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自分のために料理をすると「えらい」と言われちゃう違和感

私は食べるのが好きだ。

毎日の晩酌を生きがいに生きているので
夕ご飯を作るとき、一緒におつまみの仕込みもしていく。

昨日はピリ辛なめたけとオクラの糠漬けを仕込んだ。
なめたけは夜にお豆腐にのっけてバターひとかけとチンして
刻んだ大葉をたっぷりのっけて食べたら
信じられないくらいおいしかった。

と、いう話をママ友にしていたら

「自分のためにそんなきちんと料理するなんてえらいね!」

と言われた。

実は、こういうことは初めてではなくて
前に卵かけごはんにひと手間かけるのにはまってたときも
他の人から「えらいね」と言われた。

もちろん「えらいね」と言われるのは嬉しいんだけど
ママ友さんたちに悪意がないのはわかってるんだけど
なんとなくもやもやする。

違和感の原因は2つだ。

①料理=えらいと思うくらい、料理が嫌いな人は意外と多い

②母親である私は子どもの食事をしっかり作った上で、
自分の食事に手間をかけていると思われている。

①は正直しょうがない。

私は料理が大好きなので「えらい」というのとは違うけど
嫌いな洗濯とかに置き換えると褒めちゃう気持ちはわかる。
それでほめられても「まあ趣味みたいなもんだよ」って
笑って返せる。

問題は、②である。

私が昨日料理したのは
豚汁、なめたけ、ぬか漬けの3品であるが
そのうち家族に出したのは豚汁だけである。
あとは前に下味つけて冷凍した手羽先を解凍して
グリルで焼いたものにミニトマトを添えただけ。

というか普段から
子どもの夕飯としては大体汁物1品しか真面目に作らない。
主菜は肉か魚を焼くか揚げるか煮るかするだけ。
副菜はお砂糖トマトか塩キュウリか
トマトとキュウリをポン酢であえたやつの3パターンのみ。
カレーしか作らない日も週1である。

大して自分用のおつまみはというと
仕込みで2品は必ず作るし、
食べ始めたら次から次へ3~4品作っちゃうこともある。
料理本やレシピサイトで新たな料理を探求したり
新しい食材にチャレンジしたりするのももちろんこっち。
大きな声では言えないが、金額的にもこっちに比率が傾く。

かけている時間も手間も情熱も

子どものごはん<<<<<自分の晩酌用おつまみ

なのである。

それなのにみんな②の前提で
「えらいえらい」と褒めてくれるから心苦しい。
②の前提があるならば、私の行いは
むしろ怒られたりするレベルだからである。

子どもにごはん作るのってすっごい手間だ。
特に3人いると好き嫌いの制限も多い。
うちの3人はほとんど好き嫌いがない方だが
それでも大変なので、よそのお母さんは大概だろう。

しかもこんなに好き嫌いを考慮して作ったって
機嫌1つで食べたり食べなかったりされる。

それなのに、
「子どものごはんが最優先!そのぶん大人は簡単なものや
子どもの残りごはんを食べる」
というのが当たり前になっているのが悲しい。

大人が好きなもの食べるためには
子どもにはもっと良いものを準備してあげてる前提なのは
どうにかならないんだろうか?

もちろん、多分私がこう感じるのは
私が食べ物に対して並々ならぬ情熱を描いてるからに他ならない。
世の中には
「手間をかけるくらいなら子どもと同じものでいいよ」
と普通に言える人がたくさんいるのも知っている。
それはそれでとても素敵なことだと思う。

だけど何というか、食べ物にせよ何にせよ
何でも「子どもファースト」すぎるのはどうかなって思うのだ。
大人が大人らしく楽しくしているのに憧れたり
大人の経験を少し分けてもらって「まだ早いな」って思ったり
「意外と大丈夫!」と思うのも大事なことなんじゃないかと思う。

たとえば私の祖父の家は人がよく集まっていて
知らないおじさんたちがわいわいがやがや
楽しそうにお酒を飲んでるのが好きだった。
鮪を四角く固めた塩辛いおつまみをつまんで
ジュースを飲むと、少し仲間入りできた感じで楽しかった。

あんまりよくないんだろうけど
「味見してみなさい」ってビールをひとなめしてみて
苦っ!大人って変なの、ってなって
少しかっこいいな、って思う。
そういうのが結構思い出に残っている。

子どもファーストを貫いた結果
子どもに合わせる疲れた大人ばっかり見て
子どもは大人に憧れられるだろうか?

何だか大人ががんばればがんばるほど
子どもと大人が分断されていく気がする。

親だって自分だけのためにもっと楽しんでいいんじゃないのかなぁ。

憧れたり、かっこいいなと感じてもらわれなくとも

「大人って楽しそうだな」

って思われる大人になりたいと思う今日この頃。

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