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共通認識を作るという作業の本質的理解

1.はじめに

私の話は基本的に他人に通じない。
言葉の字面は理解されても、本当に伝えたい事はなかなか伝わらない。
人生の特定の場面はおろか、日常においてすらその傾向が強い。

今回はその問題の解決、つまり人間の共通認識の構築を意識した話ということになる。

2.認識の共有、その定義

認識とは主観がその意識が向けられる先、つまり対象を明確に把握することを言う。
認識を共有するとは複数の主観がそれぞれ把握した対象の同一性が保たれていることを言う。

この時点で全体を見渡すと、一つの事実が浮かび上がる。
人間が対象に関する具体的イメージを完璧に共有するのは不可能だと言うことである。

これは人間がある対象に抱く具体的イメージはその個々人の記憶や経験に左右されることに起因する。
完全に記憶や経験が一致する人間など存在しないため、その具体的イメージもまた完全には一致しない。

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例えば、複数の人間が同一のレクサスという車を観察したとして、その見え方、知覚のされ方は人それぞれ異なる。
人間は視力や色覚の他、あらゆるセンサーが他人とは厳密には異なっている。
それを踏まえた上で共有されるものがあるとすれば、それは個々人の記憶や経験に関する情報を省いたより本質的な概念であるだろう。
当然、概念を共有するには、お互いがその概念を理解していることが必要となる。

3.概念の理解、その本質

概念とは複数の認識の共通項をまとめたものである。
概念を理解するとは、その概念の構造を正確に把握することを言う。

ここで構造を正確に把握するとは、概念をより本質的な複数の概念の組み合わせに分解して把握した時に元の概念とその構造に矛盾が見られない状態を指す

概念の理解をこのように捉えると、人間の概念に対する本質的な理解にはその程度について各人によって差があることが予測できる。

概念の構造を正確に把握する際に、どこまで本質的なレベルにまで概念を分解するかには個人差があるということである。

このような個人差があったとしてもその構造の把握自体に誤差がなければ、概念の共有に問題は生じていないと言える。

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しかし、この個人差の存在は概念の理解に誤差を生じる原因となる
そして、概念を共有するにはその理解の誤差を取り除く必要がある。

4.理解の誤差、その原因

人間の概念に対する理解は人それぞれ異なっていることがあり、加えて必ずしも正確ではない。
なぜこのようなことが生じるかというと、人間の本質を捉える力にはその強さと方向性に差があるからだと考えられる。

本来、物事は本質に近づくほど複数の主観ごとの誤差は縮小していくはずであるが、本質を深く捉えない人や間違って捉える人は多い。

概念について理解の誤差をなくすには、その主観の認識に働きかけることにより、その誤差の修正を計る必要がある。

5.理解の誤差、その修正

概念について理解の誤差の修正を計る方法としては、
一方の主観が他方の主観の理解に対して自分の理解を修正して合わせるというものと、
一方の主観が他方の主観の理解に修正を働きかけるというもの、
そしてその両方が歩み寄る、という三通りが考えられる。

いずれの場合も、まずその他方の主観の理解の程度について正確に把握する必要がある

それには、その他方の主観がどのように対象の本質を捉えているかその理解の内容について具体的な提示を試みるのが近道である。

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そして、その提示を精査することでその他方の主観の本質を捉える力と方向性、その傾向を確認する。
その傾向が確認できればその認識においてどこに修正の必要があるかが見えてくる

そして、一方の主観と他方の主観の双方について修正の必要な個所が明らかとなれば、あとはそれぞれの認識を必要なだけ修正すれば認識の共有は果たされる。

6.認識の共有、その注意点

上に共通認識の構築について述べてきたが、その注意点としては、相互の主観の認識や概念の理解について把握する際にはまず互いの言葉を認識することが必要となるということが挙げられる。
それぞれの言葉に対する認識の差異を明確にするところが求められるということである。

そして、そうすることが人間の本質を捉える力の強さと方向性、つまりベクトルを把握することにつながる。
そういった相手の認知パターンを理解することは、人間が認識を共有し、ひいては相互理解を図る上で役に立つだろうということである。

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