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天下分け目の天王山は神殿だった?!

大阪府と京都府の境にある『天王山』
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、その後羽柴(豊臣)秀吉と争いました。

その争いの舞台となったのが山崎にある『天王山』であったことから、『天下分け目の天王山』と言われています。

先日、そんな『天王山』を訪れてみました。

することそこには、巨石の塀、煉瓦のアーチ、急こう配を流れる水、そして、ハーフティンバー方式をとり入れた美術館と、摩訶不思議な石の置物が複数ありました。

天王山の入り口でまず最初に驚くのは、坂道の右側に佇む巨石の石垣です‼︎
かなりのインパクトがあります‼︎

巨石の石垣

この石垣は『大山崎山荘美術館』の入り口まで続くのですが、途中、その巨石はなぜか緑色に染まっています。

緑色に染まった巨石

一方、坂道の左側には、急こう配を勢いよく水が流れ落ちてています。

急こう配を流れる水

美術館は山の中腹にあるのですが、入り口にはりっぱな煉瓦のトンネルがありました。

煉瓦のトンネル

そして美術館の外観は、山荘と呼ぶにふさわしいハーフティンバーの美しい洋館で、内部もまたとてもゴージャスな内装と調度品でいっぱいでした✨

ちなみにこちらの洋館は、実業家加賀正太郎によって1932年に建てられたそうです。

加賀正太郎は、大阪生まれ。
加賀家は大阪目抜きの場所、高麗橋通りにあり、大阪屈指の資産家・著名の旧家として遠近に知られ、船場にあった江戸時代から続く実家の繊維業・米穀仲買業・両替商『富商加賀商店』を継いでいます。

その後欧州へ遊学後、山崎蒸溜所を立ち上げ、洋蘭の研究や品種改良を進め、『蘭花譜』という図録を出版したそうです。

美術館では現在、スイスの童話挿絵展が行われていましたが、個人的には、展示品よりも、敷地内にあった数々の置物が印象に残りました。

たとえば、灯籠ですが、よく見るとキリシタン灯籠ではないでしょうか?

キリシタン灯籠?

また、二種類の穴が開いた石の置物がありましたが、一つは石を丸くつないだもの、(蛇の鱗のように見えてしまう...)

蛇の鱗のようにも見える石の置物

もう一つは一枚の石に大きな穴が開いたものですが、これは太秦明神神社でも見かけましたが、どういう意味があるのでしょうか?

大きな穴があいた石の置物

さらには、渦巻模様がデザインされた箱型の石がありましたが、こちらも謎です...

渦巻き模様のある角石

いずれにしましても天王山には『巨石』『煉瓦』『水路』が揃っていました。

『巨石』『煉瓦』『水路』といえば、マルタ島などの古代の神殿遺跡しかり...

...ということは、天王山もまた『古代神殿跡地』だったのではないか?
そう思えてならない今日この頃です☆彡

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