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個人のニュースサイトの立ち上げ


1 挨拶

 皆さん今晩は。
 この度、以下の文献を手に入れました。

 今回は、この文献を手に入れた理由について、以下の通り、ご紹介させて頂きます。

2 結論

 結論から申し上げますと、これらは、今後、長年掛けて完成させていく拙作=機関紙『開物成務』の重要な参考文献であるからです。
 拙作=機関紙『開物成務』とはどんなものか、以下の通り、ご紹介させて頂きます。

3 拙作=機関紙『開物成務』の紹介

3.1 表紙と扉(全巻)

3.2 解題(全巻に対する)

⒈「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」(愛国的で高徳の報道patriotic - virtuous journalism)の実践躬行とその志

 日本には、「マスゴミ」と言うインターネットスラングがある。これは既に周知の通り、「マス-コミュニケーション」(大衆伝達mass communication)とその媒体である「マス-メディア」(大衆媒体mass media)に対する批判的な俗語・否定的な軽蔑語・攻撃的な卑罵語である。思うに、この言葉は日本の高度情報社会の深刻化し続ける数多の大問題から誕生しては、人民のマスコミ並びにマスメディアに対する不信感・不快感・嫌悪感に拒絶反応等から大々的に流行して、社会的に定着したものだ。

 民主国家において、人民の基本的で極めて重要な権利の一つが「知る権利」であるが、これが正に他ならぬ、情報公開並びに表現・言論・報道の自由等の基盤であり、そして国家の多種多様な発展的・創造的・革新的・進歩的な基礎を成す起点にして基点の一つである。日本の法令にも、以下の通り明記されている。

一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

『放送法』〈昭和二十五年法律第百三十二号〉(第一章 総則 目的 第一条)

 しかし日本の戦後以来のメディア史とその現実は極めて貪汚で醜悪だ。前述の「マスゴミ」、「一億総白痴化」、「3S(スクリーン・スポーツ・セックス)政策」、「文春砲」、「日本放送協会(NHK)の受信料・集金・不祥事」、「記者クラブ」、「ネガティブ・キャンペーン」、「報道しない自由」、「プロパガンダ」、「誤情報」、「偏向報道」、「虚偽報道」、「情報操作」、「日本の報道における様々なタブー」、「自主規制」、「自己検閲」、「芸人コメンテーター」、「メディア・バイアス」、「不適切あるいは恣(し)意的なポリティカルコレクトネス(政治的妥当性)」、「日和見主義」、「御都合主義」、「事勿(なか)れ主義」、「フィルターバブル」、「エコーチェンバー現象」、「確証バイアス」、「論点の相違あるいは無視の虚偽」…欲求は天性にして天災で、意図的な無学は世の常にして人災だ。
 祖国を誠に深く愛しては、祖国の将来を誠に案じて、祖国の自由民主の進展に貢献する為に、抜本的に猛省しては、徹底的に改善して、革新的な新規蒔(ま)き直しを成す。これが、日本をこよなく愛する我が第二の祖国とする在日ベトナム人である自分の愛国心であり、志であり、また、こよなく愛する我が祖国ベトナムの民主化・自由化・多元化への貢献の決行、更には、在野の哲学者・思想家・愛国者として独立独行するジャーナリスト・コメンテーター・コラムニスト・評論家に成る本意、そして、この拙作=機関紙『開物成務』〈本巻12巻+補巻+別巻:全14巻〉を著述する動機である。

 包み隠さずに真正直に言うと、この機関紙の著述にインターネット上での発行と書籍として出版することを通じて収益を得る、という私的な意図もある。しかし、拙作=機関紙『開物成務』の根本義並びに本意は、「国家の根本的な利益並びに人民の実質的な幸福に実に貢献すること」であり、そしてその理念並びに内容は、「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」(愛国的で高徳の報道patriotic - virtuous journalism)の実践躬行に他ならぬことであるのだ。この根本義と理念とその実践躬行を初志貫徹し、この本意と内容とその創意工夫が常に誠信であることを、天に誓う。

