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「わらべうた」(童謡「かごめかごめ」「ずいずいずっころばし」の二次創作)

第5回book shorts(2018年度)1月期に掲載。

↓以下本編↓

 気付いたら、部屋の隅に一輪の花が活けてあった。
(お母さんだろうな)
 ぼんやりと考える。お母さん。お母さん。お母さん。

 何を言いたいんだろう。
「あなたも、この小さな花のように精一杯生きなさい」かな。
 お母さんの言うことはいつもずれている。優しく理解のある母親と見せかけて過保護で過干渉なお母さん。自分では何も決められない私。自分からは行動できない私。

 階段を上って来る気配がして、何かをドアの前に置くとまた降りて行った。ドアを開けるとお盆の上におにぎりとお味噌汁が置いてあった。ずるずると部屋に引き込んで食べる。

 カーテンを閉じた部屋とトイレとお風呂、それだけが私の世界。短大まで実家という鳥籠の中で大事に育てられた私は、就職でいきなり外の世界に放り出されて、会社でパワハラとセクハラを受けて引きこもりになった。お母さんは宥め賺して私をまた外の世界に押し出そうとした。お父さんは怒鳴り散らしてお母さんを責めた。お前が甘やかすからこうなったんだ。だけどお父さん、貴方が仕事と浮気で忙しくてお母さんを構わないから、お母さんの愛情は一身に私に向かったの。二階にある私の部屋にお父さんが来たのは一度きり。ドアを叩いて怒鳴って、それっきり。

 花はすぐに枯れてしまった。壺の中の水は腐った後に干からびた。

 お母さんは、本当に私を外に出したいのかしら?
 ずっと二階の鳥籠で飼いたいんじゃないかしら。
 どうして毎日食事を届けるの。私が真夜中にコンビニに行けるように、どうしてお小遣いをドアの外に置くの。かぁ、ご、め、か、ご、め。かーごのなーかのとぉりぃは。さんじゅうごさいのかごのとり。きっと学生時代私より成績も素行も悪かったような子が、素敵な彼氏を捕まえてOL生活を満喫して幸せな一般家庭を築いて今頃子どもの一人や二人とくだらないママ友と浮気相手が居るんだわ。
 かごめは籠女。こないだコンビニでドアの向こうのおばさんに順番を譲ろうとしたら、ガラスに映った自分だった。

 何日目かしら。今日も胡麻のおにぎりとお味噌汁。
 夜明けの晩は、いつ来るの。

 出たいとは思っているの。お天気がいい日に精一杯おしゃれをして何気ないふりで外へ出れば、元の世界に戻れるんじゃないかしら。でも服が入らないから仕方ないわ。通販しようにもスマートフォンを先月取り上げられてしまった。こんなものより直接外界と繋がりなさいって。でも私、その小窓で繋がってたつもりよ。外の世界へ。いーつ、いーつ、出ぇやぁるぅ。

 あら、あの壺あんなに大きかったかしら。

 胡麻のおにぎりとお味噌汁が続いて一週間。届けに来たお母さんが、珍しくドアの外から話しかけた。
「お母さんと賭けをしない」
 子どもの頃のような優しい声。返事を待って立ち去らないので仕方なく、なぁにと応えた。
「お母さんがね、今歌いたい歌を当てて」
 何を急に言い出すのかしら。
「・・何を賭けるの」
 答えは予想がつく。賭けに負けたら部屋から出て来なさいって言うんだわきっと。
「それは当ててのお楽しみよ・・・ねぇ。当ててみて」
 ドアの外から体温が伝わって来る。答えるまでずっと居るつもりだわ。お母さんには粘着質な所があるから。あぁ、でも。小さい頃よくこんな当てっこをしたわ。小さくて素直な頃。歌・・・もしかして。私と同じ歌かしら。
「かごめかごめ」
 お母さんはふぅ、と息を吐いて
「はずれ」
と言った。

 ぐわん。
 ぐわん。
 ぐわんぐわんぐわんぐわん。
「何、何これぇぇっ!」
 部屋の隅にあった壺が回転しながらずんずん巨大になっていってぐわんと倒れると大きな口を私に向けた。
「いやあぁぁぁ!」
 私は体当たりしながらドアを開けた。階段を駆け下りる私の頭上から壺が追ってくる。

