2日目*家族と向き合う

カテーテル検査が始まった。
先生には「寝ててください」
と言われたので目を瞑った。
前日、というか実際にはもう当日だったが、就寝が遅かったので眠たいとは思っていた。
造影剤も使うので、また顔が、かーっと熱くなる感じがあった。
それで眠れるはずはなく、とはいえ元気でもないので目を瞑ったままぼーっとしていた。

検査が終わり、先生から「血管の奇形は無かったです。海綿状血腫っていう診断になるかなあと。繰り返すようならやっぱり手術は必要になってくるけど、ひとまずは経過を見ましょうかね。」
という説明があった。
「やっぱり試験は難しいですか?」と尋ねると、「そりゃ、僕は医者なので、良いとは言えないね。うーん、まあ頭の片隅には置いておきます。」と言われた。

頭の片隅かあ。
きっとDr.の頭の片隅って本当に隅の隅だよねえ。
やっぱ無理かあ。

病室に戻ると、昼食が運ばれてきた。
初めての病院食!と、さっきまでのもやもやした気持ちから目を逸らすように、少しウキウキしながら蓋を開けた。
わー、思ったより豪華だなあ〜。
デザートはないか、そりゃ、ないか。

私の苦手な、甘く味付けされたであろうサツマイモがお肉に添えられていた。食べるか迷ったが、やっぱり残すことにした。
病院で出されたものを残すとどうなるか少し興味があった。咎められるのか?なぜ残したか聞かれるのか?
食材を無駄にしてはいけない、栄養士さんが栄養を考えて作ってくれたのに、ということが頭によぎったが、どうしても食べられそうになかった。
今日は検査を頑張ったので、と、心の中で言い訳をした。

そして私の疑問に対する答えとしては、残したことについて問われることはなかった。

カーテンの隙間から誰かがこちらを見て、「こんにちはー」と言った。
「こ、こんにちは?」
戸惑いながら挨拶を返すと「失礼します」と、その人は入ってきた。
「リハビリを始めようということで、Dr.に依頼されて来ました。」
「あ、私リハビリするんですか。」
「そうですね、まずは今の状態を知るところから始めたいのですが、いいですか」
と言って運動機能や筋力のチェックが始まった。
「内ももの筋肉が弱いですね」
「あ、なんとなくそんな気はしてました。」
ひと通りチェックを終えると、「明日は違う担当が来ると思います。多分、多分ですけど、持田という者が今後は担当します。」と言われた。
ふーん、持田さん。今名前言われてもどんな人かわかんないし、まあ誰でもいいけど、しばらく続くんだな、なんてことを考えながら、「わかりました」と返事した。

暇な時間がとにかく長いので、人が来てくれるのは有り難かった。

「こんにちはー!」
今度は明るい女性の声がカーテンの外から聞こえた。
「リハビリを始めることになったので、来ました。頭の検査、してもいいですか?」
あれ?リハビリ?さっきのもリハビリ、今からまたリハビリ?頭の検査?
私の頭の中には「?」が並んでいたが、さっきは運動機能だったので、今度は脳に関するリハビリか、とすぐに納得した。
そして始まったのは認知症の検査だった。
もちろん、認知症だけのための検査ではない。私は学校でそういうことを学んでいたので、知識として理解してはいた。それでもなんとなく、認知症の検査かあ、と少しショックを受けるような気持ちになった。
それと同時に、検査される患者さんってこういう気持ちになる人もたくさんいるんだろうなと感じた。
検査をしてみたら、どうやら脳機能に異常は無さそうだった。安心した。
「明日からは多分違う担当がつきますがよろしくお願いします。」
あ、またか。と思いつつ、「わかりました」と答える。


それからしばらくはひとりの時間だった。
んー、ひまだなあ。
と、思っていると母が面会にやってきた。
そしてスマホを手渡された。
「さっき、スマホ触らせてもいいですかって看護師さんに聞いたら、病室の中で、お見舞いの間だけならいいって言ってもらえたから。」
面会の時間は15分。
LINEを確認すると彼から励ましの連絡が入っていた。また、仕事で良いことがあったことも書かれていて心が温まった。「LINEは負担がかかるといけないから、あまり無理しないで。」と書かれていたが、何も負担ではなかったので(独断)大急ぎで、短い時間だけスマホを触れる旨のみ書いて送信した。
それから、簡単に打ち込めるTwitterに「入院中」とだけつぶやいておいた。
それから母にスマホを返し、暇すぎて泣けるという話をして明日の面会の時にはノートとテレビカードを持ってきてもらうことになった。
そして「あとでお父さんと妹が来るよ」と言い残し、母との面会は終わった。