⒉拙作の概要とその構成

 まず、拙作の表題『開物成務』の出典である『易経』とその文章の個人的な翻訳並びに解釈は、以下の通りである。

師はこう言った、「易、これは何であろうか?易とは、物を開いては務を成して、天下の道を冒す、このような様以外の何でも無い。これ故に聖人は、天下の志に通じ、これを以て天下の事業を確定して、これを以て天下の疑念を根絶するのだよ。」と。

『易経』(系辞 上)11

 「易」つまり「変える」とはどういうことであろうか?それは頭脳という物体を開く(善い方へと向くように努める)ことである。「易」つまり「変わる」とはどういうことであろうか?それは義に務めて、その務めを成し遂げることである。「易」つまり「容易い」とはどういうことであろうか?天下の道である「欲」を冒して「徳」へと進むことである。『論語』(里仁4:25)に「徳は孤ならず必ず隣あり」、(季氏16:11)に「隠居することを以て志を求め、義を行うことを以て道に達する」とあるように、修徳と積徳を誠に続行すれば、必ずや天下に埋没や拒絶等された志に精通し、この精通ぶりを以て天下の重要不可欠な事業の一つである「報道」の内容・路線・目的等を確定して、天下の民心の不信感に不安心、そして警戒心に猜疑心等を根絶し、こうして人民は、自分達自身の為に自ら自力で自分達の心を「欲」から「徳」へと入れ易えるのである。

 以上の翻訳並びに解釈を以て、拙作=機関紙『開物成務』の根本的な内容・路線・目的等は、天下の重要不可欠な事業の一つである「報道」(ジャーナリズム)に、徳を以て参画しては、道徳的・公共的・倫理的・哲学的・独創的なジャーナリズムを実践躬行して、人々の好奇心・求知心・探究心を向学心・公共心・公徳心へと変えることにした。

 次に、拙作の副題『共育と課題解決型学習を垂範する機関紙』のそれぞれの意味は、以下の通りである。

【共育】の解説
《「ともいく」とも》親・教師・学校など教育権を持つ主体だけでなく、多様な立場や領域の人や組織が連携して教育を担うこと、あるいは教育・養育・指導を行う側と受ける側がともに学び成長すること、などを意味する造語。

共育(きょういく)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

【課題解決型学習】の解説
自ら設定した課題、または与えられた課題を解決していく過程で、さまざまな能力の育成する学習。PBL(project-based learning)。

課題解決型学習(かだいかいけつがたがくしゅう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

 メディア研究の碩(せき)学大儒の御一人であるマーシャル・マクルーハン先生の著作とその表題『メディアはマッサージである』(The Medium is the Massage)とあるが、拙作=機関紙もまたその例外ではなく、多種多様な千言万語(メッセージ)があるが、拙作=機関紙の根本的な金玉之言(メッセージ)は、以下の通りである。

「報道を行う者達・報道を受ける者達・報道を見る者達、この三者が誠に確りと連携しては、共に教わり合う上に共に学び合って、共に徳を育み、そして銘々が徳を以て、課題を自決しては、自助と互助を以て協働しつつ課題を解決して、銘々が修徳と積徳を成す、これを進歩的に持続することで、盛徳大業を実現していきましょう!」

 この金玉之言(メッセージ)を実践躬行しては垂範したものが、正に他ならぬ拙作=機関紙の本文とその内容である。

 「知行合一」に「危言危行」、「人の振り見て我が振り直せ」に「義を見てせざるは勇無きなり」、「心を致す」に「名実相伴う」、「汝自身を知れ」に「学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ」等…思うに、報道を行う側が徳を情報と共に提供し続ければ、やがて、報道を受ける側に徳を有した者達が出現し、そして、両者が誠に確りと連携し合って共育と課題解決型学習を続行すれば、やがて報道を見る側を徳化し始め、これが続けば、やがて盛徳大業への道が生じるのである。拙作がこの盛徳大業への道への道と成ることを誠に志しつつ、切実に願いながら著述しては完成させていき、そしてインターネット上での発行と書籍として出版することをしていく。拙作=機関紙『開物成務』は、この志を以て学術的・学究的・体系的・哲学的に著述されるものであり、そして書籍版は本巻12巻・補巻・別巻の合計14巻から構成される。

