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デマとの闘い~DEMAGOGY

はじめに

ここ10年、特にこのパンデミックにおいて「何が真実で何が嘘なのか」何がなんだかさっぱりわからない。しかし、疫病や戦争で混沌とした時代を人類は幾度となく経験してきたはずだ。何か歴史にヒントがあるはず。調べてみると、紀元前から人類がやっていることはさして変わらないようだ。

誰の目線で見たときに「真実」と評されたのかというのも忘れてはならない。「真実」は一枚岩ではない。歴史に残されているのは往往にして勝者から見た「真実」であることが多い。

デマの語源

高校時代に大好きだった世界史の資料集を久々に開いてみた。

BC431~404 ペロポネソス戦争 
ギリシャ・アテネではペストが流行 民衆はスパルタ側の軍事指導者・煽動政治家デマゴーグに操られて衆愚政治に陥いり、スパルタに破れる。
(文英堂『理解しやすい世界史B』成瀬治氏 竺沙雅章氏 共著 )

紀元前の頃から疫病とデマは切っても切り離せない関係なのだと再確認。デマゴーグの名がいわゆる「デマ」の語源となっている。

英単語:demagogy 

エコーチェンバー

自分と似た考えを持つ人間と群れるのが人間らしい。そこで自分の考えが強化され、次第に過激になっていく。

1度エコーチェンバーにハマれば「わかったつもり」で人は安心するのか?同じ考えをもった人間たちのなかだけで話していれば、己の主観が万が一荒唐無稽なものであってもそれに気づかない危険性が増すのではないだろうか。

例を挙げてみる。御一人様上等の私からしてみても「わきまえない女」としてTwitter上で連帯する人ほど「わきまえてる女」に見える。自分たちは「同調圧力」から脱していると主張しつつも「列をはみ出す者」に対しての不寛容さが顕著である。

東京五輪・プロパガンダ映画

年末NHKが放送した河瀬直美監督の撮影密着ドキュメンタリーが延々と炎上している。五輪スポンサーについた国内メディアに自浄作用は期待できない。私は米国ジュールズ・ボイコフ教授(反五輪 BBC出演等あり)に東京五輪開催前から今の今に至るまでメンションを送りながらやりとりをしていた。HT(最初に投稿した人に敬意を表して)のあとに私のTwitterアカウントが入っているのを見て感激した。河瀬監督が「和製リーフェンシュタール」として歴史に名を残すお手伝いは多少なりともできたと思う。

リーフェンシュタールとはナチスドイツ政権下においてヒトラーの最側近ゲッペルスが牽引したプロパガンダ政策に寄与した映画監督。ベルリンオリンピックを国威発揚のために美化した記録映画を撮った人物と言われている。

CLP問題

ネット配信メディアChooseLifeProjectに野党第一党からの資金提供問題で大騒動になっている。いくらネットメディアとて特定政党の広報マシーンに成り下がるとはいかがなものか。素人の私でさえ政党色を帯びた番組、人選を敬遠して視聴しなくなったものを、自称リベラル系ジャーナリストが揃いも揃って「知らなかった!」。それでいて「ジャーナリスト」を名乗るとは大した度胸だ。抗議文というトカゲの尻尾切りにも似たやり方はいささか乱暴に見えた。身銭をきって視聴していた方々への謝罪は出演者関係者からほぼほぼ無いに等しい。

立憲民主党とのやりとりを果たして佐治氏1人だけでやってのけられるだろうか。私は森友問題、ノンキャリ公務員の赤木さんがキャリア官僚を筆頭に組織から汚れ仕事を強要された挙句に冷たく切り捨てられた構図が頭をよぎった。リベラル系ジャーナリストたちはその構図をも糾弾してきたのではなかったか。佐治氏をメディア業界の赤木さんにしないでほしい。

関連して一言。我が国一部のジャーナリストは自分が主役、特権階級と勘違いしていないか。いかなるニュース、事件も当事者あってのこと。その後ろには国民の知る権利が控えていることをお忘れか。真相追究は二の次で自分がキラキラ輝けるためのネタにのみ執着する姿勢は応援できない。映画2本に続いて今度はドラマ「新聞記者」。赤木雅子さんの意向に反して事実と異なるフィクションに仕立て上げられた経緯は文春が伝えた。森友問題をエンタメにしてオシマイとはなんとも気楽な稼業だ。

ジャーナリストもまたお仲間内だけの価値観、ある種のエコーチェンバーに陥っているのではないか。横並びな問題提起で世の中の突破口が開けるかどうかは疑問に思う。

おわりに

自分が信じていたもの、応援していたもののメッキがはがれてくると、「可愛さ余って憎さ百倍」の感情に襲われることも今回わかった。私も知らず知らずのうちに事実認識を誤っている可能性がある。自分の中にある願望や理想を勝手に他者に委ね、投影していたことは反省すべき点だと思っている。そこで聖書の一節を思い出したので最後にご紹介したい。自戒をこめて。

新約聖書 マタイによる福音書
7章3~5節抜粋「あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。」

【追記】ありがとうございます

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