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「自信がないってダメなことなの?」→ダメじゃありませんが〇〇に対してのみだと超危険です。

自信の有無って意外にボーカリストがよくぶつかる悩みだと思うんです。
というか、人なら誰でも悩むのことなのかもしれませんね。

ところがこの悩み、多くの場合「適切な悩み方」をされていません。
「(自信が)あった方がいい!」とか「ない方がいい!」なんていうのは散々議論されているようですが、どうも話が根底から拗れているのです。
僕なりではありますがその拗れのないように考えを書いていこうと思います。


1.「 自信あった方がいいVS自信ない方がいい論争」の問題点


タイトルにもありますが、自信がないのは悪いことじゃあありません。
自信がないのにも色々な利点があり、うまく活かせば恩恵が得られます。この記事を書いている僕自信も自信のないのを利用して様々なことを学びましたし、達成してきました。

しかし結論から言うと自信は必要です。
必要とは「必ず要する」のことです。なくて良いわけがありません。
…きっと矛盾していると思われた事でしょう笑

あえて紛らわしい言い方をしましたが、
『自信』と一言に言ってもその中には「絶対に持っていた方が良い自信」や「大きな損を招く悪い自信」があります。
「自信がなくても大丈夫!!」と言われている方は後者のみのことを言っているのだと思われます。

まずは自信という言葉の意味を正確に定義するところから始めていきますね。



2. 自信とは何か


辞書で引くと

自信…自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心。

こう出てきます。
この文章から自信の種類が一つでないということがわかります。

「自分の価値を信じること」と「自分の能力を信ずること」
確かにどちらも「自己を信頼する心」ではありますが、
この二つは本質的に全く異なる要素を持っており、一括りにされるべきものではありません。

僕が持つべきだと主張しているのは「自分の価値を信じる方の自信」であり、
持ちすぎるのは危険だと感得ているのは「自分の能力を信じる方の自信」です。

(なぜでしょう??
自身の持ち方やら何やらについて語る方、悩まれる方は世の中にたくさんいるのに、この二つを明確に切り分けて話せる方があまりにも少なく感じます。)
日本語の難しいところですね…

この二つ、信じる対象が違うだけではなく性質もまるで違います。

能力を信じる方の自信は、
外からエネルギーを受けやすく、
熱しやすく冷めやすい、
向上意欲と強く結びつくタイプの自信です。
他人の能力との比較、勝ち負けなどに作用され易いのも特徴です。

自分の価値を信じる方の自信は、
内面的な自己から強い影響を受け、
熱しづらく冷めづらい、
持続や維持の意欲と強く結びつくタイプの自信です。
他人との比較に作用されることもありますが本来それは不毛なこと、こちらは良いも悪いではなく、純粋に自分に価値を感じるだけです。


まるで真逆ですよね???

自分に欠如または不足しているのがどちらかを正確に知らなければ、かえって悪い対処をしてしまう可能性は大いにあり得るのです。


※最近はやっている言葉で「自己肯定感」と「自己効力感」があります。

・自己肯定感(=自尊心、セルフエスティーム、self-esteem)は自分のあるがままの姿を受け止め、「自分は大切な存在だ」と心から思える感覚。

・自己効力感(セルフ・エフィカシー、self-efficacy)は自分の行動が予期する結果を生み出すことへの確信。

ニュアンスは多少異なりますが、それぞれ「自分の価値への自信」と「能力への自信」に近いところがあります。
注意するべくは、「能力への自信」と「自己効力感」は自信を持つ対象に微妙なズレがあるということです。
能力への自信は「能力そのものの高さ」を信じますが、自己効力感は「ある結果が自分の行動によって引き起こされる」ということを信じます。
能力そのものに自信があったとしても、訪れる結果が自分の能力によって引き起こされるということに自信が持てない可能性はあります。逆も然りです。

さらに言えば、能力の自信というのは「(自信の得意な)ある一部の能力」に限定されて使われますが、自己効力感はあらゆる行動に対して感じることができます。



3. 自信を「悪いカタチ」で持ってしまった場合にたどる末路


悪い形というのは、
「自分の価値に対する自信がないのに能力に対する自信だけある場合」

「自分の価値に対する自信も能力に対する自信もない場合」
です。

後者については理解にたやすいと思うのですが、前者については理解に苦しむ方もいるかもしれません。

ですが、人は能力だけで存在が肯定されるような生き物ではないのです。

これは事実です。

そもそも能力だけを見るような社会が本当に合理的だというのなら、死ぬべき命は数えきれませんし。それではおよそ社会として成立すらしません。
そこには愛も道徳も何もかもが存在しないからです。


だというのに、能力の高さがないと、人の役に立たないと、迷惑何らないようにしないと…そういった勘違いが世の中には蔓延しています。

僕はひたすらに悲しいです。
僕自信もそのような勘違いに長年苦しみました。
たくさんの人が同じように苦しんでいるのを見てきました。


誤解しないで欲しいのは、能力に対しての自信を持つのが悪いのではないということ。

しかし、それがないと自分を肯定できないという状態は非常に危険だということ。

自分の存在を肯定できない人間は、自分の行動、価値観、全てに自信が持てません。他人を信じることすら難しく、常に不安につきまとわれてしまいます。

行動の全ては不安衝動から起こるようになりますが、根本は解決されることがないため、そのストレスから開放されることはありません。

ストレスは判断力、思考力を奪い、視野も狭めます。

結果この循環から抜けられなくなります。


普通は、他者からの力を借りない限り、ずっと脱出不可能でしょう。


少し脱線しますが、自己主張の話を例に取ります。

僕は比較的自己主張の強い人だと思うですが、
むしろ僕からしてみると
「自己主張が弱すぎる方が非常に多い」のです。


・自分に自信がない
 ↓
・自分の意見にも自信がない
 ↓
・本音を我慢をしてしまう事が癖になる
(いざ意見を言った時には「言ってしまった」という気持ちになる)
 ↓
・我慢することでストレスが溜まり、感情が大きくなる
 ↓
・自分はわがままだと勘違いが起こる
 ↓
・自己主張が出来なくなる

