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己の感情の二律背反について

成人してから特に父親と込み入った話をするようになった。父親から昔の性格や考え方を聞き出すのは、小学生や中学生の自分には到底できることではなかった。それだけ大人になったということだと思う。
父は飾らずに現実を話してくれる。そこが気取っていないから、こちらも変に詮索することがないし、穏やかな関係でいられていると思う。

父と話をしていて、自分がまさしく父と母のキメラ的存在であることがわかってきた。父はわりと現実主義で、予想外のことが起こってもその事実を受け止め、「起こってしまったのだから仕方がない」と切り替えて前に進める方だそうだ。

自分にもその面がある。急に予定が変わっても、別の案を探してそちらに向かうことができる方だ。「これをやるべきは今日じゃなかったんだな」と諦めて、天の御心に合わなかったんだろうと考えるあたりは、僕が勝手に生み出した概念かもしれないが。

母は反対に不安になってしまいがち。その上ギリギリになるまではやる気が出ないせいで、その度に不安と闘っているようだ。普段の生活でも睡眠時間を削って作業に追われているのをよく目にする。

自分にもその面がある。明日ゼミの発表だというのに、土日で全く進捗が産めなかった。徹夜の影響をもろに受けたのもあるが、やはり金曜の時点である程度の完成度を実現できた時点で、やる気が完全になくなってしまった。隠しスライドとか発表練習とか、たくさんやるべきことがあるはずなのに、気を抜いて遊び呆けていたせいで時間を浪費した。過去の自分を思い返して虚しくなる。明日が急に不安になって、急いで記事を書いて風呂に入って、作業を進めなければと思っている。


現実をポジティブに受け止める性格と、ギリギリまでやるべきことを後回しにして不安になる性格。この2つは共存が難しく見えるが、これをどちらも持っているのが僕だ。この二律背反にも近いマインドが重なるとどうなるかというと、答えはこんな感じだ。

まずギリギリになると、「もうやばいよ」アラーム的なものが鳴り始める。これは自分がセットしたものではなくて、急に不安として表出するもので、どちらかというと腹の虫に近い。これが鳴ると初めて危機感を覚え、作業に真剣に取り組むようになる。自分で気づくのは本当にギリギリ (全力を出してやらないと終わらないタイミング) なので、少しでもタイミングを早めにずらさないと自分を苦しめることになる。

作業中も不安は続いている。が、「まあなんとかなるだろう」という根拠のないポジティブのせい (おかげ?) で、精神状態はなんとか保たれている。その上進捗があるとあからさまに嬉しくなって、「やったぜ進んだぜ Foooooo!!」と大喜びしたりする。深夜にテンションを爆上げさせながらモチベーションに変えて、なんとか仕上げ切る。

とまあこんな感じでやってきた。

ポジティブと不安が同時に存在するせいで、「不安をポジティブで塗り替えようとする瞬間」という父母のどちらにもない瞬間が僕に新たに存在するようになったのはある種の進化と言ってもいい。これが僕の個性であり、大切にするべきなんだろうと思っている。


記事を書いてもなお、課題は山積みだ。5月にもゼミ発表が2回控えているから、それに向けてもまたスライドなりなんなり作らないといけない。正直完成する気がしない。ギリギリで済ませないように誰かに見せることの重要性を知ったので、これからは少し早めに見せる機会を設けようかとも思っている。それができれば僕の人生が少しだけより良いものになるとしたら、有意義だと思う。

爆速で書き上げられたので時間が残っている。
今日はこれから徹夜コースか。少しは寝たい。頑張る。

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