40歳で死ぬ予定だった

私はずっと、

死に損ない

という、恥を抱いて生きてきた。

本当ならば、私の命は10歳くらいのときに尽きる予定だった。

小2のときのいじめのダメージは大きかった。
たった一度の出来事で私は何もかも信じられなくなった。

学校に行かなければいけないのなら、いっそ死んでしまった方がマシだ。
たぶん、これが、初めて自らの死を望んだ理由だと思う。

けれども、私はできなかった。
決心できなかった。
そして、そうやって決断を先延ばしにしているうちに、彼女に出会った。

彼女をひたすら思い続けながら生きながらえた。
随分長生きしたものだと思う。



そして、冗談めかした本気の告白の結果、大失恋をした。

その間にも、何度も衝動的に死に駆られることはあったけれど、このときほど、自分の生きる意味を問うたことはないだろう。
それでも、やっぱり私は死ねなかった。
彼女を悲しませたくないと思ったから。
家族じゃない、いつだって悲しませたくないと思うのは彼女だった。

20歳になった。
この頃になると、私を死に駆り立てたるのは彼女だけではなくなった。
自分の性別のこと、気質のこと、家族のこと。
様々なことが度々私を死に誘った。

それでも、結局死ねなかった。
強い衝動に襲われるその瞬間を決めることができなかった。

だから、私は決めた。

40歳になったら死のうと。

家族や、学校、様々な社会的庇護を受けた20年。
成人して、自分の力でそれと同じだけの時間を生きたなら。今度こそ終わらせようと決めた。

だから、多くを持ち過ぎないようにした。
未練にならないように、ヒトもモノも、最低限を持つことにした。

だから、恋愛を避けてきた。
好きな人が死ぬ予定なんて、そんなの残酷だと思えた。

だから、結婚はしないと決めた。
どれだけ愛されても、私は40になったら死ぬのだから、そんな人間がそれまでのひと時を誰かと過ごしてはいけないと思った。
"母親"になる違和感より、遺される人を思って申し訳なくなった。

私を好きになってくれた人たちは、私に生きる意味を与えようとしてくれたけれど、一緒に生きて行こうと言ってくれたけど、どの手も取ることができなかった。

けれど、今、私は恋愛をしている。
今の彼がその相手かは分からない。
けれど、確かにその未来を想像しているし、そのために生活を変えようとしている。

私は、40歳で死ぬ予定だった。

でも、もう、その未来は来ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?