無本番・練習日記2021年3月22日~3月28日

2021年3月22日(月)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
 移動時間を含めると夜の通し練習までまとまった時間は取れないため、駆け足でバロックヴィオラのみ触る。ジェミニアーニの9番。目的は指を動かしたり曲を弾いたりすることよりも、音符に対する感覚と集中力を養うこと。こういう時、少しの油断や気の緩みもすぐ音に出してくれるのはバロックの方だという気がしたというのが理由の一つ。
 身体がほぐれたところで練習終了。夜はいよいよヘルツォーゲンベルクの通し練習。

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2021年3月23日(火)
本番当日のため個人練習お休み。
《受難楽の夕べ2021》
ヘルツォーゲンベルク:教会オラトリオ『受難』 Op.93
武蔵野市民文化会館(小ホール)にて
 指揮:淡野太郎
福音史家[テノール]:及川豊
イエス[バリトン]:淡野太郎 
 ピラト[バス]:中川郁太郎  
  他
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京/メンデルスゾーン・コーア
 器楽:ムシカ・ポエティカ器楽アンサンブル

コロナがなければ出会わなかった曲。コロナがあったから出会えた曲。
昨年の緊急事態宣言に伴うホール閉館のための公演延期から一年。出演者の変更で急遽依頼を引き受けたのだった。公演に一縷の望みを託すような初回の合わせと、直後の緊急事態宣言発令、そしてホール閉館。あれから一年経ったのか。
公演延期が決まって改めて作品に向き合ってみれば、一年の時間を貰えたことがむしろ有難く感じられるほどの難しさだった。技術面の話ではない。そして演奏の大変さを補って余りある素晴らしい曲だった。
今回が日本初演だったというのが不思議なくらいだ。
是非またいつの日にか、リベンジも兼ねた再演を。

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2021年3月24日(水)
音階(C-dur)
クロイツェル:42の練習曲
音階(C-dur , a-moll)
クロイツェル:42の練習曲
 今日の練習は頭を昨日の非日常から普段の生活に戻すためのもの。本番が半年振りだったことも手伝い、集中力はびろびろに伸びきって、思考力もあまり頼りにならない有様。練習はまず、感覚が完全にモダン寄りになってしまっていることを予測してバロックヴィオラから。案の定楽器の演奏感覚(特に弓)を忘れてしまっており、C-durの音階だけで一時間を費やした。楽器が鳴らない、弓と弦の摩擦がうまい具合に起きない、等々。集中力が落ちていたので何が原因なのかを探るのも一苦労だった。学生時代チェロの先生から聞いた「耳と頭の使い方は直結している」というのは本当なのかもしれない。
 集中力と共に耳が回復してきたタイミングで、クロイツェルの2番と8番を弾く。再びモダンとバロックの楽器の違いに苦戦する時間。それでも練習中に多少回復していたため、音階の時ほどの「訳わからない」状態からは脱していた。
 モダンヴィオラは音階とクロイツェルの18番。練習曲はしばらくカイザーを使っていたため、見開き1ページ弱がとても長く感じられる。弾いても弾いても終わらない。番号そのものも、長らく弾いていなかったので1段2段弾いた後は楽譜の景色が新鮮だった。初見同然だったのもあるのかもしれない。行きつ戻りつ一度通して、ようやく思い出す。音符に対する視点が変わったせいか、昔と同じように弾こうとすると身体が違和感を訴えた。お久しぶりの曲を弾くときは毎度のように起こる現象のことながら、この感覚は未だに戸惑う。
 本当に運動会の後の整理体操のような練習になってしまった。しかし頭の中ではまだ昨日のヘルツォーゲンベルク『受難』の和声やパイプオルガン、ハルモニウムの響き、合唱の響きが残っている。

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2021年3月25日(木)
他用のため練習お休み。

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2021年3月26日(金)
音階(C-dur)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
音階(C-dur , a-moll)
カイザー:36の練習曲 Op.43
 バロックとモダンどちらからさらうか迷ったが、バロックとモダンの重量差に慣れたかったのでバロックから練習開始。
 まずカール・フレッシュの5番の音階をデタッシェで弾いて、耳を慣らす。一日休むと耳が音を聴くモードに切り替わるまでに時間を要する。音を一つ一つ聴いているつもりでも必ず聞き漏らしている音があり、そのツケが後に現れる。音の聴き洩らしに気付くのはふとした瞬間なので、暗譜で弾いていても気が抜けない。むしろ楽譜を見ていないからこそ油断が生じやすいとも言えるのかもしれない。目の前の音に真正面から向き合えるようにするため、自分の中のイメージを追い出すように、頭を空っぽにすることにひたすら努める。しばらくして耳が慣れてくると楽器も鳴り出すので、そこで初めて一拍ずつのスラーを付ける。
 テレマンは12番。14日に受講した小林道夫先生のアカデミーでのレッスン内容を反芻しながら練習を進めていく。肝心なのは何で弾くかではなく、「何を」弾くのか。最初こそバロックっぽさのようなものに捉われていたが、目の前の音楽に向き合っていないことに気付き、やめた。これはテレマンという人が書いた作品だ。
 テレマンを3楽章まで見終えたところで、モダンヴィオラへ。やはり重さが違う。顎当てがある分楽器が分厚いし、重量感が肩にずっしりと伝わってくる。今度は重さに慣れるための音階。
 カイザーは29番~32番。集中を乱す音が少しでも入ってくると途端に間違える危うさ。まだまだ譜読みが足りないのだろう。どうやら松葉(<>)や音の強弱を自分で理由を考えもせず楽譜に言われるままに弾こうとすると、最終的に足を引っ張ってしまうらしい。「楽譜を疑う」こと。なぜこの記号が付いているのか、自分の頭で考えることは重要なのだと改めて知らされる。

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2021年3月27日(土)
クロイツェル:42の練習曲
F.A.ホフマイスター:フルートとヴィオラのための3つの協奏的二重奏曲
 バロックヴィオラのみ音出し。気分により音階は省き、クロイツェルの2番を準備運動の代わりにする。基本形と、ボウイングのバリエーションを3通りほど。その後しばらく離れていたホフマイスターの二重奏曲の2番を練習。いつまで経っても弾きづらいままなのは譜読みが足りていないことに原因があると判断、音数が多いのは承知の上で一音一音を確認する練習方法を採ることにした。
 共演者がいる作品の譜読みはどこか材料を持ち寄って料理することに似ている。下ごしらえした材料を持ち寄り最終的に一つの料理にするのだが、その場になってみないとどういうものが出来上がるのか予測がつかない。具材の切り方が違うかもしれないし、そもそも入れる食材や味付けの認識が異なっているかもしれない。そのすり合わせを行うのが合わせであって、少なくとも食べられるものを作る責任の一端を参加者は担う。闇鍋になることもあるだろう。そう考えるとパート譜の景色が違って見える気がした。
 とはいえ集中力が要る練習は疲れるのも早い。何とか3楽章の途中までは見たが、集中力が切れてしまい練習終了。本番まではまだ間があるから、少しずつやっていこう。

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2021年3月28日(日)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
 用事多く練習を諦めていたが、何もしないというのも気持ちの座りが悪く、バロックヴィオラのみ音出しすることにする。テレマンのファンタジー1番。正直形になっていないのがよくわかる。この曲が久し振りということもあるけれど、それだけではないだろう。短い時間を有効に使うべきところ、練習内容の選択を誤ったか。
 (余談)「基礎練習」は腕を鈍らせないためというよりは、咄嗟の判断や反応がいつでもできるように備えておくためのものなのだろう。サボると、子供の運動会で転ぶ大人みたいなことになる。

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