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トップガンからの呼びかけ


昨年の夏に公開された映画
「トップガン マーベリック」


スクリーンに、36年前に公開された一作目の映像が映し出されると、私の心は一気に同窓会気分に。


「ピート 久しぶり!
キュートな笑顔で、またもや私を悩殺するのね。
ひとりでニヤニヤ、胸キュンキュン」

自分が還暦過ぎの、おばさんになっている事をしばし忘れてしまう私。

グースが映ると、
「まぁ!グース!会いたかったわ。
死んじゃうんだもん。
淋しかったのよ」


「アイスマン、
あんた、やな奴だったけど、良い男になったね。苦労したのね」  


物語なのに、まるで旧友達に再会したように思えるなんて。
涙が出るくらいに懐かしくて
、自分でも驚いてしまった。


トムクルーズと私は一歳違いで、誕生日が同じ日。


1986年に一昨目の「トップガン」が公開された時、
トムが24歳で私は25歳。


ハリウッドスター達とは、天と地ほど境遇が違うし、現実では何の縁も無いけれど、同世代の出演者達の姿に自分の愛しい20代が重なり、同じ時代に青春期を生きた同志のように思えて、胸が一杯になってしまったのだ。



そんな訳で、一作目の「トップガン」は、私にとって感慨深い映画なのだが、もう一つ忘れられないエピソードがある。

それは映画館で、トップガンを初めて観た時の事だった。

「Top Gun Anthem」が流れる中、スクリーンに映し出されたのは迫力あるオープニングシーン。

ジェット機が飛び立つ間際なのだろう。
オレンジ色のもやに包まれた空母の甲板では、クルー達が慌しい動きを見せている。


その姿に私は惹きつけられ、胸が騒ぎ、ずっと観ていたくなる不思議な感覚に襲われた。


それ以降も、トップガンを何度も観たがその感覚は変わらず。

「私は前世で、空母に関係していたのかしら?」
などと想像してみたり。



ネットが無かった時代である。調べようもないまま、
「摩訶不思議な事もあるものだ」
とやり過ごした。


それから40年近く経つが、
トップガンを観たのを皮切りに、何故か空母や潜水艦など、海軍に関係するドラマや映画に惹かれてしまうのだ。 


血が騒ぐとしか言いようがない。


つい先日の事である。

前触れもなく、突然思い出したのは曽祖父の遺影。


父の実家の仏間に掛けられた、白いセーラー服姿の青年の写真を。


セーラー服は海軍だ。
そうだ!曽祖父は日露戦争で戦死したと聞いた記憶がある。

急いで、老人ホームに入居している91歳になる父に電話し、確かめると、

「忠六爺さんはなぁ、
日露戦争の時に海軍に召集されて、佐世保の軍港で軍艦のマストから甲板に落ちて死んだんや。
戦死とは違うらしい。
それ以上の詳しい事は何にもわからへんのやけどな」
と、父。

「甲板に落ちたんや」
と、私。

私は背筋がゾクっとした。


父も又、昔から海戦や軍艦に興味があり、本を読んだり、横須賀に軍艦三笠を見学に行き、深い感銘を受けていたからだ。


父の趣味だと思い深く考えた事も無かったが、私の海軍好きを踏まえて考えると、漸く腑に落ちた。

私達父娘は、曽祖父のDNAを
濃く受け継いでいるのだろう。


きっと曽祖父のDNAが叫んでいるのだ。


36年前に初めてトップガンを観た時から、自分の存在に気づいて欲しいと、私に呼びかけていたように思えてならない。

シンクロニシティとでも呼ぶような。



私の血を呼び覚ました空母の甲板で働くクルー達。

今だに興味深く、ネットで調べてみると、彼らは空母甲板作業員、別称、レインボーギャングと呼ばれ、ジェット機の発着艦時に効率良く機体を誘導する仕事らしい。


先日、YouTubeにトップガンのオープニングシーンがアップされているのを見つけた。

昔と変わりなく、目を皿のようにして繰り返し見た私である。



曽祖父が生きた事に思いを馳せるのは、既に傘寿を過ぎた父と私だけになってしまった。



私は時々、彼の魂に語りかける。

「忠六お爺さん、辛かったでしょう。
お国の為にありがとうございました。

いつの日か天国で会いましょう。
海軍の話しをして下さいね」


       合掌











































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