【短編小説】巡って
僕は想像する。
風が吹き荒れ、波がうねりを上げ、いかずちが轟く暗黒の嵐の中、視界を奪われ、行き先を見失った船の上から、激しい雨の隙間に一筋の光が見えるのだ。
チカ……チカ……。
乗組員たちは死にものぐるいで光へ向かう。耳をつんざく暴風と襲いくる高波に折れそうな心を懸命にふるい、たったひとつの希望めがけて進みゆく。
いつも人々を導いているキナリに、僕は憧れていた。どの季節、どんな天候でも彼女は毅然として岬に立ち、ここにいると知らせてくれる。光を帯びたその姿に、何度勇気づけられたことか。
それはあの頃からだ。
数年前の夜、若い漁師が沖から戻ってこないと騒ぎになった。臨月を控えた彼の妻はうろたえ、蒼い顔で桟橋に立ちつくしていた。今すぐ探しに行けない自分を恨めしく思っているようだった。
生まれて間もない僕も無力感に包まれていた。どうすれば力になれるだろうか。彼を見つけられるだろうか。いくら考えてもどうしようもなく、思考が沈んでいく。
その時、闇夜に光が浮かんだ。
チカ……チカ……。
明滅する輝きが、僕には励ましのように思えた。一人きりの暗い海からもしこの光が見えたなら、なんと心強いだろうか。名も知らぬ青年の気持ちになって、僕も救われていた。
「ありがとう」
僕が言うと、彼女は光の一瞥をくれた。ただそれは、安心しろという意味だけではないようだった。
しばらくして帰ってきた男は、キナリの下を通り、僕へ船をつけた。彼が妻と抱き合っているのを見て、僕は彼女の言いたいことがわかった。僕が自分の役割を認識したのはこの時だ。
キナリが道しるべとなり、僕が帰る場所になる。そのことが僕の誇りになった。
ある時期から、島には物々しい雰囲気が満ちていった。もともと二つの国の境目にあるこの島は、よくない話の的にされることがあり、昔えらい人たちが話し合ってどちらのものでもないと決めたそうだ。
でも、人間は何十年もすれば大切な約束を忘れてしまうものらしい。
若い男が次々呼ばれ、島を離れた。望んで行く人はいなかった。残ったのは老いた漁師と女性と子ども。貧しい生活が続いた。
それは一時的なもので、いずれ元通りになるものだと思っていた。けれど島へは誰も帰ってこない。それどころか、成熟しきっていない子どもさえも集められていった。
空が燃え、人が死に、僕のところには知らない船がたくさん行き来した。
もう行かないでくれ!
もう来ないでくれ!
幾たびそう叫んだ。だけど変わらない。同じことが何年もかけて何度も何度も繰り返された。
人が代わった。
船が変わった。
それから旗が変わり、ようやくどちらのものにするか決めたらしい。僕にとってはどうでもいいことだった。今さら平和になられても、という気持ちが拭えないのだ。
ただそれでも、荒れ果てた島を復興するため多くの人がやってくると、また昔のような平穏な日々がくることを願わずにいられなかった。
ところが、新しく島の代表になった男は、キナリを指さしてこう言った。
「あの光を目印に敵が乗り込んできた。残しておくと縁起が悪いから壊してしまおう」
キナリはこの数年も変わらず役割を全うしていた。
この島を訪れる人間の性質や目的は、やってくるまで僕たちにはわからない。彼女の光は誰にでも分け隔てなく示されていた。
だからといって、家を焼き、他者の命を奪うような人間を招きたいなど、思うはずがない。キナリがそんなことを、望んでいるはずがないだろう。
縁起? 一体何を……。
僕にはまるでわからなかった。仮に意味を理解したとして、島の総意が変わることもない。
屈強な男たちが鈍器を持って集まった。争いの後で資金もなく、人力で取り壊すという。ところが今しも鎚を振り下ろそうとした時だった。
真昼間にも関わらず、キナリが光を放ったのだ。
「おい誰だ動かしたのは。危ないだろ」
「いえ、中に人はいません」
「なんだと、じゃあ電源だ」
「そちらも落ちています」
現場監督含め、その場の誰もが首をひねった。でも僕にはわかる。これは彼女の意思表示なのだと。
「もういいからやっちまえ」
力まかせに打ちつけるような音が岬から響いた。美しい真っ白な肌が剥がれ、建材がむき出しになっていく。
やめろ!
やめてくれ!
僕は必死にわめいた。とにかくやめてほしい一心で訴え続けた。しかし誰の耳にも届かない。僕の声は虚空にすら浮かばないのだ。
だんだんキナリの光が乱れていく。それでも彼女は光を放ち続けた。いよいよ崩壊が近づいてもなお、かすかに点滅していた。
最後の一振りが降ろされ、すさまじい音と共に彼女が倒れた時、僕はたしかに聞いた。
「ありがとう……」
初めて聞くキナリの声だった。
僕に向けられたものだった。
男たちが喝采をあげ、島中から万雷の拍手を浴びる中、僕はキナリの声だけを抱いていた。かつて彼女だった瓦礫が運ばれていく時も、意識の内にキナリを残し続けようとした。それだけが唯一できることだった。
僕のどこかのボルトが、軋みをあげた。
数年で島の文明はめざましい発展を遂げた。人間同士が争うとそうなるらしい。道は舗装され、機械が増え、空から観光客もやってくるようになった。元の住民に加え、多種多様な人種が集まり、ずいぶん賑やかさが増した。
そうした日々の中、何人かのお金持ちが新しい計画を持ち上げた。この島は狭いので、埋め立て地を増やそうというのだ。
必然的に、もっとも海側にいる僕はあっさり解体されることになった。でも悲しくはない。終わりがくることに安堵さえ覚える。もはや僕に望みなんてないのだから。
傍らにあった船たちがなくなると、僕の周りはがらんどうになった。それから桟橋がなくなり、コンテナが壊され、縄をかけるためのボラードまで除去されていくと、僕を僕たらしめる様相を保てなくなってきた。ボルト、シャフト、バネ、去年替えてもらったばかりの細かいパーツも外され、運ばれていく。
意識が薄らいできた。そうか、これが眠気というものか。初めての感覚に身を委ねると、だんだん帳が降りるのを感じた。
……キナリがいなくなってから、ずっとこうなるのを待っていたのかもしれない。
でも、そうだな、望みがないというのは嘘か。
僕は想像する。
叶いっこないことだけど、もしも……また…………。
「やだ、もっと遊ぶ」
「駄目だよほら、もうこんな時間だ。これが点いたら帰るって言ってたろう」
「でもー」
「今日の晩ご飯シチューだってさ」
「うーん、じゃあしょうがないなあ」
父は微笑み、息子の背中に手をあてた。長く伸びた二つの影が、出口へと向かっていった。
この公園では、決まった時間になると明かりがつく。それは期限にもなるし、待ち合わせにもなる。ひとことで言えば約束なのだろう。
僕をどう使うかは人の勝手だ。
けれど、僕の役割は僕自身が決める。
やっと近くに来れた。
今日もやさしい光をたたえる彼女の傍で、僕はこれからを刻んでいく。
カチ……カチ……。
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