偽物の伝説のはじまり

市営住宅の長屋は、古くてとても汚い部屋でした。
ゴキブリ、ダニ、ノミ、ナメクジ、ねずみが沢山いて、おまけに継母になった大槻かよ子は、殆ど洗濯・掃除をしませんでした。
部屋の隅はカビだらけになり、洗濯物もカビだらけでした。

大槻かよ子もまた、重度の発達障害者でした。

私は小学五年までおねしょを漏らしていました。
虐待は受けていたのですが、四歳までおねしょをした記憶がありません。施設に預けられてから始まったのです。
両親の愛情を全く受けず、虐待、拷問を受けた子供に見られる心的ストレス障害特有の症状が出ていたのです。
戦争地区の子供達がこういう子ばかりなのだそうです。


今でもよく憶えています。


長屋に越してきてから、約一ヶ月位たった頃だったと思います。
それまで優しそうに振舞っていた父親の男が、本性を現すのは。
ヤクザになって、さらに覚せい剤の量が多くなり、常に興奮状態でした。
おねしょが三回、四回と続くと、最初苦笑いしていた父親の男が、この日を境にまた、虐待、拷問が始まりました。


「ケツを突き出せ・・・。」


目が据わっているのです。

孫の手でおもいっきり何度も叩くのです。
お尻は紫に充血し腫れ上がるのです。痛くて座れないほど腫れ上がるのです。あまりの痛さにお尻を手で覆うのですが、その手を殴打するのです。強打で指の殆どが紫に充血しパンパンに腫れ上がり、どうしていいか分らず、あまりの痛さに、わたしは錯乱状態になるのです。

泣き叫びながら、

「ゆるしてください!!、ゆるしてください!!おねがいです!!、ゆるしてください!!。」

わたしは、反射的に土下座をしていました。

すると力は、土下座しているわたしの顔面、頭を孫の手でさらに殴打し、

「だれが土下座しろと言ったあっ!!、ああっ!!?。直立不動だコラーー!!。」

恐怖ですぐに私が直立不動になると、さらにお尻を殴打するのです。六歳の子供です。もちろん我慢など出来る筈もなく、すぐさま両手でお尻を覆うのです。するとまた、パンパンに晴れ上がった両手をさらに殴打しながら、

「テメーはサルかっ!!、ああっ!!?。ケツと手の指どっちが痛てえか分んねえのかー!!。直立不動してりゃあケツだけで済むだろうがーー!!。バカなのかテメーーっ!!!。」


私は、直立不動で我慢しました。

殴打されたその数は50から100ぐらいでしょうか。

痛みと恐怖で、体が痙攣してくるのです。


「これからテメーに、稲川会本家修行を付けてやっからよう。覚悟しとけやあ。」


       父・大槻力は、完全に狂っていました。


最終的には、孫の手が鉄板の入った竹刀に変わりました。大人が乗っても全く曲がらない竹刀です。片手では持てないほどの重さです。飾り用の高級竹刀です。木刀や鉄パイプと同じでした。

それで数十回も殴打されるのです。痛すぎて、しびれて、痙攣し、感覚がなくなり、気絶しそうになるのです。


これらの暴力は、10年続きました。




私は、重度の心的ストレス障害者です。


その重度の障害のせいで、記憶障害をおこしています。
虐待・拷問、ヤクザやチンピラとの血生臭い争い。
あまりにも悲惨なことばかりで、プライベートでの事、楽しい事や、学校での事の記憶が殆どないのです。とくに酷いのは、
「ある出来事」
があった、中学生の記憶がほとんどすっぽり抜け落ちているのです。学校に通ったことも、ほとんど覚えていません。記憶喪失です。この頃の記憶の混乱もひどいのです。
高校もそうです。中学よりは、いくらか記憶があるのですが、やはり力の暴力がひどく、その記憶に支配されて、ほかの記憶がなくなってしまってるのです。


「この子は、あなたじゃ育てられない。こんな優秀な子は見たことがない。施設はじまって以来の優秀な子です。施設が責任を持って育てるので、置いて行ってほしい。」


今思えば、私もそうして欲しかったです・・・・。

施設の院長たちは、解っていたのです。
父親の男と話をしてれば、この男が頭がおかしい人間だと。
こんな男が、子供をマトモに育てられるわけがない事を。

実際、私はマトモな生活を送る事ができませんでした。

父・力は、ヤクザの世界でも特に気性が激しい男でした。
しかし、地位、名声にはなんの興味も持たない人間なので、ヤクザの世界では、あまり知られていない男でした。
そのことが、余計に争い事を引き起こしてしまうのです。
父親の男は十年位でヤクザをやめているのですが、やめた後でも現役となんら変わらないヤクザな生き方を止める事はありませんでした。
裏社会に関しての能力が高いせいもあるのでしょう。あまりにも気性が激しすぎて、まともに生きられないのです。

一生、このままでした・・・。

稲川会森田一家富田組に入り、稲川本家教育を受け、酒と女と車と麻薬と喧嘩に溺れていくのです。

そして、理不尽に、気の狂った力に殴る蹴るの暴行を受けながら、小学一年から、ヤクザ修行と称して、稲川会本家教育を受けるのです・・・・。



これから、見たくもない裏社会のおぞましさ、いや、裏社会だけでなく、政界・財界・警察・マスコミ・芸能界、あらゆる社会の裏を、たっぷりと見らされるのです。


父・力が二十六、七のころです。

  「ある理由」で笠間のヤクザ、住吉会共和連合・小柳会と、一人での抗争を起すのです。小柳会の連中は父・力の素性を知りませんでした。 


 

 
    この抗争は大事件へと、発展していくのです。

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