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一重だっていいじゃないか

一重瞼というのは、圧倒的に東洋人に多い目の形らしい。

西洋人(白人)には、ほとんどいないくらい、少ないんだとか。

西洋人の顔の形は、彫りが深く、瞼の皮膚が薄いためとか、一重瞼は、劣性遺伝だからとか、少し調べてみると、グーグル先生が教えてくれた。

私は一重瞼だけども、二重にしたいと思ったことはない。

中学の頃アイプチというのが流行り(今もあるのかな……)、瞼にのりをつけて、二重にするという、とても原始的な技なんだけども。のりはちゃんとドラッグストアに売っているもので、その辺の紙に塗るタイプののりではない(ご安心あれ)。私は、そのアイプチをしている周りを見て、「みんな頑張るなあ」と思っていた。

美容整形を否定するつもりはないし、アイプチ反対派でもない。やりたい人はやれば良いと思う。

ただ、一重ってそんなに悪いことなのかなと思うのだ。時に切れ長でシュッとして、時にはくりっとして、時にはとろんとして、クールビューティで、優しそうで、微笑ましい。

一重だって、千差万別で、ひとりとして同じではない。素敵な目だ。

ただ二重のように、「ぱっちり」はしてないだけ。

ぱっちりを目指せば、アイプチや整形をしたくなるのかもしれないが、一重がそんなに悪いようには思えない。一重なら一重の美しさがあるし、二重とは違う愛嬌がある。

ある芸能人について、一重というだけでブスという判断を下す人もいると知って、結構衝撃だった記憶がある。

その芸能人が二重で登場したとき、「整形だ!」と嬉々として指摘するコメントで、コメント欄がいっぱいになった。そして時間が経った今、その芸能人の目についてコメントする人は激減した。ほとんどいない。滅多にいない。一重だったことを知らない人の方が多いかもしれない。今では、外見については、「美人」とか「劣化しない可愛さ」とかそういう薄っぺらな賛辞のコメントが並ぶ。

二重の威力ってすごい、と思った。そして、一重ってそんなに悪いことなのか、と考えずにいられなかった。

一重だった頃のその芸能人が、美しくないとか、可愛くないとか、そんなことはなかった。ただ二重でなかっただけ。

それが二重になるか、一重のままかで、こんなに変わるんだ……。びっくりぽんである。

二重の需要が高いことはよく分かったし、世間的な評価みたいなのが高いこともよく分かったけども、一重をコンプレックスに感じてこなかった私は、じゃあダメかと言うと、多分そんなことはない。

私の目は小さい方だ。一重だし。眼科に行けば、限界まで見開いているにも関わらず、「しっかり目を開いて!」と言われる始末。ぐいっと手で目を開かされると、とても痛い。

一重だっていいじゃないかと私は思う。二重でなくても、痛くも痒くもない。

そもそも、ブスだの、醜いだのというのは、他人の評価からくるもので、時代や時期に応じてうつろいやすい。今の時代には、ストレートのサラサラヘアが流行っているが、いつか全世代にパンチパーマが流行る日が来るかもしれない。右も左もパンチパーマ。ちょっと面白い。お歯黒が世の中から消えたように、二重が美人の要という人がいなくなるかもしれない。

一重だっていいじゃないか。

みんな違ってみんないいという世の中なら、一重の市民権だってあるはず。

一重の目だって、素敵ですよ!


【余談】

先日記事に書いた部屋の片付けの件。寒いとかの言い訳を乗り越え、実行しまして。お陰様で、部屋は少し広くなりました。色鉛筆の箱の行き場がなく、やはり積むことになったり、水2ℓの箱(2個)の行き場がなく居座ったり。ノートの類は一掃しました。できることと、できないことがありましたが、快適に住むことが大事なので、これで良しとします。

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