 第Ⅰ巻から第Ⅲ巻までは、その副題『権力分立の補完』の通り、「第四階級」や「第四権力」等とも呼ばれる報道の有り形を追求しつつ共育と課題解決型学習を垂範したものであり、そして分立した権力の一つでもある報道が、他の分立した権力(主要な権力者は立法・司法・行政。また影の権力者である金融・経営・教育等。そして主権者である国民の力)が互いに批判的かつ建設的に抑制と追及に均衡を実現していくと同時に、民主的かつ有機的に改善と創造に革新をも実現していくことを補完するものに成るための垂範である。

 第Ⅳ巻から第Ⅵ巻までは、その副題『経済主体の刷新』の通り、需給関係並びに世論の形成に多大な影響を与える報道の有り形を追求しつつ共育と課題解決型学習を垂範したものであり、そして報道が実事求是並びに国利民福の追求に基づく議題設定機能(アジェンダ・セッティング)を有して、各々の経済主体が自力で自身に対して、内発的・自主的・根本的・徹底的・画期的な刷新を遂行することに多大な影響を与えるものに成るための垂範である。

 第Ⅶ巻から第Ⅸ巻までは、その副題『社会秩序の再構』の通り、社会秩序とその形態である社会体制・その機能である社会制度・その実力である社会組織・その基礎である社会通念・その基盤である社会生活・その基本である社会意識等を糾明する報道の有り形を追求しつつ共育と課題解決型学習を垂範したものであり、そして報道が、綱紀粛正並びに社会変革の実現、そしてそれに伴う社会秩序の再構の実現、更にはその後の社会開発並びに功徳兼隆の実現の為の数多くの困難な挑戦に参画するものに成るための垂範である。

 第Ⅹ巻から第Ⅻ巻までは、その副題『人間開発の決行』の通り、人間開発という、極めて根本的かつ現実的な「マテリアリティー」(物質性・具体性・有形物・物事の重大さ・重要課題)に誠に確りと勇んで臨む報道の有り形を追求しつつ共育と課題解決型学習を垂範したものであり、そして報道が建設的で生産的な上に教育的なものに成るための垂範である。

 以上の第Ⅰ巻から第Ⅻ巻の計12巻は拙作=機関紙『開物成務』の本巻であり、各巻で前述の其々の主題に基づいて、厖(ぼう)大なニュースから拙作=機関紙の主題にとって有意義あるいは価値化が可能なニュースを厳選に精選し、そして、徹底的に分析や考察しては、科学的に懐疑や批判して、哲学的に詳解や追究し、理知的で倫理的そして建設的で生産的な評論や提起を初志貫徹する。

 補巻は、前述の本巻と同様の形式並びに方針となっているが、本巻と決定的に異なる所は、その副題『衆知の結集及び洗練』の通り、厖大なニュースからではなく、厖大な論評(コメント)・批評(レビュー)・意見(オピニオン)・要望(リクエスト)・苦情(クレーム)から厳選に精選して、分析や考察、懐疑や批判、詳解や追究、そして、評論や提起を初志貫徹する。

 そして、別巻即ちこの本書の主要な内容は、拙作=機関紙の学術的で学究的に体系化する厖大な千言万語(メッセージ)と、前述した倫理的で哲学的な金玉之言(メッセージ)を形成した哲学・思想・主義・信念・路線の内容である。

 以上が、拙作の概要とその構成である。

⒊拙作の成立の経緯

 さて、拙作=機関紙『開物成務』の成立の経緯について述べる。

 今から三年前の2021年、自分の最初の拙作『愛国心 伯胡への書簡集』(Independently published〈当初はデザインエッグ社〉、2021)を完成させた後、自分は哲学に関する二つをWebサイトを「Wix.com」・「WordPress」で立ち上げた。そして一年間の制作活動・運営活動を通じて、自分の余りの未熟ぶり、無知ぶり、不徳ぶり等を、数多くの経験に反省を通じて熟知することが出来、二つのサイトを閉鎖した。