 嫌嫌嫌嫌怖い怖い怖い怖い。
 訳の分からない恐怖と壺に追われて私は走る。何年振り、何十年振りかに走らされて足が付いて来ない。もつれる。転ぶ。夜の街を私は必死に走る。だって追って来るんだもの。真っ暗な口を私に向けてごろごろごろごろ縦に転がりながら執拗に追って来るんだもの。はずれって何。お母さん何したの。口に呑まれなくても壺の胴体で圧し潰されちゃう、あんな大きな壺。誰か助けて。何で誰も居ないの。喉が痛い。ひぃひぃと息が痛くて喉が裂けそう。私は訳も分からず走る。
「ひひっ」
 久しぶりのお出かけだわ。遠い所から歌が聞こえる。誰かが何かを歌ってる。私は住宅街の角を何度も曲がった。あの角を曲がると交番が、無い。道を間違えた。他に何処か助けてくれそうな所は。逃げられそうな所は。
「ひひっ」
 十何年も現実から逃げていた私が、これ以上何処へ逃げるって言うの。悲鳴じゃなくて何で笑うの。だって。私は一瞬だけ振り向いた。壺は茶色だった。その茶じゃないでしょう。歌っているのはお母さん。とっても楽しそう。一週間続いた胡麻のおにぎりとお味噌汁。
 ずいずいずっころばし、ごまみそずい。茶壷に追われて・・
「あははははははは」
 私は泣きながら笑ってる。笑うしかないじゃない。もう何処を走っているかも分からない。知らない空き地に出た。造成もされていない草茫々の空き地へ裸足のまま飛び込む。雑草が足を切り小石が足の裏に刺さる。もう走れない。喉が痛い。胸が痛い。へたり込んだ私に小動物が何匹も飛び掛かった。鼠だ。痛い、やめて。私の全身に齧り付かないで。悲鳴を上げた口の中に鼠が飛び込んで舌を食い千切ろうとする。瞼に食いつかれて払いのけた私の目に、暗黒の壺の中が見えた。
 全身に細かく咀嚼される痛みを纏いながら深い深い所へ落ちてゆく。落下する感覚。お母さんの優しい声が歌ってる。子どもの頃のような、やさしい、声・・・
 遠くて、何かが割れる音がした・・・

「何処へ行ってたんだ」
 それは相手の身を案じる声ではなく責める声。玄関で靴を脱ぐ妻の背に、初老の男の不機嫌な声が浴びせられる。
「あなた帰ってたんですか」
「ああ。何でもいいから何か食わせろ」
「今支度します」
 台所の時計は十時を指している。中途半端な時間だわと妻は推理する。仕事が終わってから浮気相手を誘ったのね。でも相手にいいようにあしらわれて、大事な御用が出来ずに帰って来たのかしら。いい加減部下に手を出すのは止めたらいいのに。
 何処へ行ってたかですって。あの子が落ちた井戸の周りでお茶碗欠いてたんですよ。現世へ戻って来ないように。貴方はあの子が居ない事に、いつ気付くのかしら。
 何処で子育てを間違えたのかしらねぇ。何度も何度も呼びかけたのに、あの子は二階から降りて来なかった。おっ父さんが呼んでもおっ母さんが呼んでも行きっこなしよ。
 儀式は案外簡単だった。どうして自分があんな事を知っているのか不思議だけど、小さい頃に誰かに聞いたのかしら。
「おい、こんな物しか無いのか」
 何でもいいからと言ったくせに。
「ごめんなさい。お帰りが遅いと思っていたものですから」
 夫は文句を言いながらも胡麻のおにぎりとお味噌汁を平らげて、台所を出て行った。どうせ食べるなら文句を言わなくてもいいのに。この人に一週間続けて食べさせるのは難しそうね。
 まぁいいわ。歌ならたくさん知っているもの。
 妻は長年の心配事が片付いてほっとしたのか、食器を洗いながら自然と歌を口ずさむ。
 とっぴんしゃん、と優しい声で。


                     (了)

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