見出し画像

その重さがあるから深海に潜れる

ある物事のとらえ方は、ひとによって異なる。


……ということは、至極当たり前のことすぎて、あらためていうようなことでもないのだけれど、最近しみじみと、そう思う。

誰かにとっては些細なことだとしても、それは万人には当てはまらない。こころの奥底で、がっちり受け止めて、何ならそのひとの人生に影響を及ぶような、そんなとらえ方をするひとだって、いるんだ。

たとえば、ネタをネタとしてわかってもらえないと嘆かれることがあるけれど、それはそのひとのとらえ方の軽重が重めだっただけだ。

たまに、ネタがわからないことを馬鹿にしてみたり、困ったことのようにいうひともいるけれど、それも含めて個性なのだから、どちらがいい・悪いという話ではない、と思う。(ただし、本人がいちいち傷ついてしまうのなら、気にしないように受け止める、という意識はした方が本人が楽になるとは思う)


重くとらえることを、「真面目すぎる」だとか「頭がかたい」だとかいうひともいるけれど、わたしは真剣にとらえられることは素敵だなあと思う。

大多数がさらりと流してしまうような物事を、そのひとは、こころでしっかりキャッチしているといえるから。ほかのひとが見過ごすことを、見つけられるのではないかなあ、と思うから。別に、軽くとらえるひとよりも優れているというわけではなくてね。


わたしが書いたものを、書いたわたしよりも深く受け止めてもらえたことがある。

感想をもらったとき、気が引き締まる思いがした。こんなに深いところで受け止めてくれるひとがいるのだ、ということに。そうして、とてもうれしかった。読み流すのではなく、自分のことのように真剣に読み込んでくれるひとがいたということが。


書き手としては、怖いことでもあるけれど。本人が軽いネタのつもりで放った言葉が、凶器になることだってある、というわけなのだから。

(とはいえ、意図的に攻撃しようとしたわけではない文章であるならば、そこまで責任を負わなくてもいいと思うのだけれど。ただし、無知ゆえにということもあるので、やっぱり発信する側には相応の責任がある、と自覚しておきたいとは思う)


わたし自身、「馬鹿」がつくほど真面目……というか単純なので、発信されたものを真正面から受け止めることが多い。「あれ、ネタだったのか」と拍子抜けすることだって、ときにはある。

でも、それは決して卑下するべき欠点ではないし、むしろどんどん深いところまで感じて考えて、自分の肥やしにしてしまいたいなあ、と思っている。

そうした思考のくせは、わたしがものを書くうえでも、どこかで役に立つものなのだしね。



#エッセイ #コラム #ブログ #日記 #考えていること #わたしのこと #編集note

お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。