 その後、2021年の11月頃から「WordPress」で「哲学ニュース – 自主管理個人主義 (philosopher-lvn.com)」というニュースサイトを立ち上げて、翌年の2022年1月から本格的に運営し始めた。このサイトは、「自主管理社会主義」(かつて存在していたユーゴスラビア社会主義連邦共和国の社会主義)と「労働者自主管理」(労働者達が自主的に自決して自力で企業・工場・現場等を運営すること)を学び受け継ぎつつ、「社会人基礎力」(経済産業省が提唱した、産学の協同と協同による社会人基礎力の育成プロジェクトの中心的な概念で、企業や組織の中で、多様な人々と協働しながら仕事をしていく上で必要となる3つの能力とその12の要素。)と「人生100年時代」(長寿国として、経済や経済の体制に制度等の改善に革新や創造、そして、各個人の社会生活に社会意識と私生活に自己認識等の改善や向上に新規等を勧奨する標語)を参考にして、精選したニュースから、倫理的かつ実践的な観点に提言や教訓を著述したものであった。

 そして以上のことから、自分のサイトの表題にして主題である「自主管理個人主義」の定義は、以下の通りに決定した。

自分自身で、個人の存在意義と存在価値を主体的かつ創造的に重視しては、その権利と自由を懐疑的かつ批判的に行使して、徳を以て、人生の選択肢や可能性等を増やし広げて、そのための活動の意志や能力等を強め深めていく思想並びに活動。

『律民 草の根民主主義と参政』(デザインエッグ社; 第1版、2022)「補書」p.23

 このニュースサイトの概要とその主題は、前述の通りだが、このサイトの構想とその立ち上げの志に決定的に影響を与えたのが、『自分』と「自分達四人」が深く尊敬し続ける「ホー・チ・ミン」主席とその遺産と遺徳であった。

 2022年より100年前の1922年、フランスのパリにてホー主席は他の外国の革命達と共に「ル・パリア」(Le Paria)と言う新聞(厳密に言えば、反帝国主義と民族自決主義を主張と宣伝した機関紙)を発行し始めた。1922年2月10日と4月1日に、ホー主席と外国の革命達は、ル・パリアの発行に参画と協力することを呼び掛けたが、以下がその内容の一部である。

 宗主国に居る友達の皆様・植民地に居る同志の皆様、公理と真理そして進歩の利益の為に、同志達の分裂と同様に、我々の間での虚構の隔たりを消していかなければなりません。ル・パリア新聞はその任務の完遂を目的として注力する最初の新聞です。

『Hồ Chí Minh toàn tập』〈ホー・チ・ミン全集〉(Hồ Chí Minh⦅著⦆、[多数]⦅編集⦆、NXB Chính trị quốc gia - Sự thật; 第3版)、第1巻、p.489

 ル・パリアは、数々の、政治に関する権力の濫用・専制の統治の路線・現在宗主国の巨大な海外領土の各地にて経済的に搾取されている被害者となってしまっている人民の状況について、告発します。[ル・パリア]新聞は彼ら彼女らに、団結し合っては、彼ら彼女ら自身の物質と精神の進歩の為に闘争するよう、呼び掛けます。[更にル・パリア]新聞は、彼ら彼女らに呼び掛けては、彼ら彼女らを組織化して、数々の統治勢力に抑圧されている人々を解放することを目的として注力し、[そして、]情合いと博愛を実現します。(中略)
 ル・パリアは、闘争に踏み入れる覚悟を既にし、新聞の目的は必ずや果たされることでしょう。その目的とは、人類の解放です。

『同上』〈同上〉(同上)、同上、p.491

 これに深い感銘を受けた自分は、「哲学ニュース – 自主管理個人主義 (philosopher-lvn.com)」というニュースサイトを創設しては運営することを志したのであった。この挑戦からも、自分の余りの未熟ぶり、無知ぶり、不徳ぶり等を、更なる数多くの経験に反省を通じて、再びそして新たに熟知することが出来、そして2022年の11月に閉鎖した。このサイトは、前述の一度目の失敗からの数多くの経験に反省を大いに活用することが出来たが、このサイトの閉鎖という二度目の失敗では、一度目の失敗を遥かに上回る経験に反省、そして自分の哲学・思想・観念等における大きな成長や進歩をも成すことが出来た。そして、この二つの失敗から学び得たことと、ますます高まってはより一層深くなった自分の志が、この拙作=機関紙『開物成務』を誕生させたのである。

