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書評:舞城王太郎『されど私の可愛い檸檬』

ぼくは舞城王太郎の小説が好きです。人生の路頭に迷っていた20代半ば、舞城の書く物語はぼくの人生に意志とグルーヴを吹き込んでくれました。

そんな舞城王太郎の最新作『されど私の可愛い檸檬』が、最高に最高でした!「メンヘラハッピーホーム」のスイスイさんも激奨。

帯には『夫のちんぽが入らない』のこだまさんのコメントも!

ぼくもいてもたってもいられず、評を書こうと思います。

舞城王太郎って誰?

そもそも、誰?という方へ。

舞城王太郎は2001年に『煙か土か食物』でデビューした覆面作家です。三島由紀夫賞を受賞した時にも姿を現さなかったと言います。一体、誰なんでしょう。

ハードボイルドな推理小説から、ぶっ飛んだ設定のSF、かと思えばライトノベルのような青春小説など、ジャンルを横断するようにキャリアを築いています。

小説以外では庵野秀明監督の短編映画『巨神兵東京に現る』では「言葉」を担当し、のちにアニメーション作品『龍の歯医者』でも共作しています。

『ジョジョの奇妙な冒険』の25周年企画では、ジョジョの1部から8部までの設定を取り入れた『JORGE JOESTAR』を書いて話題となりました。

舞城の出身でもある福井県と、なぜだか東京の調布市が毎回必ず舞台として登場します。

舞城王太郎の特徴は?

舞城王太郎の最大の特徴はその文体です。スピード感のあるラップのような文体

グルーヴに乗せて吐き出される言葉は、登場人物の役割や設定、あるいは小説家の意志というものを通り越し、思いもよらない一筆を生み出している、ある種「即興」のようにも見えるのです。

そんなふうにリズミカルに語られる物語のなかに、突如としてSFやミステリーの要素が入り込んでくることがあります。「スリップストリーム」というジャンルらしいです。

なんだか、まるで子どもが世界観にのめり込みながら絵を描いたりごっこ遊びをしているようなグルーヴ感があるのです。幼稚園児が独り言を言いながら猛然とお絵描きをしているとき、突如としてわけのわからない設定が入り込んでくることがあります。舞城の小説はそれを文学的に実践しているように感じられるのです。

ただし、舞城の描く怖いものは半端じゃなく怖い。暴力はエグい。愛の意志は凄まじく強いです。

舞城王太郎のテーマは?

そんな舞城の作品を貫いている主題のひとつに「人生を突き動かすもの」があると思います。それらは「愛」「祈り」「意志」というポジティブな形をとることもあれば、「暴力」「呪い」「恐怖」といったネガティブな形をとることもあります。

例えば、人を好きな気持ちとか、誰かの健康を祈る気持ちとか、そういうことから言葉が出てくることってあると思います。あるいは「こういうことがしたい」という意志の力で、物事を推進していくこともあると思います。

一方で、誰かを憎むことから生まれる暴力、呪いの言葉があります。そして、何かに対して「怖い」と思うことから生まれる感覚があります。

「人生を突き動かすもの」が、人を動かし、その周りの人に影響を与えていきます。良いとも、悪いとも、どっちとも言える影響を。

そのようにして生み出される言葉と物事が、1つの時間的な流れを持つことで「物語」ができあがっていきます。舞城の小説は、登場人物がそのようにして起きていく出来事を「意味づけること」「物語ること」をめぐる小説でもあると思います。

家族をめぐる物語

さて、『されど私の可愛い檸檬』は舞城王太郎の久々の単行本で、講談社から2冊連続で刊行されるシリーズの2冊目。1冊目『あなたは私の瞳の林檎』は「恋愛編」で、2冊目の『〜檸檬』は「家族編」。

舞城王太郎は、かねてから「家族」を主題にした作品を多く書いています。『みんな元気。』はとある家族がひょんなことから妹を交換されてしまう物語ですし、『ビッチマグネット』は、主人公が父親の愛人とひょんなことから仲良くなってしまう物語です。

