イヤイヤ期とか、魔の〇歳児とか、本人にとって、ほとんど無意味な言葉と思う

子供がグズるとき、「とうとうイヤイヤ期に突入か」とか、「魔の○歳児なのかな」というように考えたくなってしまう。
僕もそうだった。今も、そうかもしれない。

子供がグズる現象に”イヤイヤ期"や”魔の○歳児"などと、わかりやすいレッテルを張ってやることは、夫婦の間や、同じような状況の子育て親同士の会話の中で、状況の認識を揃えるのには、一役買っているのかなと思います。また、そうできることが当事者である親の精神的な逃げ場にもなっているという意味で、役に立っているのかなと思います。つまり、グズって、グズって手におえないときも、「イヤイヤ期だから、仕方ない」て自分に言い聞かせて、平静を保つ方法になっているということです。

一方で、子供にとっては"イヤイヤ期"も"魔の○歳児"も、役に立たない言葉であり、レッテルなんだろうなというふうに最近思うようになりました。
グズるムスメちゃんに向かって、「ムスメちゃん、今、イヤイヤ期だもんね」て、話しかけても、ムスメちゃんは全く救われない。グズっている状況を肯定されて、達観されて、仕方ないと大人に流されても困るのだろうと思うのです。

ムスメちゃんからすると、なぜグズっているのか、グズりの根本の欲求を、大人に応えてほしいのだろうなと思うのです。
だから、どんなにグズっていても、グズりの根本の欲求を正面から聞いて、受け止めてあげたいなと思うようになりました。日々の時間に追われていると、力ずくでも従わせたいときはたくさんあるけれど、ムスメちゃんの感情を正面から受け止めたあとに、涙目から笑顔になって、時には「おとーたん、ありがと」なんて言って、ウキウキに走り出すこともあるんですから。そういう、私にとって最高に幸せを感じる瞬間が、たまにはあることを期待して、グズりも真正面から受け止めたいなとおもうこの頃です。

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