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日常の閉塞感たるや否や


日常は繰り返し。
1日たりとも全く同じことがないとは言えど
僕からしたら同じようなことの繰り返し。

それがどんどん閉塞感を強くしていく。
習慣というのは怖いものだと理解した。

その中で、色んな課題を抱えて、
取り組みながらも、抱えきれない時は
その課題を宙に浮かせて
今までやってきた。

いくら休みの日でも、
好きなことをやっている時も
その課題が気になってしまい
非日常に向かおうとする自分の背中に
日常というおもりが重くなり過ぎて
ついに動けなくなった。

自分軸の課題のおもりなら耐えられるが
他人の10人以上の課題は僕には重過ぎた。

僕はこの間接的な閉塞感が
とてもじゃないが耐えきれなかった。

今までおもりを抱えていても
水面から出られていたのが、
息継ぎ程度にしか出来なくなり、
水中からゴーグルで水面を見るような感覚に
変わっていった。

閉塞感は、外の景色をも歪めて、反射させ、
見えにくくする。

こうして文章も書けなくなっていき、
一時期は写真も撮れなかった。

ようやくその状況から
仕事を辞めて、夢を追うという判断をしてから
一気に外に出ることができた。

今だからわかるがこの閉塞感は
外に出られる人からしたら
大した話でもなんでもない。

むしろなんで出て来れないの?
って感じだがあの時は本当にしんどかった。

今だから言えることは、
閉塞感は自分で作ってしまっているのに
あたかも周りの人間が作っているように
感じてしまう。

他人の課題を自分の課題に。
すなわち、自責にした瞬間にこれは起こる。
言うなれば割り切れなければそうなってしまう。

自分で言うのも烏滸がましいが、
いい人がこの閉塞感というのを
感じやすいと言うか作りやすい。
って勝手に思っている。

文章が乱雑になったことは許して欲しい。
いま思っていることを
未来の自分に残すと言う意味で
この文章の存在価値とさせて頂きたい。

こんな自分の経験と教訓が
誰かの閉塞感を理解する手助けになるのであれば
これほど嬉しいことはない。

って自分に言い訳をしとかないと
noteとして成り立たないと
思い込んでいるのも自分が作り出した閉塞感
なのかもしれないな。

ってことでほなまた!

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