今回収録された3編をひとつひとつ、ネタバレをせずあらすじをご紹介します。

『トロフィーワイフ』
主人公扉子の姉、棚子が離婚しそうになり、福井の友人宅に居候しているという情報をつかむ。その発端は、姉の夫友樹が「愛の真実に気づいた」と打ち明けたことだという。浮気をしたわけでもなく、思いがなくなったわけでもない。むしろ友樹は棚子への愛を確かめ直したというのに、なぜ棚子は姿をくらませたのだろうか。友樹が気づいた「愛の真実」とは。
『ドナドナ不要論』
「ドナドナ」のような歌を歌って、どうして人はわざわざ悲しい思いをするのか。ドナドナなど嫌いだしいらないのだ、と考える主人公のもとに、立て続けに最悪の事態が起こる。同じマンションに住む子どもが行方不明になり、妻の椋子にある異変が起こる。主人公の娘、妻の母、父の関係が歪みながらギリギリでバランスを保つ。主人公が最後に至る「ドナドナ不要論」の結論とは。
『されど私の可愛い檸檬』
女の子とうまく付き合えない、なかなか自分のやるべきことを決められない主人公は、デザインの仕事を夢見て専門学校に通うためにバイトで資金を貯めている。あるときバイト先の社長に「3年後にスカウトするから、それまで好きなことやって自分の道を確立しなよ」と言われる。いざ自分の道を踏み出そうとすると、人に影響を与え、苛立たせてしまう主人公。人生をめぐる選択の物語。

読むべきポイント

読んでもらいたいポイントだけ、書いておきます。

1つ目に、気持ちの「影響」。愛や祈りのような、あるいは呪いのような、人が他者を配慮したり思いやったりすることが、その人たちの物語にどんな影響を与えていくのか。

2つ目に、一人一人の「意味づけ方」。注目すべきはある事柄に対する登場人物たちの「意味づけ」の差異と歪みです。それが小説全体のゆくえを占っています。

三つ目は、主人公の「闘い」です。主人公は、ある決闘をします。あるいはしないことを選びます。それはどのような「闘い」で、どのような戦法を選ぶのか。そして結末は。

「インナーマザー」という考え方

小説を読みながら、ぼくは「インナーマザー」という言葉を思い返していました。斎藤学さんが書かれた本に『インナーマザー』があります。

インナーマザーとは、子どもが母親の価値観を内面化してしまい、内なる母親に行動の倫理を支配されてしまうこと。これらは実際の母子関係でなくても、上司部下でも、恋人でもありえます。DVのように明らかな暴力ではないけれど、優しく、柔らかく他者を支配する原理

たとえば、親や先生に「ダメな子だ」などと言われながら育ったという人は、「自分はダメな子である」という意味づけを内面化してしまう、というような話はよく聞きます。

いかにしてこのような支配から抜け出すか、あるいはこのような支配をする人・される人と闘うか。はたまた、このような支配からぬるぬると逃れるには?

ぼくはこの『されど私の可愛い檸檬』は、インナーマザーによる支配/非支配を巡る、希望と諦めの小説であるというように感じました。

家族について考え、悩む人にはとくに読んでほしい小説です。とにかくおすすめ。

余談 ぼくの人生と舞城王太郎

最後に、なぜ舞城の物語が好きか、ぼくの意味づけを書いてみます。

舞城の小説では「突き動かされるグルーヴに乗って、何事かをなし始めてしまう」ということが起こります。

ぼくはこれらの小説を読んで「こうしたグルーヴに乗ってしまったらどうなるか」を知ることができたように思います。

自分を突き動かす何ものかに気づき、そのグルーヴの波を見つけてしまい、そこに乗ってしまったら最後、次々とやってくる不測の事態をかわしながら、ときに転びながら、それでも「なんとかやっていく」しかなくなってしまいます。

ただ1つ、自分を支え、グルーヴを心地よくするものは愛とか祈りとかいうロマンチックなものを信じてどうにかしようとすること。「信じる」ということそれだけなのかもしれないなと。人生ってそういうものなのかもしれないなと、そう思ったわけです。

ぼくも、舞城の小説が生み出すグルーヴと似たものを人生の中に見つけました。

怖いしどうなるかわからないけどとにかく信じてこの波に乗ってみようと思い、生まれてくる言葉を伝え、行動してみました。そういうふうにしてぼくは結婚をしました。

自分の気持ちや行動が誰かに影響してしまうことはあります。それを引き受けること、でも引き受けすぎずに信じて乗ってみるということ。そういう人生の美しさを、舞城の小説は教えてくれました。

新潮2019年1月号には『勇気は風になる』が、群像2018年12月号には『裏山のすごい猿』が、掲載されています。来年も活躍してくれそうな舞城王太郎!楽しみ…!


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