 さて、こよなく愛する我が祖国ベトナムは、ホー主席を国父として、独立を果たしては、南北の統一をも果たして、来年の2025年で、我が祖国の独立宣言が行われてから、そして我が祖国の南北統一が遂げられてから、80年と50年となるが、我が祖国の標語「独立・自由・幸福」は名実一体で、民権・民徳・民福は誠に確りと実在しているのだろうか?思うに、それはほぼ無い。そう断言してもよい。

 まず、ホー主席がまだ存命中の、一見すると小さいことだが、極めて重大な、我が祖国の歴史的な事実とその分岐点が、以下の通りである。

 1956年12月14日、ホー・チ・ミンは、報道システムに関する主席令に署名し、新聞を発行する者に許認可の申請を義務づけた。100年近いフランス植民地時代でさえ、アンナンでは新聞を作りたい者は誰でも、ただ登録するだけでよかった。しかし、北部では、そのような時代に終止符が打たれたのであった。

『ベトナム ドイモイと権力』(フイ・ドゥック⦅著⦆、中野 亜里⦅訳⦆、めこん、2021)
「第1部 グエン・ヴァン・リンの足跡 第1章 束縛からの解放 ⒉「人文」という足枷」p.33

 上記の事実から、「フランスの植民地政策は自由主義だったではないか!」や「ホー・チ・ミンとベトナム労働党は独裁者と専制政体だったのだ!」等という評価を下すのは、極論にして愚論そして詭(き)弁である。しかし、事実として、前述の通り、青年時代のホー・チ・ミン主席は、植民地支配された側の人間の一人として、宗主国フランスの本国で、「ル・パリア」という新聞を発行することが出来たのである。(また、他の様々な反帝国主義と民族自決主義の地下運動だけではなく合法な活動も出来たのである。)

 第一次インドシナ戦争で、北ベトナムがフランスに勝って、名実共に主権国家として独立を果たした後、北のベトナム民主共和国では、既に起きてしまっていた「北ベトナムでの農地改革」(Cải cách ruộng đất tại miền Bắc Việt Nam)という歴史的な大失敗と大勢の冤(えん)罪とその死罪が続出したという惨劇に続き、「人文佳品運動」(Phong trào Nhân Văn Giai Phẩm)という文芸の刷新と自由化の好機が完全に潰され、その後、「反党修正事件」(Vụ án Xét lại Chống Đảng)という労働党の内部対立とそれによる冤罪が続出した。このように、政情も民情も国情も、その内情は、国名の一部である「民主」と、国家の標語である「独立・自由・幸福」とは全く以て掛け離れたものであった。

 前述したフランスの植民地政策とホー主席の活動と類似した、ベトナム戦争の戦中と戦後についてベトナムとアメリカの決定的な違いがある。そもそも、ベトナム戦争において、アメリカは我が祖国ベトナムに対して内政干渉と侵略戦争を仕掛け来ては、数多くの残虐非道な破壊活動と戦争犯罪を繰り広げ続けたが、そのことは、アメリカ人達自身が、全面的かつ大々的に国内そして世界中に報道しては、公然と猛反発と抗議活動を行って、大規模な反戦運動を繰り広げ続ける「自由」があったのだ。これが、アメリカの主要な敗因の一つである。一方、被害者であり、「自衛自救」という愛国と正義を高らかに掲げ続け、「祖国の完全なる解放・独立・自由・統一」等の高邁(まい)な理念を以て戦い続けたベトナム民主共和国は、前述した通り、「自由」、そして「民主」は無く、戦後、ベトナム社会主義共和国として新たな歴史を歩み出したが、その実態は、「自由」や「民主」そして「愛民」等から全く以て掛け離れた、「権威主義」や「独裁主義」そして「失策に失政・極貧に飢餓・退廃に堕落・頑迷固陋(ろう)に愚痴無知・慢業重畳に貪官汚吏」等に満ち溢れたものであり、「ドイモイ」(Đổi Mới)と呼ばれる画期的な改革を経ても、現在のベトナムにおける人権・自由・民主等の水準は、まだまだ極めて低劣であると言わざるを得ない。

