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体験記 〜摂食障害の果てに〜(23)

 ある朝、喉の奥近くにできていた大きな傷がふさがり始め、舌の先の裂け目が閉じかけていました。
(治る!)
 躍り上がるような喜びが、期待と共にわきあがってきました。とうとう私にも、治る時がきたのです。やっと水を飲める日がくるのです。その日から、口の中の傷は急速に治っていきました。
 水を飲めるようになったら、今度は食事をしてみたくなりました。いつまでも点滴だけでは、家に帰れません。当たり前に食事できるようになって、早く退院したかったのです。
(おもゆでいいから、食事ができたらいいのに。お味噌汁を飲んでみたい!)
 面会に来た母に、そのことを言いました。母は、帰り際、看護師さんにお願いしてくれました。看護師さんは、先生に伝えておく、と言ったそうですが、翌日も食事が出されなかったので、主治医の先生が部屋に来た時、直接お願いしてみました。
 先生から許可が下りて、食事が出されたのは、翌々日のお昼でした。おもゆに具のないお味噌汁、それに高カロリーのミルクティーが付いてきました。恐る恐る、おもゆを看護師さんにスプーンで口に入れてもらいました。ひょっとしたら、またお腹が痛くなるのではないか、と心配でした。
 『感無量』というのはこういうことを言うんだな、としみじみ味わいました。ご飯粒のない、水のような食事ですが、いかにも『食べた』という、感動に包まれました。普通に、自由に食べれていた頃には、食べるということが、これほどまでありがたい事だとわかりませんでした。お味噌汁も、沁み入る美味しさでした。もう二度と同じ過ち(摂食障害)は犯すまい、これからは何でも『普通に』食べていこう、と深く反省しました。
 食事は、一日一食だけでした。点滴をしているから、食べなくてもいい、と言われましたが、やっぱり食べた方がいい気がしました。一食では物足りなくて、三食に増やして欲しい、と主治医の先生にお願いしました。すると、
「その代わり、一食の量を減らしますよ。」
 と、おもゆもお味噌汁も、半分の量になりました。それでも嬉しかったです。三食食べれるのは、最高に幸せです。最初の頃は、スプーン五~六杯程度でしたが、毎日、少しずつ、量を増やす努力をしました。でも、食べすぎると、膵臓がまた悪くなるかもしれないので、爆弾を抱えている気持ちでした。ヒヤヒヤ、体と相談し、絶対に食べ過ぎませんでした。
 ある日、おもゆが、ただの水でした。おそらく、作る人がおもゆになる前に、取り分けたのでしょう。それが度々続いたので、三分粥へと変更してもらいました。ご飯粒があるだけで、『食べた』感がグッと増しました。おかずも、コーンスープとお味噌汁の繰り返しだったのが、魚や芋が出てきました。お豆腐が好き、と言ったら、お豆腐ばかり出てきました。
 後から聞けば、栄養士さんが家族にも、私が何を好きか聞いたので、母は、「豆腐。」と、答えたそうです。それで豆腐ばかりのおかずになったのか、と納得しました。でも、豆腐に薬味も付けず、ただの醤油だけだったり、全く醤油もなしの時がありました。味覚が狂っていたのか、全く美味しく感じず、家族に梅干しを持ってきてもらって食べました。魚や肉は、消化しにくい気がして、全く食べませんでした。コロナの部屋にいた時、カレイの煮付けを食べ、消化不良を起こし、苦しんだので、食べるのが怖かったのです。
 

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