数時間後、仕事終わりの父と妹が一緒に面会にやってきた。
父に、渡邉先生が試験のことを頭の片隅に置いておくと言っていたことを話すと、「頭の片隅は、片隅だからなあ」と、私と同じように諦めモードだった。
しかし、「どうしても受けたいなら、先生に怒られる覚悟でもう少し頼んでみるけど、」と言った。
「え?受けられるの?」
「受けられるかはわからない。けど、お願いはできる。受けるとしても、死ぬかもしれないとかそういうことはやっぱり考えなきゃいけない。それでも受けたいと言うなら。」
「え、え、受けたいけど、死ぬのは嫌だな、でも受けたい。」
「もう大人だから自分で決めたらいいんだけど、一応聞いとこうと思って。でも、受けるならみんな覚悟が必要。」
「うーん、先生が受けていいって言うなら行きたい。」
「そうか。」

3歳下の妹は、「今日の夜ご飯はモモゼリーだよ」と言った。「さっき見えたから」と。
妹は空気が読めない。と、私は思っている。しかしあえてあっけらかんとしてみせることもある。今は、"あえて"の方。
もう夜ご飯届いてるのか、でもそのモモゼリー私のじゃないかもしれないしと言っていると、15分経ってしまったので父と妹は退室した。

試験のことを考えるのは憂うつだった。受けられるとしてもこの状態で、追い込みも叶わないこの状態で、無理して受けに行く意味があるのだろうか。
一方で、家族が私のことを考えてくれるのが嬉しかった。そう思っている自分に驚いた。
これまでの私は家族との時間が苦手だったからだ。

神経質で厳格、そして短気な父は、そんなに怒らなくても、と思うぐらい怒鳴ることがよくあった。また、それでそんなに?と予想外の場面で"きれる"こともよくあった。それでいて照れ屋なのであまり自分の話をすることはない。最近はだいぶ丸くなって穏やかではあるが、私は父のことをあまり知らない。

マイペースで優しい母は、鈍くさい。会話が噛み合っていないこともよくあるし、なんで今それするの?ということもよくある。だけど私が苦しんでいると必ず手を握って力強く想いをぶつけてくれる。私のことを誰よりも大切に想い、信じてくれる。そんな母は私のことを「ピュアな太陽」だと思っている。トイレットペーパーを買うときはなぜかいつもキャラクターの描かれたものを選ぶ。

空気の読めない妹は、あえて読まないときと、読んだ上で"なんだそれ"と思うことを言ってくるときがある。語彙力が乏しい上に、ザ・今時の子って感じでなんでも言葉を省略するし、口をあまり開けずに喋るので、母はよく妹の言葉を聞き返している。そんな宇宙人みたいな話し方なのになぜか私には通じている。ビビりな私は妹と同じ空間にいると、そんな話し方をして父が怒り出さないかヒヤヒヤする。しかし父はなぜか妹には少し甘い。

家の中では父に怯えて、母を心配し、妹に振り回されていることが多かったので、自分らしさを出すことなんて無かった。
話さないことが一番自分も家族も守る行動だと思っていた。なるべく問題を起こさないように、自分の意見は言わず、口答えはせず、"おりこうさん"であるよう心がけた。

こうなってみて初めて、家族の中でも自分で居られるような感覚があって、今までよりも自然に話せるようになってきたなと感じる。というか、そもそも自分で勝手におりこうさんでいようと決めていただけで、私の家族は本当はどんな私のこともずっと大事にしてくれていたんだろうなとようやく理解できてきた。
そして気がつかないうちに家族もみんなそれぞれ"自分らしさ"を出し始めていて、家族が家族らしくなっているように感じられた。

お見舞いに来てもらえるって嬉しい。素直にそう思った。早く明日にならないかな、とさえ思った。

その日の夜ご飯にはモモゼリーがついていた。

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