 以上の歴史観に基づいて著述したのが、拙作『社会善 思想並びに良心の自由の個人的かつ主体的な実践』(デザインエッグ社; 第2版、2023)と『人文佳品 剛直な猛省の愛国詩集』(同様)であるが、この拙作=機関紙『開物成務』もまたそれに基づく。この歴史観と著述の志に決定的な影響を与えてくれた人々について、深い敬意と深謝の念を込めつつ、以下の通り紹介する。

 まず最初の御方は、正に他ならぬ、「ブイ・ティン」(Bùi Tín)先生である。ティン先生の提言『一市民の提言』(Bản kiến nghị của một công dân)と二つの著作『雪割り草』(Hoa xuyên tuyết)と『素顔』(Mặt thật)を、日本語に訳された『ベトナム革命の内幕』(タイン・ティン⦅著⦆、中川 明子⦅訳⦆、めこん、1997)と『ベトナム革命の素顔』(同上、2002)で完読・精読・熟読・味読した。『自分』と「自分達四人」は、何度も何度も読み返しては、激しい衝撃と驚倒を何度も何度も繰り返し続けて、激しく悲憤慷慨し、自宅の自室で独り、深い悲しみに浸りつつ涙を多く流したり、激怒して歯を食い縛りながら無言で枕をベッドに投げ付ける等をした。このような苦心と苦悩に苦行を通じて、『自分』と「自分達四人」は、愛国心と向学心に志がますます高めてはより一層深めて、そして誠実で建設的・生産的・進歩的な歴史観を形成していった。以下がブイ・ティン先生の言葉とその考えと思いの一つである。

十二 ベトナム民族同胞は、祖国の現状に不安を感じている。経済は苦境に陥り、インフレが再拝して物価は上がり、堅実な勤労人民や中堅幹部、公務員の生活はさらに悪化している。社会問題も蔓延している。官僚主義、無責任、個人の利己主義、賄賂と密輸、特権・利権が不正にまかり通っている。民族の淳風美俗、精神的価値、古来の道徳は完膚なきまでにうちのめされている。祖国の将来を担う青年は方向性を見失っている。対策として出された方針や政策は、相変わらずほとんど効果を発揮していない。
 ここに誠意を持って提言したことは、祖国を長期にわたる深刻な混乱から救い、愛する祖国を安定と発展に導き、人民の信頼を回復し、ベトナム民族同胞が大義のために団結するために、根本的かつ緊急の行動方針を提示するものである。
 提言者にはいあささかの私心もなく、党や国家機構での地位を得ようと言う意図は一切ない。誠意と知力、そして愛する人民に奉仕するペンを持った、普通の新聞記者であり続けることを願うのみである。
一九九〇年一一月二六日 パリにて   タイン・ティン

『ベトナム革命の内幕』(タイン・ティン⦅著⦆、中川 明子⦅訳⦆、めこん、1997)
「一市民の提言」p.380-p.381

 愛国心はベトナム民族古来の精神的価値であり、道徳である。自分の国を思い、民を思う心も、その愛国心が発する深遠な意識である。(中略)
 私は、共産党員も含めた内外の大勢の読者がこれを読んで、意見を出し、率直で健全な論争をひき出してくれるよう望んでいる。ベトナムの歴史家たちは、きっと責任感と情熱をもって自国の歴史を書き直すだろう。(中略)
 民族と国家の生活と運命にとって、民主主義の建設という問題は一つの関門のようなものだ。それは、発展と安定、繁栄、国際社会への参入をめざす道にまたがった、避けて通れない関門である。この関門をくぐりぬけてこそ、人民各層の意思や知恵、知性、経験、財産、そして有形無形の国家の財産を含むすべての人的潜在力と資源が活用され、貧困と遅れから脱却し、豊かな民と強い国家をめざすという目標が初めて活きてくるだろう。安定と繁栄の時代を開くことができるのだ。

