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NO:010【歩き方】

 あけましておめでとうございます。
 と言っても、随分時間が経ってしまったのですが、一応、挨拶をしておきます。
 この記事を投稿する前までは、ずっと、別の記事を書いていたのですが、相当内容が複雑になり、書けば書くほど長くなる一方になり、記事として発表できるのはいつになるか不明になっています。

 今年24年は、世界的な大革命の時代だと言われているようです。
 例えば、アメリカでは、大統領選挙が行われる年であり、他の国でも、ロシアの大統領選挙、EUの議会選挙が行われるそうです。
 また、数日前の13日土曜日には、台湾の総統選挙があったようですが、選挙で与党の人が総統になったが、なぜか、逆に議席は過半数割れを起こす現象が起こっています。
 まぁ、ある話を知っていると何となく予測は出来た話なのですが、例をあげるとしたら、『東京五輪』を開催するか、しないか で、揉めて、開催したけど当初の計画とは、全く別の違ったものになってしまったと言う話と同じようなものであると考えられる。
 いずれにしても、世界の大きな秩序を決める重要なリーダーの選出する年であり、日本でもこれからの身の振り方を改める必要がある年でもあります。
 そこで今回は、【歩き方】について語ろうと思います。
 私達は、これからどうこの世界を歩いて生きて行くべきなのか、その問いに対するヒントになったとしたら幸いです。

【人の歩き方は個人情報】
 歩き方は、100人いれば100通りの歩き方がある重要なそれぞれの個人情報になっています。
 そのため、歩き方だけでも、本人確認できると言われており、例えば、アメリカ大統領が、わざわざ飛行機の入り口から登場して、歩いて出て来ることが、その証拠の一つになる。
 わざと外のタラップを歩くこと(降りて来る時)で本人確認をしており、トランプ大統領など飛行機から降りて来る様子を見ていれば本人確認ができる訳です。
 お互いにその人物が偽物であることを知っている場合はよいが、逆に、知らないで誰かが降りてきた場合は誰であるかと言う大きな外交的な問題になります。
 一番わかりやすい人物で『バラク・オバマ』がおり、彼は、ぴょんぴょん跳ねるように歩いていたのが、突然、すましたように普通に歩き出したそうです。こう言う場面をわざと見せることで偽物であることを伝えている訳なのです。

『アニメーションにおける歩き方』
 アニメーションにおいて、【歩き方】は、最初に教わる基本中の動きである。
 現に、私は【前歩き】【横歩き】【斜め歩き】の3つを教わりました。
 しかし、現在の日本のアニメーションにおいて、歩き方は何一つ重要視されるものではなくなっており、それは歩きのアニメーションをちゃんと描こうとすると、歩きのループを作るだけで大体16枚ぐらいの絵が必要になるからです。
 昨今のテレビアニメにおいては、歩く動き対して、嫌がられ、さらに、地面を描くこと。つまり、パースなどを考えて作画することすら拒否して、上半身または、バストショットがメインにして描かれるようになりました。
 これはいわゆる手抜き技法のひとつです。
 今の日本のアニメーションは、キャラクターを歩かせることすらできないような世界になってしまいました。
 そのため、40年以上前に描かれたテレビアニメにおいて、キャラクターの全身を描きながら歩かせていた、あの技術は相当凄いものであったことを証明しています。
 また、『耳をすませば』のエンディングにおける歩きのアニメーションは、歩いているだけで、その人が子どもなのか、男性なのか、女性なのかを表現していることは、有名な話にもなっています。
 しかし、現在の日本のアニメーションにはその技術は完全に失われてしまったようで、このままでは、そのうち、誰も【歩き方】も描けず、歩きの重要性を知らず、失われていく技術の一つになっていくようにしか思えません。


 ですが、【歩き方】は、お芝居においても重要な意味を持ち、あの有名な少女漫画『ガラスの仮面』において、主人公の北島マヤが、通行人の役をやるように言われた時、このようなやり取りがありました。
 北島マヤが中学校の演劇部の発表会(創立記念文化発表会)で、演劇部に頼み込んで、実際に舞台での稽古をする時、演劇部の部長に通行人の役を与えられました。
 しかし、北島マヤは、部長に対して「どういった人物なんですか?」を聞きました。
 一連の流れをセリフのみ書き出すとこうなります。
部長「通行人の役よ、舞台の端から端まで歩いて」
マヤ「通行人?」
部長「何?不服なの?」
マヤ「いいえ、そんな。それで、どういった人物なんですか?」
部長「どういった人物ですって! 通行人は、通行人よ」
マヤ「でも、お年寄りなのか、若いのか、お金持ちなのか、
 貧しい人なのか、どんな職業の人なのか、それによって、
 歩き方も違って来ると思うんですけど…」
  唖然とする演劇部の部員たち。
マヤ「あっ、あの…生意気言って、ごめんなさい」
部長「じゃぁ、物売りの女将さんよ」
マヤ「どんな風に?」
部長「そっ、そうねぇ、疲れて家に帰るところ」
 髪をぼさぼさにして疲れた物売りの叔母さんの演技をして
 歩き出すマヤ。
部長N「たかだか、通行人の設定なんて考えたことなんてなかったわ。
この子、やっぱりただものじゃない」

 いかがでしょうか。たかだか、通行人の役を演じるにも考えることがあるのです。
 北島マヤがこれだけの発想と行動ができるのは、月影千草の指導によるものです。
『通行人の役』と一言で言っても、年齢、性別、その時の体調、
 時間帯など多くの情報が必要とされます。
 そして、この考え方は今回のテーマになる【歩き方】も同じなのです。
 女性なのか、男性なのか、若いのか、年寄なのか、疲れているのか、元気なのか、その時の状況によって、歩き方も変化します。
 この変化をアニメーションで動かして表現することこそ、アニメーションの醍醐味だと私は考えます。
 しかし、残念なことに、この演劇部の部員のように、このような発想や考えを持てる人がそもそも存在せず、指摘されて初めて気が付く人が多いのが現状です。
 この『ガラスの仮面』でのこの一連の話は、アニメーションを作る上で重要なものであり、多くの芝居についてアニメーターに教えてくれるものがこの作品を通して伝わってきます。
 しかし、今のアニメーターはそのことを理解できず、知りません。また、目の前の仕事に追われているので、そのことに気が付かず、日本のアニメーションの技術は失われていく一方だと思われます。


*まとめ*
 私たちは今、【歩き方】について見つめ直さなければいけない時が来ています。
 それは、アニメーションの動きの【歩き方】ではなく、自分自身の人生における【歩き方】に焦点を当てて行かなければいけないのです。
 なぜなら、世界は大きく変わろうとしており、自分の意思とは関係なく、既に大きな歴史的な転換期が迫って来ているからです。
 それは、川の流れのようなものであり、私達はその流れに、流されないようにしっかりと泳いでいかなければ、流されてしまうからなのです。
 だからこそ、自分の足で歩かなければいけないのです。
この大地をしっかりと踏みしめて、一歩一歩確実に歩いて行かなければいけないのです。

 初めて間もないブログですが、今年も読んで頂けたら嬉しい限りです。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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