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少女マンガ的画家が好き*フィリッポ・リッピ~ボッティチェリ~フィリッピーノ・リッピ

すこし間があきましたが、
ルネサンスの画家についてまた書いてみたいと思います。

といっても、自分の好きな画家を語るだけなんですが。

言葉にはしたことがなかったけれど、うっすら感じていたのです。
私の好きな画家たちの絵、顔が少女漫画っぽいかも、と。
言葉にはしなかったのだけれども、
ヤマザキマリさんがはっきりと言語化してくれました。

 フィリッポ・リッピから、ボッティチェリを経て、フィリッピーノ・リッピに至る三代の絵の共通点は、「少女漫画」風といってもいいほどロマンチックなことです。

「ヤマザキマリの偏愛的ルネサンス美術論」(集英社新書)

あ、やっぱり?
だよねー!

そう、やっぱりそうなのよ。
イタリアの美術館で彼らの絵を前にして
「あー、これ好きだー」と思うとき
何度もその絵の前に戻ってしまう。
そしてしっかりと目に焼きつけるのです。


*サンドロ・ボッティチェリ*

サンドロ・ボッティチェリの「ラ・プリマベーラ」や「ヴィーナスの誕生」は有名なので、イタリアに行く前から知っていたと思います。
もともとは「有名なあの絵」という程度の認識でしたが、
どちらも大きい絵で迫力があるし、現地で本物を前にしたときにはやはり感動しました。
そして他の作品も見るうちに、ボッティチェリがどんどん好きになっていったのだと思います。

「マニフィカートの聖母」
サンドロ・ボッティチェリ(ウフィッツィ美術館)

「マニフィカートの聖母」の聖母子や天使たちの表情、
聖母の王冠やマントの端の刺繍の繊細な金など
印象的で大好きな絵でした。

「ザクロの聖母」
サンドロ・ボッティチェリ(ウフィッツィ美術館)

「ザクロの聖母」の左端の百合を持った天使が昔から好きで(ガブリエルでしょうね)
なんとなく髪型的にも、マンガ「聖☆おにいさん」に出てくる大天使ガブリエルのモデルではないかと勝手に思っています。

ボッティチェリは、レオナルド・ダ・ヴィンチなどと違って輪郭線を描いていました。
だからちょっとマンガっぽくて、親しみやすいのかもしれません。

 日本の漫画ほどしっかりした線で描いてあるわけではないので、輪郭線の存在はよくみなければ分かりません。でも、この輪郭線があることによって、二次元的表現ではあるけれど、背景にソフトに溶け込んでいたものまでが、くっきりと前に浮き出ているようにみえる。ボッティチェリの絵が現代の日本人に受け入れやすい理由の一つは、「漫画的な表現」だからだと私は考えています。

「ヤマザキマリの偏愛的ルネサンス美術論」

こんなに美しい絵を描いていたのに
ボッティチェリは、厳しい神権政治を敷いたサヴォナローラに心酔してしまい、陰鬱な宗教画を描くようになります。
最後は仕事もなくなり、弱って立っていることもできず、78歳で亡くなったとのこと。
「おおらかでウィットのある会話で出会う人を魅了した」といわれるそうですが、どうしてサヴォナローラに惹かれてしまったのか。
ちょっと残念な晩年でしたが、それも本人が選んだことですから。

*フィリッポ・リッピ*

フィリッポ・リッピについてはおそらく
イタリアに行ってから知った画家だと思います。
美術館や教会を見るうち、だんだん自分好みの絵に出会っていくわけですが、
その一人がフィリッポ・リッピでした。
特に何が好きかといったら、前回も書きましたが「顔」です。
それから、色合いでしょうか。

特に好きな、スポレートの大聖堂の壁画については
3年前に記事にしたことがあります。

スポレートには、アッシジの語学学校に通っていたときに、日帰りで行きました。
大聖堂にはフィリッポの遺作である「聖母の生涯」の連作があります。

ドーム型の天井に描かれた「聖母の戴冠」、その下に「聖母の死」、左隣に「受胎告知」、右隣に「キリストの誕生」。
フィリッポはこの絵の製作途中で亡くなり、弟子たちが完成させています。

「聖母の戴冠」(部分)
「聖母の戴冠」(部分)
聖母の左側に描かれている天使たち。
とにかく色合いが好き。

ほんとうに素晴らしく美しくて
1時間くらい、聖堂の中に座っていました。

フィリッポ・リッピといえば
50歳のときに、修道女見習いの21歳の女性ルクレツィア・ブーティと駆け落ちし、1児をもうけたという話が有名です。
「聖母子と二天使」は、その妻子をモデルにしたといわれていて
中世までの記号的な聖母子像とはちがって
実在の女性をモデルに生々しく描いたことが
当時としては大スキャンダルだったとか。

