見出し画像

体験記 〜摂食障害の果てに〜⑪

体が焼かれる

 私は眠っていないつもりでしたが、奇妙な映像ばかり見ていました。体育館の二階にベッドがあって、自分はそこにいる気でいたり、集会所のようなところで、多くの人達と布団を並べて眠っていたり。妖精が来るという草原で、建物の中からその様子を見守っていたり。あるいは二階から飛び降りて骨を折ったところで、母に助けてもらったり。でも、自分では、全て本当だと信じきっていたのです。病院にいるのに。
 ある時、体が急に暑くなって、それは、死んだ時と同じ暑さでした。また死ぬのか、と思いました。でも、今度は看護師さんが近くにいてくれるので、すぐ来てくれました。布団を全部取ってもらい、クーラーをつけてもらっても、まだ暑くて暑くて堪りません。
「氷! 氷を持って来て下さい!」
 と、叫ぶと、看護師さんが、
「そんなにすぐには行けないんだから!」
 と、言いつつ、防護服も防護マスクも着けず、保冷剤の大きなのを「はい」と、持って来てくれて、だっ、と駆け出て行きました。(あの看護師さん、大丈夫かなぁ。)と、反対に私の方が心配しました。氷を受け取った私は、顔や体にくっつけました。暑くて暑くて、体が焼かれるようだったのです。
 暑さはしばらく続き、急速に寒くなってきます。クーラーを切ってもらい、布団を掛けてもらい、氷を外します。何故こんな急激な変化が起こるのかわかりません。早く普通の体に戻りたい、と願いました。
 呼吸するのも苦しくて、体が潰されるようでした。息をするのも止めてしまうのも、同じ苦しさでした。もう耐えられそうになくて、看護師さんに、
「安楽死させて下さい。」
 と、何度も願いしました。家で飼っていた猫が癌に冒され、治る見込みがなく、あまりに苦しむので安楽死させてもらったのを思い出しました。猫は、眠るように息を引き取りました。だから、私も安楽死させてもらいたい、と思ったのです。母には悪いけれど、どうしたってこのまま生きていられない。もう限界だ、と思ったのです。生きていればいいこともあるかもしれません。でも、もう、耐えられなかった。お願いだから、楽にしてほしい……!
 日本で安楽死は認められていません。知っていました。でも、願わずにいられない、刻一刻が限界の苦しみだったのです。
 看護師さんは、「良くなりますよ。」と、いつも、静かに首を振りました。
 一週間くらい救命センターにいて、また元の個室に戻されました。もう危機的状態は去ったのかな、と思いました。でも、苦しさは大して変わっていませんでした。一番気になったのは、又パンとおにぎりの食事に戻されるのではないか、ということでした。でも、
「大丈夫ですよ。お粥のままです。」
 と、看護師さんが言ったので、ほっとしました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?