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AIはメロンを知っている?


「知っている」ってなんだろう

この手のシンプルな問いに答えるのはとても難しい。

ここでAIに「メロン」について聞いてみよう。

ー以下はAIの回答ー
メロンは、夏季に主に収穫される果物であり、多くの人々に人気があります。メロンは、外側が緑色や黄色で、内側は甘くてみずみずしい果肉を持っています。一般的に、メロンの果肉はオレンジ色や淡い緑色をしており、種子が多く含まれています。メロンは、生食やフルーツサラダ、スムージーなど、さまざまな料理や飲み物に使用されます。その甘い香りとリフレッシュする味わいから、暑い夏には特に人気があります。
ーAIの回答はここまでー

どうだろう。過不足なく説明されているように思う。
じゃあAIはメロンを「知っている」ことになるんだろうか。
それとも単にメロンを「定義している」だけなんだろうか。

かなり哲学的な問いになってきた。
こういう時は偉い人に聞いてみよう!

ということで
「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか(今井むつみ;秋田喜美、中公新書)」を手に取った。

本当に「知っている」ってどういうこと?

「知っている」というのは「対象について身体的な経験を持つ」ことになるらしい。

僕たちが「メロン」という単語を聞いたとき、思い浮かべるあの匂いや触感、味やみずみずしさ、こういった諸々を含めて初めて「知っている」ということになる。

これに従うと、AIはメロンを別の言葉で言い換えているだけで、知っていることにはならない。ということになってしまう。

じゃあどうしたらいいんだろう。

AIに身体を作ってやればいい。実際にメロンを見て、触って、嗅いで、食べさせればいいんだ。そうすれば彼らはメロンを「知っている」ことになる。

割と説得力がありそうな問題提起じゃないかと思う。

けどちょっと待ってほしい。
実体のないものはどうだろう?

確かに僕たちはメロンと身体的なつながりを持つことができる。
でも愛はどうだ。

愛には実体がない。けど僕たちは「愛」という単語を聞いたとき、「愛」の定義とは別にその感触(のようなもの)を思い浮かべることができる。

AIを搭載したロボットにこんなことができるんだろうか?
逆の問いかけもできる。なぜ人間にはできるんだろうか?

勘違いの効用

人間の思考にはちょっとしたクセのようなものがある。
こんな実験がある。

「黄色の積み木」を見せたら「○」の記号を選ぶ
「青色の積み木」を見せたら「◇」の記号を選ぶ
とチンパンジーに学習させたとしよう。

学習した後に、逆にしてみる。
「○」の記号を見せて「黄色の積み木」を選ぶ
「◇」の記号を見せて「青色の積み木」を選ぶ
チンパンジーはこの組み合わせを導けるだろうか?

そんなの簡単じゃないかと思うだろう。
しかし、彼らにはこの組み合わせを選ぶことができない。

なぜだろう。

実はなぜだろうもクソもない。
この逆の因果関係は論理的に間違っている。

もう少し具体的にするとよくわかる。
「ペンギンは鳥である」というのは正しいけれど、
「鳥はペンギンである」というのは正しくない。

当たり前のことだけど、僕たちにはこんな勘違いをするクセがあるんだ。

今ならよく理解できると思う。
「黄色の積み木」が「○」だとしても、
「○」は「黄色の積み木」にならない。

人間はあることを知ると、その知識を過剰に一般化してしまう。

お風呂に入ると「あたたかさ」を感じることができる。

誰かから愛情を受けたとき、お風呂に入った時と同じような「あたたかさ」を感じることはできない。(愛情を受けても体温は上昇しない)
けれど僕たちは心があたたかくなったような感触を得ることができる。

たぶん、お風呂に入ったときの「(心地よさを含んだ)あたたかさ」を、愛情を受けたときの「あの感じ」に当てはめているのではないだろうか。

論理的には間違っているんだけれど、そうやって実体のない抽象的なものの感触を獲得してしていくのかもしれない。

ラーメンズファンは読んだ方がいい

ここで1つ注意点がある。

まるで要約のように書いてきたけど、この記事は本書のごく一部を切り取っただけだ。しかもお風呂のくだりについては、本書のどこを探しても書いてない。僕が勝手に付け足したからだ。

タイトルを思い出してほしい。本書のテーマは「言語の本質」だ。
こんな壮大なテーマをずぶの素人がまとめるなんて土台無理な話だろう。
ということで好きな箇所だけを紹介している。

そうは言っても内容が難しいというわけではないから安心してほしい。
素人にもわかるように書いてくれている。
特にオノマトペの章はめちゃめちゃ面白い。

ラーメンズファンなら、というか小林賢太郎ファンなら読んだ方がいい。
彼らはコントの中で語感・音の響きを使って遊んでいる。

「シフォンケーキ」と「ガトーショコラ」では、その言葉を知らなくても、どっちが「ふわふわで軽いケーキ」で、どっちが「ずっしりした重いケーキ」かわかるはずだ。

これはラーメンズのコント「名は体を表す」の一部だけど、ほとんど音象徴の話をしている。小林賢太郎は言語学を学んでいるんじゃないだろうか。
本書を読んだ後にラーメンズのコントを観ると、さらに楽しさ発見できるはずだ。

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