「聖母子と二天使」(フィリッポ・リッピ)
ウフィッツィ美術館

この絵はウフィッツィ美術館にありますが、
聖母の髪の毛と、透けるようなベージュ色の布のところが美しくて
じーーーーっと眺めてしまったのを覚えています。
それから服の襟元のところも、すごく綺麗。

ボッティチェリがフィリッポの弟子だったということは、あとから知ったことで、なるほど私はこの系統の絵が好きなのだ、とわかりました。

*フィリッピーノ・リッピ*

フィリッピーノはフィリッポ・リッピの息子です。
父のフィリッポが亡くなったあと、
母のルクレツィアによってボッティチェリの工房に入れられたと、ヤマザキさんの本には書いてあります。
だから当然、フィリッポやボッティチェリとやはり雰囲気が似ていて
初めてフィリッピーノの絵を見たときはおそらく、
フィリッポか、ボッティチェリかな?と思ったはずです。

振り返ってみると、「これはフィリッピーノ・リッピだ」と
意識して見た作品はほんの少しでした。

サン・ジミニャーノで見た「受胎告知」。
この2枚の丸い絵は、少し離れて壁にかかっていた記憶があります。

「受胎告知」
フィリッピーノ・リッピ

それから、四聖人の絵。
ルッカという町のサン・ミケーレ・イン・フォロ教会にあったようです。
(覚えてないけど、ポストカードは買った)
左から聖ロッコ、聖セバスティアーノ、聖ジェロラモ、聖エレナ。

なぜこの葉書を買ったかというと・・・

聖セバスティアーノ(の顔)が好きだったから!


そして、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂。
ここには、マザッチョやフィリッピーノが描いた、聖ペテロの生涯の壁画が複数あります。
そのなかの、天使によって牢獄から解放された聖ペテロ。

この天使がかわいくて、部分の絵葉書を買ったのです。

「部分」のさらに「部分」
ブルーの襟の白い服がまた可愛い。

この天使の横あたりに、フィリッピーノの自画像が描かれています。

本人もなかなかいい男だ。

さらに・・・

いつどこで買ったのか、日本で買った気がするけれど
名刺サイズくらいの天使のカード。
これもフィリッピーノ・リッピの絵の「部分」です。

関係ないけれど、
今日スーパーに行く途中、道に羽根が落ちていて
いつもは「あ、羽根だ」と思ってもやり過ごすけれど
今日は通り過ぎてからも気になって、戻って拾いました。
小さくて、すごく綺麗。
羽根は、天使からのゴーサインと言われています。

話を戻して
この絵の全体は、こんな感じです。
残念ながら実物を見たことはありません。

「聖ベルナルドの前に顕現する聖母」
フィリッピーノ・リッピ
バディア・フィオレンティーナ教会

バディア教会というのも知りませんでした。

ぞれにしても、気づかずに見ているフィリッピーノの絵はとても多そうな気がします。

先に引用したヤマザキマリさんの文章の続きに
こんなことが書かれているのです。

・・三代の絵の共通点は、「少女漫画」風といってもいいほどロマンチックなことです。その特徴がもっとも顕著なのが、フィリッピーノ・リッピの絵だといえるでしょう。なにしろ、フィリッピーノは男の子の肖像画を描くのがものすごく上手でした。
 しかもフィリッピーノは、まるでBL(ボーイズラブ)漫画に出てくるような、女性の目からみて素敵だと思える男の子の絵ばかりを描いています。
・・・・中略・・・
フィリッピーノが描く男の子は、髪型にしても洋服にしても当時の「現代風」です。父フィリッポの場合と同様、宗教的なモチーフはあくまで「建前」にすぎません。彼の絵をみると、当時のフィレンツェで生きていた若者たちのヘアスタイルや服装がとてもリアルに伝わってきます。

「ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論」

といっても彼は同性愛者ではなく、結婚して子供が3人いたらしいです。
でも、47歳で亡くなっています。
彼が他界したとき、母のルクレツィアはまだ存命だったそうですが
フィリッピーノは生前メディチ家のロレンツォに、母の生活を保障するよう願い出たのだそうです。

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なんだかミーハー的な目線で、自分が好きなルネサンスの画家たちのことを書いてみました。
個人的には、学術的に見るより、絵は好きに見たほうが楽しいと思います。
きっと当時の一般的な人たちも、中世のイコン的な絵から解放された、
ルネサンスならではの生き生きとした絵を、好きなように見ていたのではと思うのですよね。

BL的なフィリッピーノの絵も、どれのことだか気になります。
残りの人生でフィレンツェに行けることがあるだろうか、
いや、行くと決めればいいのだけど
行ったらフィリッピーノの絵も、もっと意識して見たいと思いました。

今回は「ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論」をかなり参考に書かせていただきました。
偏愛っぷりが面白い本なので、趣味があえばおすすめです。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。