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「意味」を伝えたいのか、「感情」を伝えたいのか

何かを伝えたいとき、その「何か」は一体何なのだろう。


わたしは、楽しいとき、うれしいときは、その「楽しさ」「うれしさ」をそのまま伝えたい。

逆に、憤りを感じたこと、いまいち納得がいかないなあと感じることは、「わたしはこう考えている」であるとか、「なぜその感情を抱いたか」といったことを伝えたいのだと思う。「こんなに怒っているんです!」「こんなに悲しいんです!」ではなく。


わたしたちはロボットではないから、感情の揺れ動きに思考や行動が影響を受けるのは自然なことだ。怒りを覚えたらイライラが巣食うし、悲しいことがあれば心の底から笑えなくなることもあるだろう。それ自体は、「未熟だ」と責められることではないと思う。だって、人間だもの。

けれども、そうした気持ちを誰かに伝えるときには、その相手に何を伝えたいのかを理解しておきたい。外に出すときには、意図せぬ伝わり方をするリスクを減らしたい。

丸裸の感情をそのまま相手に伝えたいのであれば、特に注意はいらない。注意したいのは、その感情の裏側にある、理由や原因・要望など、「意味」を伝えたいときだ。

「意味」を伝えたいときには、感情は少し抑える必要があるだろう。感情表現は強いから、意味がかき消されてしまい、意図しない伝わり方をしてしまうことがままあるからだ。そして、そうしたズレが生じるのは、多くのケースで負の感情のときだろう。

本当は「意味」を伝えたかったのに、感情が先走って伝わってしまった結果、状況が悪化してしまう。そんな事態を、何度か目にしたことがある。


伝え方を考えても意図通りに伝わらないことはあるのだから、脊髄反射的な伝え方では、意図通り伝わらなくても仕方がないのではないかと思う。

別に、自分の意図通り伝わらなくてもいいのであれば構わないのだけれど、感情優位でぶちまけた伝え方をしておきながら、「誰もわかってくれない!」と怒るのは、わたしは「それ、わかってもらえるような伝え方はしたの?」と思ってしまう。

正しく伝わるように言葉を尽くすことは、建前でやり過ごすこととはイコールしない。意味を伝えたいのであれば、生の感情が邪魔になることはあるのだ。


繰り返しになるけれど、伝えたいのが「怒り」「悲しみ」自体であるときは、感情を抑制しない方がいい。(わたしはこちらの方が苦手だ)変にまろやかにしてしまうと、これもまたきちんと相手に伝わらず、悶々とすることになるから。

完全にどちらかであることは少ないかもしれない。だけど、どちら寄りであるのかを考えておくことで、「違う……!」となる率を減らせるのではないかと思う。結果として、伝え方を工夫することは自分のためになるのだ。

「伝えたい」「発信したい」と思うとき、その「伝えたいもの」は感情ですか?それとも、その裏側にある意味ですか?


#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと #コミュニケーション #考えていること

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