聞くけれど、それでダメになる組織はそもそも組織として不完全だろうし、「自分がいないと」という意識で守られる存在意義は、果たして本物なのだろうか、とも思う。それは、甘やかな幻想ではないのだろうか。(時として、「あなたがいないと」を用いて操作する人もいる。これは多くのケースで、ただの“都合のいい人”にされているに過ぎない)


これは何も仕事だけの話ではない。家庭でも同じことだ。「妻が(夫が)いないとダメ」な状態は不健全で、脆い。誰が倒れても何とか家庭を回せることが大切で、その状態に持っていけるよう目指すことこそが家族全員のためになる。抱え込むことはただのエゴで、最終的には家族のためにならないことなのだ。

相手にとっての唯一無二になりたいのが理由であったとしても、相手の成長機会を奪い抱え込むことで願望を満たすのは危険だ。わたしは子飼いの鳥になりたくないし、したくもないと思っている。


「あなたがいなくなっても大丈夫」は、別にあなたの存在価値を脅かす言葉ではない。「あなたがダメなときはわたしが、わたしがダメなときには誰かが」を成り立たせることは、互いの自立と成長のためにとても大切なことだと思う。

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卯岡若菜

宛先のない手紙 vol.2

ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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