『ベトナム革命の素顔』(同上、2002)
「テイク・オフのために 国を愛し、民を思う-民主化の原動力」p.436-p.437

 晩年のブイ・ティン先生の新聞記事・取材に対する返答・談話・対談等を多く見聞きしたが、極めて残念なことに、それらの内容の多くは、上記のような客観性・生産性・創造性等に満ち溢れたものとは全く以て掛け離れたものであり、反体制派の団体・反権力の左翼の報道・衒(げん)学的な歴史家等と交流しては、都合よく利用されていると、個人的に思わずにはいられないものが多々あり、そして、恐らく、長年を経ても、祖国に帰国できないこと・家族に会えないこと・祖国の惨状がほとんど好転しないこと・老衰と孤独な生活、そして何よりも、思うに、極めて情熱的で真摯だが、博識や洞察力が著しく欠けた愛国心が、ブイ・ティン先生の鋭気と聡明ぶりを狂わせてしまったのだ。ブイ・ティン先生は既にお亡くなりなられてしまったが、ここに、先生への深い哀悼の念、そして、先生の無念、失敗や誤謬、遺徳を批判的・建設的・発展的に学び受け継ぐことを、天に誓う。

 次の御方は、「チュオン・ニュ・タン」(Trương Như Tảng)殿である。タン殿については、二つの日本語の文献である、『裏切られたベトナム革命 チュン・ニュー・タンの証言』(友田 錫⦅著⦆、中央公論新社、1986)と『ベトコン・メモワール 解放された祖国を追われて』(チュン・ニュ・タン⦅著⦆、吉本 晋一郎、1986)を完読・精読・熟読・味読した。以下がその一部である。

 思うに、自らの文化的、政治的多様性を謳歌しながら、国民が築き上げることができる力強い経済体制の成就のため努力してゆくかたわら、隣国と平和を保ってゆけるような独立国家ベトナムという理想を、胸中に抱いていた人びとの闘争は、完全にむだに終わったのではなかった。生命を失った革命の闘士に対して、声をひそめながら沈黙のなかに生き長らえる革命の闘士に対して、新しい国家の樹立のために彼らがまいた種子が、将来実ることはない、と断言できる人が果たしているであろうか。

『ベトコン・メモワール 解放された祖国を追われて』
(チュン・ニュ・タン⦅著⦆、吉本 晋一郎、1986)「おわりに」p.332

 思うに、「新しい国家の樹立のために彼らがまいた種子が、将来実ることはない、」と無言で断言したのが、無道な実情であり、無徳な国情であり、無責任な政情であり、無関心な民情だ。しかしこの断言を率先励行して打破する志を、上記のチュオン・ニュ・タン殿の結語から、誠に確りと立てることが出来た、天に誓って、そして元ベトナム人民軍・元ベトナム祖国戦線・元南ベトナム解放民族戦線の一員である「自分Nguyễn(グエン) Hoài(ホアイ) Minh(ミン)」は、チュオン・ニュ・タン同志に誓って、哀悼と親愛の念を以て、初志貫徹する。

 次の御方は、「フイ・ドゥック」(Huy Đức)である。フイ・ドゥック先生の主著である『勝局の側』〈第1巻は『解放』・第2巻は『権柄』〉(“Bên thắng cuộc” Tập 1“Giải Phóng” - ”Tập 2 “Quyền Bính”)を、日本語に訳された『ベトナム 勝利の裏側』(フイ・ドゥック⦅著⦆、中野 亜里⦅訳⦆、めこん、2015)と『ベトナム ドイモイと権力』(同上、2021)で完読・精読・熟読・味読した。この労作・大著・佳品は、ベトナムの国内外にて数多くの賛否両論に称賛と批判を引き起こし、またその内容の真偽や正誤、更には、観点の中立性・客観性・多様性、そして著者の意図に対して、数多くの疑念がある。しかし、いずれにせよ、内容の真偽や正誤、更には、観点の中立性・客観性・多様性に対して懐疑心や批判的思考を持つことは、もちろん自分もあるが、「進歩史観」という歴史観と「改過自新に格致日新」という歴史哲学を懐く自分として、個人的に、フイ・ドゥック先生の意図は、歴史を誠実に真摯に学び直しては、反省・奨学・愛国を成して、将来の祖国の新しい善き発展と新しい世代の善導に貢献することであると、誠に深く信じている。ここに、フイ・ドゥック先生と先生の労作・大著・佳品の完成と出版の関係者各位に対する深い深謝の念を示す。以下がフイ・ドゥック先生の評語と史観である。

