山口桂さんにお話を伺いました。
山口桂さんは、世界的オークション会社であるクリスティーズの代表取締役社長を務められている方だ。日本・東洋美術のスペシャリストとして活動されており、日々アートや美と向き合う仕事をされている。以前は京都芸術大学基礎美術コースの客員教授を務められていて、山口さんの実体験からなるオリジナリティ溢れる授業の展開を学生に向けて行われていた。
京都芸術大学の入試は、実際に普段行われているような授業に参加することで審査を行う体験授業という入試形態を取っているのだが、私はそこの受講生として山口さんと知り合った。だから、ここから先は山口先生と呼ばせていただきたい。
入試部屋にはスーツの着たガタイの良い男性が古美術品を鑑定している映像が映し出されていて、それを観たときは審美眼が必要な難しい仕事なんだろうなと少し遠い世界の人のように感じられた。でも、しばらくするとその男性が部屋に入って来られてお隣に座られたので「あれ、こんな身近に?」と驚いたのを覚えている。審美眼を光らせていたこの男性こそが今回インタビューを引き受けてくださったスペシャリスト・山口桂先生だった。
体験授業では、茶杓師の安住樂風先生の指導のもと茶杓制作を行った。茶杓とは緑茶を点てるのに使用する茶道具のことで、抹茶を茶器からすくって茶碗に入れるための匙のことである。茶杓を作る大学なんて聞いたことがない。初めてのことばかりで手元がおぼつかなかい中でも、何とか作り終えることができた。
講評会は陰翳に包まれた茶室の中で行われた。学生の制作した茶杓を一つ一つ手に取って「わびですね」「うん、君のはさびだね」と先生方がコメントしていく。当時高校生の私にとってかなり不思議な体験だった反面、幼児期に経験したお茶会の記憶が蘇ってきて懐かしい気持ちになったことを思い出す。緊張が次第に解けていったことから自身の茶杓には『氷解』という銘を付けたのだけど、山口先生にそう説明したら柔らかく微笑んでくれたことが印象に残っている。
やがて無事大学に入学することができ、卒業の時期が近づいてきたこのタイミングでメールを送らせていただいたところ、多忙の中にも関わらず快く引き受けてくださった。
インタビューは以下の通りに進行するので、読む際の参考にしていただけたらありがたい。質問は人間にとって普遍的で抽象的な問いについてだ。
それでは、インタビューの幕開けです。
I 日本のアートエイリアン
ー「山口桂」とは何者ですか?
自分であろうとしている姿と、人から見られている姿は恐らく全然違う。これは自分自身について聞いてくださっているので、僕が自分のことをどう思っているかについてお話させていただきますね。忌憚(きたん)なく言うと、今の仕事を僕は天職だと思っていて、美術品と関わる人生はすごく重要だと思っています。父親が日本美術史の先生で、子供の頃から美術品との距離が近い環境で育ちました。もちろん紆余曲折と色々あったわけなんですけど、日本美術と少し広い意味のアートに関わって今は生きている。山口桂という人間の大部分は、下手すると丸一週間アートを見ない日はないし、アートに触れない日はない。ラッキーだと思うのは、仕事と趣味が合致してるので生活の全てにアートが浸透していることですね。細胞にアートのようなものが浸透していて、寝ても覚めても自分の専門分野だけでなく、アートのことを考えたりアートに置き換えて考えたりする。
実はブログを20年ぐらいやっているんです。はてなダイアリーというところでトウキョウ・アート・ダイアリーという名前で書いているのですが、ニューヨーク在住中に始めたので、最初はニューヨーク・アート・ダイアリーでしたが、その頃から本当に色々な方が見てくださるんですね。
そこで僕が使用しているIDが「アートエイリアン(art-alien)」なんです。これはどういうことかというと、ニューヨークでは不法入国していない正規のルートで入国している外国人のことをリーガルエイリアンと呼ぶんですね。だから、自分はアメリカではエイリアンだったんだけど日本に帰って来たのでそうではなくなってしまった。でも、20年近く外国にいた上に今でも外国の会社に勤めていて、典型的な日本人ではないので、日本の中でもエイリアンみたいだと自分自身で思っているんですよ。そういう意味で、日本の社会において何者かと聞かれると、僕はアートエイリアンということになるのだと思います。
ー確かに、山口先生はアートのオーラを常に放たれてますよね。
そう言っていただけると嬉しいです。20年来の友達がいるんですけど、ニューヨークや日本に帰って来て一緒にご飯を食べるたびに「アート業界の人に見えない」と言うんですね。「じゃあ何に見えるんですか?」と聞いたら「ハワイの不動産屋にしか見えない」と言うんです。ハワイの不動産屋さんを馬鹿にするわけではないんだけど、自分がアートの中でずっと生きているから、あんまりそういうふうに見えないと言われるとショックだったので、すごく嬉しいかな。別に見かけがアートっぽいかどうかというのは大した話ではないとは思うんだけどね。
ー山口先生にとって「美」とは何でしょうか?
