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【孤独感】夜の撮り歩き バーミンガム

夜になるにつれ街全体が賑やかになってくると同時に、孤独な人たちが浮き彫りになってきます。

本を読んでいる人、ホームレスの人、ランニングしている人、床に座り込んでいる人、会社帰りの人、頭を抱えている人、散歩している人、

今回のデジタル写真集のテーマは「孤独」です↓↓↓↓↓↓

「孤独ってなんだろう」とふと考えることがあります。

大抵このテーマで考え出すと部分的に解釈はできるけど、最終的に「孤独とは,,」と言葉でまとめられません。ネットで「孤独 名言」と調べてもどれも部分的な解釈で、総体的に指し示す解釈はありません。それほど人間の感情に呼応する複雑な言葉なんだと思います。

物質的に見ればあらゆる生命体を含めて人間は一人で生まれ、一人で死んでいく孤独な生き物です。そのうえで感情が介入してくると、解釈も人それぞれになってくるんですね。

人間にとって孤独は大きく分けて2パターンあると思います。「一人でいることに寂しさを感じる孤独」と、「集団から抜け出し一人になることで心の充実を図る孤独」。前者は孤独に耐えられない人で、後者は孤独を好む人です。

僕は一人の時間は好きだけどずっと一人でいると気が病んでしまいます。年を重ねるごとに一人でいる時間が多いと耐えられなくなってきました。結局はバランスなんだとも思うけど、人それぞれもつ最適な孤独のバランスが平衡に保てないとメンタルも正常に保てなくなってくる、人間って不思議ですね。

僕が今までで一番「一人でいることに寂しさを感じる孤独」を経験したのは、大学を卒業した後に、全く友人も恋人もいない地域のアパートで一人暮らしをし、したくもない仕事をしに会社を往復していた日々が一番孤独の寂しさを感じていました。要は、「気の合う人」が一切周りにいなかったのです。学生時代まではなんだかんだ友人達が周りにいてのらりくらり生きていたのが急に周りに誰もいなくなって、会社では「気の合わない人」に囲まれる日々。「孤独による寂しさ」は慣れてるか慣れてないかで感じ方もかわってくるんだと思います。自分にとっては多大な苦痛でしたが、今思うとそんなに孤独だったのかなとも思います。世の中には家族も友人も恋人もいなくて、会社にも属してない、本当に言葉通りに究極の「一人」だけで生きている人がいると思うと、自分の感じていた寂しさというのは大したことなかったのかなと思います。「寂しさ」とはあくまで主観であって人と比べてどうこういうわけではないんですけどね。

「集団から抜け出し一人になることで心の充実を図る孤独」を初めて実践したのは大学生の時、大学を休学し、カナダへワーキングホリデーに飛び出し、その後アメリカへバックパッカーをした時でした。大学生活は僕にとってはただだらだらと遊んでいただけで集団の中にいても胸にぽっかり穴が開いている感じでした。周りが就職活動を始めてそのまま社会人になってしまいそうな頃、なにかがおかしいと感じていた僕は、お金を貯めて、思い切って飛び出すことにしました。人はたいてい幼稚園から小学校、中学校、高校と集団生活を強いられ、その後学校を卒業か中退すれば会社という集団に属する人が大半だと思います。集団にいればその集団を崇拝しようが歯向かおうが、結局はその集団に影響されて思考回路を形成させられることになるのです。そんな中でも僕は日本から遠く離れた土地で一人で生活し初めて帰属意識から遠く離れることによって視野が広がり客観性もだいぶ広がりました。

僕の経験してきた「孤独」ってそんな感じです。

要は何が言いたいかというと「孤独」とはヒトによって解釈が違うということ。いい意味でも悪い意味でも捉えることができるますしスケールも人それぞれです。あまり深く考えてもしょうがないテーマなのに何故か深く考てしまいますが。

掘り下げていくと「虚無感」や「死生観」といったテーマにつながって膨大な内容になってしまうので今日はこの辺で。また別の記事で掘り下げてみたいと思います。

それではまた。







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