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横に座るは同僚か、はたまた妖怪か

突然の暗闇ほど恐ろしいものはない。
獣から身を守る本能か、一瞬まっ暗になるだけで警戒度は頂点に達する。
さっきまで辺りに獣も賊もいなかったのは承知なのに。

本州と九州は海で隔てられているが、鉄道は海底トンネルで繋がっている。
下関⇔門司間は、JR西日本とJR九州の境界であると同時に、直流と交流の境界でもある。

本州側の電車は直流で走り、九州側の電車は交流で走るのだが、直流と交流の電気は同じ電線では繋げない。
線路は繋がっているが、上空の電線は直流・交流の境界で切れているのだ。
それを専門用語で「死区間(デッドセクション)」と呼ぶ。
なんと不気味で不穏な専門用語。
死区間を通過する際は一瞬停電するから、電車は惰性で走り抜け、その間にモーターを切り替える。

その区間に差しかかると、車内の照明も数秒消え、まっ暗になる。
初めて乗ったときは驚いた。
え、何ごと?と辺りをキョロキョロする。
獣はいないか、賊はいないか。
しかし、暗がりの中にボンヤリ見える人たちはまるで慌てていない。
まっ暗になったこと以上に、そちらが驚きだった。

村上春樹『村上朝日堂』にも同様の話「地下鉄銀座線の暗闇」がある。
それによれば「銀座線の列車は駅に到着する直前に1秒か2秒電灯が消えて、車内がまっ暗になる」とある。
銀座線は設備の構造上、駅ごとに死区間があるのだ。
初めて乗った春樹氏は事故だ!と慌てたそうだが、それ以上にびっくりしたのが「他の乗客が毛ほども驚いたり、怯えたり、動揺したりしていないということだった」という。
僕が関門海峡の奥底で感じた恐怖と驚愕にそっくりだ。
ん? 毎日銀座線乗るけど駅ごとに暗くならないよというあなた、時代はすっかり進み、死区間では瞬時にバッテリーに切り替わるようになったのだ。
下関⇔門司は車両が古いままのため、数秒の暗がりを今も楽しめる。

昔、新宿の老舗〈お多幸〉でおでんをつついているときのこと。
店内の照明が一斉に消え、まっ暗になったことがある。
え、何?
10秒ほど消えたままだったが、突然また明るくなった。
そして驚くことに、どの客も一切慌てていないのだ。
スタッフからのお詫びもない。
いったい何だったのだろうと思いながら、追加のビールを頼んだその時また消え、しばらくしてまた点いた。
何ごともなかったように賑やかな店内。
ねじれたような不思議な時間が流れる。
横に座るは同僚か、はたまた妖怪か。

暑い夏の夜、死区間の話。

(2023/7/19記)

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