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便利さ vs 気持ちよさ その1 - vol.1/4 便利を諦めるなんてムリゲー


一番伝えたいこと


「過剰に便利さを追求するエコノミー(経済)も、
余剰を許さず不便さを強制するエコロジー(環境配慮)も、
どっちかだけだと疲れるから、うまいこと融合させて中庸を見つけましょうよ。
ってこと。

以下は、とーとーと「それはなんで?」を書いてみました。

どんな人に読んでもらいたい、とイメージして書いたか


・環境に優しいとか偽善だし... と醒めた目で見ている俺/私、をわざわざ目覚めさせようとしないで欲しいと思っている人。

・ケッ、エコビジネスなんて所詮利益追求の一手段でしかないまがいもんじゃん... と達観している人。

・ちょっとエコ / オーガニック / SDGs / ESG / 持続可能(サステナブル) / 循環型社会とかに触れて、結果疲れちゃった or 飽きちゃった人。

・データとかグラフとか調べたくなるOnの時も確かにあるけど、Offの時に読む気はしねぇですゎ... って人。

・まじめモードじゃない環境系読みものってないかなーと思ったことがある人。


持続可能はムリゲーか

企業にお勤めのみなさまがせっせと仕事に励んでいらっしゃる間、両手で数える程の年数、環境保護を仕事にしてきた私。
これがまた、全然解決しません(苦笑)
遂には趣味の延長みたいなノリで、零細エコ企業の経営者なんぞをやってますと。
ついこだわりはじめてしまい、深く深く本質を追求しに向かってしまいがちです。

世間を見渡してみて、
『表面上エコっぽく見せつつ要は大量に販売したい(そうしないと食っていけない)本音なんかも垣間見えてくると。
確かに持続可能(サステナブル)にしないといい加減ヤバそー
と思って、試行錯誤した結果、よく、しばしば、うっかり辿り着いてしまう結論が

人類オワコン -_-

だめだめだめだめ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。@@;
でもムリゲーだぁぁぁ
と一人で勝手に葛藤しているうちに、ふと気づいたことを書き溜めているメモを。ちょっとまとめてみたら、シリーズにして分割して書かないと、ただでさえ読みにくいわたくしめの文章の文量がすごいことになってしまったので。

なんのご縁か、ここまでお読みくださったあなた様に、
私がこれってなんか面白いかもと思った、
「サステナブルって正義の味方みたいな存在で扱われているけど、こーゆーとこあるよねー、ゆーよねー」
ってことを、色んな角度から夫々の視点毎に、ちょっとしたシリーズ風にして書いてみようと思います。


サステナブルシフトとは「便利を諦めろ」ということなのか

まず先に、私の個人的結論。
一度体験してしまった「便利さ」の魅力には、
エコによる「気持ちよさ」という一過性の魅力には、今のところヒトは勝てない。

例えば
「紙ってやっぱいいよね」と言いながら、Google翻訳があれば、もはや辞書を引くことはない。

レジ袋じゃなくエコバッグに。

コンビニでペットボトル買うんじゃなく、マイボトル持ち歩く。

夜中に飯テロ動画をうっかり見ちゃって、カップラーメン食おうとしたけど、メタボ腹を気にしてなんとかガマンする(これは全然違う!)

なんか気持ち良い、環境に良さそう!
そういう心地よいフワっとしたエコな気分に浸ることで、
エコバッグとかマイボトルみたいな、使い捨てより使い回し(リユース)の

「不便でめんどくさい < 環境配慮できた満足感」

を自ら選択できるかどうか。
この切り替えができるか否かを問われるわけなんですが。
まぁ、できない。し、続かない。

続ける目的だと難しいんだけど、
一回の買い物で、エコだったり、良いことした気分に浸れるものだったら意欲が湧くって声は多く聞きますねー。例えば
「この商品の売上の1%は恵まれない子どもたちへの寄付に充てられます」ということになっているオーガニックコットンの服を買う。
とか、そーゆーやつ。
お手軽で確かに気持ちよくお金を出せるからイイんだけど、そういう仕組みになっていない売り物の数の方が、海と涙ぐらい圧倒的に多くて、
過去何度もあったエコブーム(LOHASとか)は、
「エコという名を纏っただけのただの商業ビジネスモデルでしょ」と陰口叩かれたり、
エコに付きものの、コスト面の壁を登り続けられなくなって、惜しまれつつ畳むことになり。。

で結論、人間の飽くなき便利さ追求と資本主義の前に、数あるエコブームは敗北してきました。チーン。

色んな環境問題がある中であえてプラスチック問題を取り上げますけども。
1940年代にプラスチックが発明され、ファストフード店やスーパーを中心に、60年かけて、生活の中にここまで当たり前に入り込んでいるという歴史が現在進行形で積み重ねられている最中。
「持続可能で循環型の社会」というフレーズが、人目の多いメディアや人が集まる場でも、飛び交い出してからまだ所詮4-5年。
前回(という言い方が正しいかどうかはスルーしておくとして)ロハス(LOHAS)の名の下に『いろはす』とかが生まれて。
今回はサステナブル(持続可能)だよーって、言い方を変えて広めようとしています。

まだ前半戦の道半ば。しかもコロナですんごい長い間足踏み中。
サステナブルに向かうことが正しい道筋であることを信じて疑わない空気の中で、
とはいえ、
頭で分かってはいても、持続可能な消費に今いち踏み切れないでいる日本人含む、人類。

なんでサステナブルシフトって、良さげな印象のあるキーワードなのに、難しい空気が出るんでしょう。

次回、
便利さ vs 気持ちよさ その1 - vol.2/4
サステナブルは良さげなのに難しいのはなんで?


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