 過去を誠実に理解しないまま、未来に着実に歩を進めることはできない。私たちがその過去に関与し、責任を負っていればなおさらである。(中略)本書によって、一般庶民だけではなく、良識ある共産党員も、責任感をもって事実を受け容れるだろうと私は信じている。
 本書は1975年4月30日から始まっている。それは、北部が南部を解放したと多くの人々が信じた日だった。しかし、その後の30年以上を注意深く見直せば、多くの人々は驚きを禁じ得ないだろう。解放されたのは北部の方だったのだ…と。経済学者や政治学者、社会学者には、歴史上の事象をより詳細に研究してもらいたい。

『ベトナム 勝利の裏側』(フイ・ドゥック⦅著⦆、中野 亜里⦅訳⦆、めこん、2015)
「序言」p.1, p.4

 ホー・チ・ミン主席は、独立宣言の直後に、「たとえ国家が独立しても民が幸福で自由でなければ、独立に何ら意味はない」と記している。ホー・チ・ミンの視野の広さを否定することはできない。主席がこの声明を出した時には、人類はまだインターネットを持たず、世界はまだグローバル化の時代を迎えていなかった。多くの人々にとって、民族独立は限りなく神聖なものだった。
 そのホー・チ・ミン主席が設立し、指導したベトナム共産党の政策形成の基盤が、イデオロギーではなく人民の自由と幸福だったならば、人々はプロレタリア独裁も、土地改革も、資本家階級の改造も、『ニャンヴァン・ザイファム』への弾圧も経験することなく、民族や家族の中の無数の衝突を見ることもなかっただろう。

『ベトナム ドイモイと権力』(同上、2015)
「第2部 3人の指導者 第11章 次世代の指導者」p.529-p.530

 拙作=機関紙『開物成務』も、フイ・ドゥック先生の偉作・偉業に見倣って、個人の新聞記事とそれに対する分析や考察、懐疑や批判、詳解や追究、評論や提起の集大成であると同時に、散発的な短編集の歴史書だが、金科玉条に満ち溢れた歴史的な建議書にも成るよう、誠心誠意を尽くしつつ完成させる。

 そして最後の御方は、「中野亜里」先生である。中野先生が翻訳して下さった数々の書物・共同で著編して下さった数々の書籍・御自身が著述して下さった数々の文献、どれも自分に深い感銘を受けた。

 前述したように、『自分』と「自分達四人」が深く尊敬し続けるホー主席が、ル・パリア新聞への参画と協力を被植民地の人々呼び掛け、その3年後の1925年に、『フランス植民制度の審判』(Le Procès de la colonisation française)という著作を完成させたことに、『自分』と「自分達四人」は深い感銘を受けたが、中野先生御自身が命懸けで完成させた労作・大著・佳品『ベトナムの人権 多元的民主化の可能性』(福村出版、2009)は、あたかも、ホー主席が著述したル・パリアの数々の新聞記事と『フランス植民制度の審判』における志・愛国心・正義漢・公憤・義憤等が、今度は正に我が祖国ベトナムの国情・政情・民情に対して向けられたように、猛烈に感じた。
 思うに、中野先生は、思い遣りと義勇に満ち溢れた研究者・学者・活動家だったのだ。先生に対する深い哀悼・尊敬・深謝・追慕等の念、そして、「株式会社めこん」の桑原晨様とその他の関係者各位に、深謝の念を謹んで示す。

4 結語

 以上となります。
 新しい個人の事業を、誠心誠意を尽くして、奮励努力して参ります。
 もしご興味やご関心を御持ちでしたら、拙サイトの創設完了後とその後の拝読を、心よりお願い申し上げます。

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