自己主張を他の行動に置き換えても同様です。
自分を信じられない限り、何もかもが本心の通りにならなくなるのです。


裏を返せば、自分の価値を信じられてさえいれば、他人より高い能力なんていうのは必要ないんです。

僕らは頑張りすぎている。
他社と比べて優秀であろうとしすぎている。
周りの目を気にしすぎている。

僕らは何もしていなくても…神に、仏に、さらに極端なことを言えば、親に認められてさえいなくても、自分を肯定しても構わないんです。

それが本当の意味で最低限持つべき自信なのではないかと私は思います。

自分の価値を認められた時、人は初めて他人の価値を感じることができるようになるのだと思います。

初めて、自分の生きていることに、責任が持てるようになるのだと思います。

自分の行動に自信を持てるようになり、人を愛せるようになるのだと思います。


人は繋がりたがる生き物です。

人間の幸福感は他人との関わりで生まれることがわかっています。
これも明確にデータとして出ています。
僕らが誰しも言葉を扱っているのはその証明ではありませんか?

例えば「一人が人好き」と主張する人がいるとします。
しかし言葉を使いながら一人になりたがるのは矛盾しているのです。

強がっている、あるいはかなわない本心に失望してしまっているのではと感じます。もしかしたら自尊心が足らず、他者を意識しすぎてしまっているのかもしれません。つまり自意識が過剰なんです。

僕がそうだからよくわかります。
どうせ正しく理解してもらえはしないという失望があります。
伝わりはしないという悲しみがあります。

しかし、
裏を返せば、その感情の根底には理解されたい、伝わって欲しいという欲求が存在するのです。

そういう理屈じゃなしに一人が好きという人がいたとしても、上記のようなタイプの人が少なくないのもまた事実なのではないでしょうか?


4. その感覚をどうやって得るか。

能力に対しての自信がなくても、それの自信のなさを利用して努力したり自分を高めたりするのはきっかけさえあれば容易なものなんです。

ですが、自分の価値に対しての自信がないのなら、早急に自信を持たねばなりません。

自分で自分を認められない方の多くは、幼少期に「他者から認められていた感覚を十分に感じられなかった」という共通点があります。

ですが

自分の価値に対する自信は、人に認められて得るものではありません。
常に人のためになることをして、迷惑をかけないようにして自分を肯定するのはやめましょう、それは他者への依存です。自己評価責任の押し付けです。


ではどうしたらいいか。

自分の価値を感じる方法の中で、僕が最善手としているのが

「ボイストレーニング」

なんです。

別に宣伝目的というわけではないのですが(笑)


そういう人ほど、自分の身体を自由にコントロールする感覚が必要なのです。

自分を認識するところからです。

「その瞬間」のみに集中した状態、マインドフルネスの状態が必要なのです。


歌には、音楽芸術としての側面もあり、自己対峙の側面もあり、スポーツとしての側面もあり、コミュニケーションツールとしての役割もあります。

自分を知り、伝え、認め、認められ、同じことを他の誰かともする。

歌ならではの両方なのではないかと考えています。

誰と比べるのではなく、純粋に一つの行動の精度を高めるのはストレスが少ないです。
もちろんうまくいかないと苦しいですが、他人を意識するのよりよほど上達が楽しいですよ(笑)

他にもいろいろありますが…今回は出し惜しみするとしますw



5.音楽で プロになりたがる人たち


これについては後日続編として別記事を書こうと思います、5000文字間近になってしまったので😂



6. まとめ


「自信のない人は、

自分で自分を認められないから
他者から認めてもらおうとする

他者から認めてもらえた感覚が弱いから
自分には価値がないと勘違いが深まる

この繰り返し。

そして、本音を自己主張できない限り、
本当の自分を求めてもらえたという感覚は得られない。
その感覚を得られない人が自分を認めるのは困難。」

自信のある方からしたら不思議で仕方ないかも知れませんが、こういった循環にハマると、人は容易には抜け出せなくなるんです。


でね、
有難いことに僕はボイストレーナーをやらせてもらっているわけなんですけれども。


今後、僕が教え伝えていく知識や知恵、技術というのが生徒様にとって、
「単に歌を上手く歌えるようになってもらうためのもの」
ではなく、
「自分の考え、感情、想いを上手に伝えるためのもの」
であったらいいなと思っているんです。


僕は立派な人間じゃないので、大したことはできませんが、
僕が目の届く範囲くらいまでは、僕自身が心地よく、生きやすいと感じられるような世界にしたいんです。
ちなみに意外と広くてかなり困っています。

まぁ、思うだけならタダですものね。


…つい最近、LINEのTLに載せていた言葉をほぼそのままコピペしてきてしまいましたw


でも言いたいことって結局こういうこと。

せっかくここまでかけたから後悔しますが、長くなりすぎたので後日また記事を読み修正するとしますね、今日はここまで。


読んでくださりありがとうございました。

いいねと思ったらスキを押して僕に自信をくれても構わないのですよ?(笑)

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