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おもいでぽろぽろ⑨1年前の決断[母が認知症になりました。]

1年前のこと。

私が東京に戻ってから数日後、弟は母をデイサービスに通えるようにしてくれた。
週に5日ほど。お風呂にも入れてくれる。多分、童謡も歌うようなレクリエーションもあるだろう。私はとにかく母の爪を切ってあげてほしいと思っている。

東京に戻る時に、あえて母に別れの挨拶をしなかった。
別れがつらくなるのもあるが、母は多分すぐに忘れてしまうからだ。

母の面倒を弟夫婦にお願いして、私は母の介護のために田舎に戻らないという決断をした。

例えば、東京の住まいを引き払い、フリーランス(自営業)の仕事をたたんで、田舎に引っ込んで母の介護をしたとする。

母を看取った後は、私には何も残ってはいない。東京に戻っても、そのまま田舎にいても、だ。

現在、還暦を超えている独身女性。40年以上続けた編集者の仕事もコロナのせい、不景気のせいで激減しているのが現状。2023年7月から、早朝に都市型小型スーパーのバイトも始めた。ダブルワーク、トリプルワークだ。

仕事もお金もなくなった60歳すぎの私。想像に難くない。
私は、自分の面倒をギリギリまで看てやらないといけないのである。

母を看取った後の弟に、今度は姉(私)の老後生活の面倒をみてもらうわけにはいかないのだ。健康面でも経済面でも一人で踏ん張るためには、今の生活の基盤を失わないことが最優先だ。

もちろん、緊急で母に何かあれば、飛んで帰るつもりなのだが……。
弟夫婦には「申し訳ない」と「感謝」の言葉しか出てこない日々。

母さん、ごめん。ごめんね。


そう決断してから…早いものでもう1年が経つ。
認知症になった母に会いに行き、3日ほど一緒に過ごしたのが2023年元日。
1年経ち、母はどうなったのだろう。そんな心配が日に日に募ってくる。

そういえば2023年春に弟からLINEで母が手術を受けるという報せが入った。
「4/10に手術することになった。直腸脱」
要は脱腸である。

ああ、私も80歳を超えたら脱腸の手術を受けるのか…。

母親からの遺伝は無視できない。特に腸内環境は、父親からではなく、100%母親からそっくりそのまま遺伝するらしい。男の子も女の子も母親の腸内環境を受け継ぐのだ(ギャル曽根さんのお母さんやお姉さん、弟さんをテレビで見ていると、その食いっぷりからそれを立証しているような気がする)。

脱腸の手術が成功したのかは報告がないから分からないが、何も言ってこないから失敗ではないのだろう。まさに、「便りが無いのが元気な証拠」である。

弟はマメではないので、母の様子は聞かないと教えてくれない。LINEで思い切って(忙しいから返事がぶっきらぼうで怖い)母の様子を聞くと「特に問題なし」「変わらず元気だ」とひと言の返事で終了。返事がないよりマシだが。

2024年は、都市型スーパーの早朝シフト(朝6時半頃から9時まで)と、1月から新しく始まるプロジェクトで遠出はできないスケジュールになりそうだ。

やはり思い切って1月上旬のうちに日帰りで母に会いに行ってこようか。北陸新幹線があるから富山県魚津市への日帰りも可能になったし。本当は高速バスの往復の方が安上がりだが、深夜バスは体力的に無理になってきたし、希望の時間に発着する便もない。しかし、新幹線チケットは高い。そうなると、節約のためにも宿泊費は考えない日帰りが一番かもしれない。

よし!思い切って、2024年早々、上野←→富山の新幹線往復(日帰り)だ!
急遽、12月中に1日だけお休みをいただいて(店長ありがとうございます)、みどりの窓口で往復チケットも購入。弟にLINEで「1月9日に日帰りで行きます」とメッセージを入れた。

そして、2024年元日。
1月1日16時すぎのこと。

令和6年能登半島地震が発生したのだ。

結論から先に言うと無事だったのであるが、心配で心配でやきもきしたのである。
(次回に続く)

母が認知症になりました。離れて暮らしているので、介護を任せている後ろめたさが常にあります。心配、驚き、寂しさ、悲しさ、後悔、後ろめたさ。決断と感謝と孤独。感情的にならずに淡々と書きますが、時々泣きます(笑)。一人暮らし還暦クリエイターによる☞脱力記録です。不定期で綴っていきます。

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