これはよく言われる話ですけど、美とはやっぱり発見ですね。世界に共通する美もあるとは思うけど、恐らくその人によって美は全然違うんです。有名な美術館に行って有名な絵を見て、そこに100人いたら80人や90人ぐらいの人は「綺麗だな」と言う。だけど、その内の5人や10人ぐらいは「どうしてこんな作品を良いと思うの」と言う人が必ずいるわけじゃないですか。それは結構重要なことで、やっぱり人にとって美というのは各々違うものです。美しいと自分が思ったら、それは美しいものなんだと僕は思うんです。世の中にはすごいグロテスクなものしか愛せない人もいるし、混沌とした状況の方が好きだと言う人もいる。そういう人達がいるので、美というのはやっぱり発見で、その人その人が美しいと思ったら美なんですよね。
ー山口先生が美を感じた瞬間はありますか?
ある映画でクリムトの『接吻』を観たんです。当時の僕は18歳か19歳で、ピカソやアンディ・ウォーホルぐらいは知っていたんだけど、映画を観て初めてその絵を知ったんですね。それでお金を貯めて『接吻』があるベルヴェデーレ宮殿に一人で観に行ったんですけど、それはもうすごく大きな絵で観た瞬間にノックアウトされました。今までにも「良い絵だな」とか「綺麗だな」と思った絵はあったわけだけど、その絵からはまた違った感動を受けたんですね。金箔が使われているから絢爛豪華なんだけど、描かれている男女は寂しげに接吻をしているんです。煌びやかなんだけど陰鬱としたイメージも同時にあって、次の瞬間には全てバラバラと砕け散ってしまうような様子を感じさせるんですね。これもよく言われる話になるんですけど、ここに描かれている二人は崖っぷちに立っていて、崩れ落ちるかもしれない瀬戸際で生まれる高揚する気持ちや、死があるからこそ動かされる生の感覚のような瞬間の美をクリムトは描いていると思うんです。次に何が起こるのか分からない恐怖がある美しさで、それに感動した経験があります。
もう一つ、辻井伸行という盲目のピアニストがいるでしょう。彼の子供の頃のドキュメンタリーフィルムを飛行機の中で観ていたことがあったんです。彼が野原を歩いて花を触っている場面で、目が見えないんですよ、見えないのにね、「綺麗だな」と言うんです。最後にインタビュアーが辻井くんに「お母さんはどんなお母さんですか?」と聞くと「僕のお母さんはすごい美人で」と言う。それを見て感動した理由の一つは、美しいと思う心は実際見なくても感じることができるということを考えたからです。そのお母さんから受ける優しさや掛けられる言葉だとか、自分を何とか世話してくれている母親としての気持ちみたいなものが美しさで表される。僕たちは目が見えるから目に見える美しさを必ず求めるじゃないですか。やっぱりハンサムがいいとか、美人がいいとどこかで思っているし、そうに越したことはないとも思う。でも、それができない人の持つ美の感覚というのは、僕らの美をある種超越していて、より美の本質に近いと思ったことがあります。
ー山口先生にとって「アート」とは何でしょうか?
これも美に近いもので、やっぱり発見的なものであると僕は思う。アーティストが山奥で一人何かを描いていても、自分だけが素晴らしいと思いながら死んでいきます。でも、残された作品をあるとき誰かが発見して「素晴らしい」「これいいな」と思った瞬間にアートに変わる。
アートというのは、アーティストの独善的なものである段階まではそう呼べないんじゃないかと思うんですよ。作ったものが誰かの目に触れたり、人と人との間に介在したときに初めてアートと呼ばれる。自己満足を満たすためにアートが生まれてきたり、アーティストが作った行為自体が素晴らしいということも、もちろんあるかもしれないけれど、広い意味で作品が誰かの目に触れられて段々と伝播していく力があるのがアートだと思う。誰かが描いたり作ったりしただけのものはアートと呼びづらいかな。自分で描いていたり焼き物を作ったとしても、それは物であってアートでないような気がするんですよね。
Ⅱ アートと暮らす
ー山口先生にとって「仕事」とは何でしょうか?
仕事は人生においてお金を得るための方策でもあるけど、僕の場合は仕事と趣味が結構一致しているところがあります。趣味でお金をいただいているとは言えないけれど、それに近い感覚はあるんですよね。嫌なことや苦労することもあるんですけど、日々こういう仕事があるという幸せはコロナのときに強く感じさせられました。学生の皆さんも対面授業が無くなったりなどフィジカルにできないことが増えて、誰かとのコミュニケーションや自分がやりたいことが憚れることもあったと思います。
ある科学者の方と昔ね、自分が一番好きなことを仕事にするべきかどうかというテーマで議論になったことがあるんです。
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