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雨の日の読書


チューリッヒでまず最初にすることは、と今朝読んでいたレイモンド・カーヴァーの詩「スイスで」は始まります。


── チューリッヒでまず最初にすることは、五番の「動物園」行きトローリーバスに乗って、終点で降りること ──        (スイスでより一部抜粋)

    レイモンド・カーヴァー著 黒田絵美子訳 『水の出会うところ』論創社


とはいえ、目的地は動物園ではありません。釣りをするわけではないのに海釣り公園行きのバスに乗る旅人と同じです。彼の(彼と仮定して)向かう先は墓地。チューリッヒの墓地。そこにはジョイスが眠っています。



読書中座記 ー喫茶店にてー


今、窓辺に座わり、どこからか辿り着く閉店の音楽と雨音を聞きながら読書中座記を書いています。カーヴァーを思い出していた一日、雨が降っています。夕方、喫茶店へ入りました。久し振りに小さな窓からアパートを眺め、温かいミルクティーでも飲もうと思ったのです。それをするには丁度良い気候のように感じましたし、雨は外出を妨げるほど激しくはなかったからです。

しばらく仕込みで忙しなく動き回っていた店主が、折を見て話しかけてくれました。



「なんだか疲れちゃった。小さなお店なのにずっと大きな声で旦那さんの悪口を喋り続ける人がいてね。他にもお客さんいるんだから。少し気を使って欲しかったなぁ」
「うんうん、」
「ああいう話するんならウチじゃなくてヴェローチェへ行ったらいいのに」

バシン!直球です。野茂投手がメジャーリーグでトルネード投法からフォークと思わせて内角高めに投げる豪速球です。
一瞬紅茶からピリッとした感触が伝わったのは何もチャイのスパイスだけが要因ではないようでした。


続・カーヴァー



カーヴァーの本にはお墓の詩がもう一つ載っています。「その人に聞いてみてくれ」という題の五ページほどの詩です。今回彼は息子とフランスのモンパルナス墓地へ辿り着きます。フランス語を話せる息子に、ガイド役を買って出た守衛との通訳を頼み、名だたる文豪の眠る墓を巡ります。息子はお墓に興味がありません。ガイドも彼の話には興味がありません。三人は息子の通訳を挟みながら名だたる文豪の墓を巡ります。


わたしは作家の墓がみたいと言った。
息子はため息をついた。
もう見たくないのだ。

「その人に聞いてみてくれ」(一部抜粋)
    レイモンド・カーヴァー著 黒田絵美子訳 『水の出会うところ』論創社


ペール・ラシェーズ

数年前にペール・ラシェーズという墓地の前に行きました。その墓地はパリの丘にあります。墓地の前と書いたのには訳があります。見学して回らなかったのです。いや入らなかったといったら嘘になります。入り口をくぐり左手に守衛さんの詰所があったと記憶しています。全体の地図もありました。もしかしたら紙のマップをくれたのかも知れませんが記憶は曖昧です。その墓地にはジム・モリソンやアポリネール、レイモン・ラディゲ、マリア・カラス、それからショパンも眠ってるそうです。オスカー・ワイルドのお墓にはキスマークが沢山ついていると何かで読んだ記憶もあります。

ここを訪れた理由の一つは、昔友人が貸してくれた『クートラスの思い出』(岸真理子・モリア著 リトル・モア)という本を読んだことがあったからです。ロベール・クートラスという画家の生き様を、克明にしかし深い愛情を持って綴ったこの一冊は、ひとつのパリ、純朴で自分勝手でやさしい、清貧と愛らしさの同居した産まれながらの芸術家ロベール・クートラスがその生涯を終えた街として深い印象を与えました。彼が丘の上にあるペール・ラシェーズに眠っているのです。

それなのに、門を過ぎたところで墓地を巡る気持ちは霧散してしまいました。ペール・ラシェーズの坂道がキツかったからでもカーヴァーの「その人に聞いてみてくれ」の息子が持ったであろう気分とも全く違った理由がありました。時刻はまだ早く、お墓は静かだったような気がしています。

ペール・ラシェーズから踵を返して大通りを渡ると、最初に目についた二軒のカフェのうちの一つにふらふらと入りました。車道の見える窓側の席へ座ると注文を取りに来た主人らしき男性にカフェオレを頼み、Wi-Fiのパスワードを聞きました。

一度引っ込んだ主人は、暫くするとカフェオレを持ちテーブルへ戻ってきました。そして、カップの隣にちぎり取ったメモ用紙を置いて「うぃーふぃー」と言いました。フランス語ではどうやらWi-Fiをそう呼ぶらしいのです。その音はどこか愛くるしく優しく聞こえました。

詩集『水の出会うところ』

レイモンド・カーヴァの詩集『水の出会うところ』にはもう一つ気に入っている詩があります。それは「鍵を持って出るのを忘れ、中へ入ろうとする」というタイトルの詩です。この題名だけでもう十分です。読まなくてもいいくらいです。でも、読むともっと気に入ると思います。

今日は一日雨が降っていました。いや、そこに本当には降っていなかったとしても、雨の日に読むレイモンド・カーヴァーの詩集は、とてもしっとりと側にいてくれます。

それでは、また。


追伸
 後日、同じ書店で別のレイモンド・カーヴァーに出会いました。その日のことをnoteに記しましたので、よろしければこちらからどうぞ↓

https://note.com/uwaq/n/n210cbc572051






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