見出し画像

初めてのデイサービスは文句が出がち(2019/1/10(木)のメモ)


2019/1/10のメモ

今年最初の実家での食事はカツ煮定食でした。
今年も毎週出来れば違うメニューを注文して全メニューをコンプリートしたい。
今週の火曜日お母さんが始めて老人ホームで半日デイサービスを受けたとのこと。
知らない人ばかりで特に楽しくもなかったとかお父さんが楽したいだけとか文句を言っていた。
確かにそういった部分はあるので反論が出来ない部分もあるが、それは言えないので「段々慣れるから」と諭しておいた。
これから通ううちに何か楽しみを見つけてくれるといいな。


カツ煮が美味そう

写真のカツ煮美味しそうだな。
名古屋のカツ丼はご飯の上にカツ煮がのるタイプが少ないという話をたまたま昨日聞いた。僕の料理の初期値は実家の味なので、それは知らなかった。

自宅の近所の夕景
最近マンション建設が盛んです

今回の記事は、先日書いた下の記事アンサー記事というかその後日譚的なものになります。

メモに何気なく「老人ホーム」と書いているけど、介護サービスを行っている施設もさまざまある中でこの当時は僕もよくわかっていなかったんだなとメモの書き方でよく分かる。デイサービスとデイケアが別物だったり介護保険の点数が違うこともつい最近知ったし。

この記事、僕の記事の中では割と反応が良かった。タイトルが良かったんだろうか?「桐島部活辞めるってよ」のフレーズを頂いてみたのが好評(?)の要因か?

疲れるだろうね

デイサービスは行く日によって通うメンバーが異なるので、いくら日帰りとはいえ自宅とは異なるから疲れるだろうというのは想像できる。たまに「これはお母さんの為になっているのか?」と考えることもある。ケアマネさん曰く「介護サービスは介護する家族の為のサービスだから」と言う。そうなのかと単純に腑に落ちる、なんてことはない。みんな心の折り合いをどこかでつけながら踏みとどまっている。

介護の世界

僕はこの世界の入口で戸惑いながらも、まだ踏み出したばかりだ。介護と子育ては「手がかかる」と言う意味に於いては似ていると言われる。決定的に異なるのは子育ては成長とともに手がかからなくなるのに対して、介護は終わりが見えないこと。介護を続けていると「絶望」にも段階や種類があるんだと知ることになる。今振り返るとこの当時の「絶望」は何も分からないことから来る不安が引き起こしていたのだと分かる。「絶望」のだいぶ手前のもんだと今なら思える。
言葉のニュアンス的には本当は「絶望」とも違う気もする。「絶望」ならそこで終わりのようだけど介護は「苦しい」が続く。例えるなら常に誰かに首を絞められている。誰かでもないかな。自分にかな。noteでも書かなきゃやってらんな〜い。はぁ〜と、ため息の回数が増えます。でも、自分が大人になってからはめっきり接することがなくなった親と向き合う時間を介護は与えてくれた。親子として家族として笑える時間を共有できることは介護の中の喜びかも。そういえば記事を書いていて思い出したことがある。映画「浅田家」。コレについてはまた改めてということにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?