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描いた「将来の夢」はただの手段

長男の「将来の夢」は、コロコロ変わる。警察官になりたいと言っていたかと思えば、バスの運転手になりたいと言ってみたりなんかして、昨日も「うーん、オレ何になろっかなあ」と大げさに首を傾げながら思案していた。

わたしも、幼い頃はコロコロ夢が変わっていたなあと思い出す。そのすべてを憶えているのだけれど、これはふつうのことなのだろうか……という問いはさておき。


「何に」なるのか考えるのが、幼い頃の将来の夢だった。でも、実は「何を」したいのかを考えることが大切なのだよなあと思う。

幼い頃は「○○になりたい」でいいだろう。けれども、本来「○○」は目的ではなく手段だ。大切なのは、「○○になれたその先」であり、これが考えられていないと、いざ「○○」になれたときに、そこで行き詰まってしまうんじゃないかと思っている。


この考えと似た意見を、ここ数日の仕事でいくつも見聞きした。どの人も「○○」を目的にはせず、「したいこと」を主軸においていた。「○○」はその結果に過ぎない。なんなら、現時点で世間にはない「○○」を作り上げた人だっているわけで。


「○○」には職業名のほか、たとえば「有名人」であったり「お金持ち」だったりが入る。別に有名人やお金持ちを目指してもいいのだけれど、「で、それで何をしたいの?」を忘れないでいたいなあ。

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