見出し画像

心配したってしょうがない

わたしは友達にどん引きされるほどの心配性だ。

それはきっと物心が付いた頃から。保育園児のわたしは「ひらがなが書けないから小学校に行かない」と親に泣きついた。ひらがなの書ける保育園児がこの世にどのくらいいるだろうか。

持って帰ったはずの計算ドリルがランドセルに入っていなかった時には、「学校の机に無かったらどうしよう」と泣き、学生時代、テスト前になると「点数が取れなかったらどうしよう」と泣きながら勉強した。計算ドリルは机の中にあったし、テストで赤点を取ったことは今まで1度も無いのだ。そして、わたしは極度の心配性と共に泣き虫でもある。

心配に心配を重ねたのち、最悪の結果が起こったことは無い。要するに、心配してもしょうがないことがほとんどなのだ、たぶん。

それでも心配が消えない時は、「なるようになる」「大丈夫」と心の中で唱えることにしている。究極はそれができなくても、上手くいかなくても「死なないから大丈夫」と。計算ドリルが机の中に入っていなくても死なないし、テストで30点を取っても死なないのだ。本当にどうにもならないときのおまじない。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、わたしはこのおまじないで心救われてきた。「そうだよね、大丈夫だよね」と心がスッと軽くなるのだ。

以前、この性格について調べたことがある。不安障害のひとつに行き当たったが、専門家に相談しに行ったことはない。疲れやストレスが溜まると、家の施錠をしたか心配になり、3回も4回も確認に戻ったことがある。思い返すと、コロナが蔓延し始めた頃だった。今、確認に戻ることは無くなった。

要するに、何が言いたいかというと、心配性ってちょっと生きづらい。でも心配性のおかげで、良かったこともチラホラある。

治せるものなら治したいけど、もはや性格のひとつでもあるから、上手く付き合っていこうかなと。心配性を武器に何か成功体験が増えると良いな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?