見出し画像

心理学と裁判の誤判について~心理学批判その1~ 

私は哲学畑であり、かつ、心理学を認めていない主義である。といっても、いつまでも食わず嫌いでいても仕方ないので、フロイト著『精神分析入門』を読んでみた。

『精神分析入門』が厳密には心理学であるといえるかは別としても、少なくとも心理学の立場からみた分析となっている。読み進めるにあたっていくつか気になった点をメモしておいた。
「蓋然性の寄せ集め」
「証明の方法?」
「現象学の始まりが記述的心理学であったのはうなずける」
「ただし排斥ばかりでは不可知論に陥る可能性も」

本書で見受けられたのは、仮定を立てるのはいいが、そこから結論への道程があまりに短絡的に過ぎるということだ。証明という言葉を何度も見かけるが、それは科学と呼ぶにふさわしいかに疑いを持たせる程度のものだ。

さてここで、本書の次にたまたま読んだ本に上記のメモと同じことが書かれていたので驚いたのだが、そのことについて先に述べよう。
『裁判官はなぜ誤るのか』という元裁判官(秋山賢三)の書である。以下、メモと一致したキーワードについて引用する。

「証拠に基づいて認定される訴訟的事実が価値中立的・絶対的な事実の認識と一致するか否かが真実性の基準であるが、現実には先に述べたように、結局、「高度の蓋然性」で満足するしかない。中略 したがって「合理的な疑いを超える程度の証明」という基準も、所詮は相対的なものでしかないわけである。」
「すなわち証拠を構成する側の認識能力の限界や制度上の制約に誤判の原因を求めて「不可知論」をとるべきではない、と結論を下している。」

また、『裁判官~』では、心理学と法律学の結びつきについても触れている。予想はしていたことだが、裁判が数学ほど精確でないのは当然のことであり、高度の蓋然性で満足するしかないのであって、不可知論に陥ってはならないというのは、まさに現実の場から出た声なのだろう。そこに「心理学」(私は学と名付けてもいいのか、くらいに信用していないが)と共通した点を見つけても、不自然ではなかったのだと思う。(その2へ続く)

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?