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なんかえらい積極的やってんなぁ、自分

怒濤の毎日、中学時代」で書ききれなかった中学時代の続きを書こう。

卒業直前、担任が受け持つ最後の授業が始まると、かねて皆で打ち合わせたとおり、クラス委員長だった僕は手を挙げた。
「先生、思い出に運動会やらせてください」
それしか言わなかったのに、先生は教科書を閉じ、いいよと言った。
教室は歓喜に包まれ、あっという間に机が端に寄せられ会場が整った。

競技の記憶はおぼろげだが、自分が係だった障害物競走は覚えている。
パンをぶら下げ、小麦粉のバットに飴ちゃんも沈めた。
そして、飲み干さなければ先に進めない難関の水1L。
教室の隣がトイレだったが、誰も見てないし、係の自分は飲むことないからと、そこの水をこっそり汲んだ。

いざ始まると、障害物に難渋する選手たちに教室は沸いた。
続いて2組目、3組目…と皆1L飲んでいく。
それトイレの水やでー、ってやっぱり終わるまでは黙っとこ。

最終組になって選手が足りないことに気づき、指摘したが最後、ほなそこ入ってとなった。
え? えー? うそやろ?
水の正体を知っててゴクゴク飲めるはずもない。
因果応報ってこれ?と考えつつ、圧倒的なビリで競技を終えた――

こうして運動会は大盛況のうちに幕を閉じた。
先生にしたら最後の授業、きっと心に残る一言など用意していたと思うのに、何も言わず時間を譲ってくれた。
だけでなく、先生も飴ちゃん探して顔を真っ白にしてくれたのだ。

エピローグがある。
次の国語の授業中、僕も含め4人の手が同時に上がったのだ。
「先生! トイレ行っていいですか!」
声まで揃った1Lの水仲間、文末はお尋ねの「?」ではなく宣言の「!」だ。
そうして駆け込んだトイレでは、一生止まらないのではないかと思うほど、トイレに水を返しつづけた。

***

大学の附属校だったからか、全教科その教科教室へ行く方式だった。
おかげで校舎内の移動が多く、出会いもまた多かった。

数学教室の席に、他クラスの誰かが忘れたノートがあって、誰の?と開いたページに自分の名前が綴られているのを見つけて慌てて閉じたり。
理科教室の席に、他クラスのお目当ての子も座っていると知って机にメッセージを落書きしたら、次にはその返事が書かれて机文通が始まったり。

卒業式のあと、幼なじみが誰かに頼まれて第2ボタンを奪いに来た。
聞くと、僕の名前を綴ったノートを数学教室に忘れていた子だという。
嬉しくなって帰り道に公衆電話からその子の家に電話をしたら、お手伝いさんが出て、住む世界の違いを知り、そのまま受話器を置いた。

なんかえらい積極的やってんなぁ、自分。

***

青春の舞台となった中学は今はもう閉校している。
神戸大学附属の小中は明石と住吉(神戸)にそれぞれあったが、後に再編され、小学校は明石に、中学校は住吉に統合されたためだ。
思い出をため込んだまま、校舎だけがひっそりと残っている。

最後に、YouTubeに見つけた懐かしい物憂げなチャイムを貼って終わろう。
いったい何十年ぶりに耳にしただろう、目にはうっすらと涙。

(2021/5/29記)

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