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はい、うまくまとまった!(言い方)

会話の中で、言い訳を後ろに足す人がいる。
「絶対合格する。ゆうて何の根拠もないけど」
「この店まずかった。体調悪かっただけかもしれんけど」

あるいは先におことわりしたり。
「何の根拠もないけど、絶対合格する」
「体調悪かっただけかもしれんけど、この店まずかった」

「絶対合格する」→「なんでそんなこと言えるん!」
「この店まずかった」→「この店がまずいって舌大丈夫?」
となるのを回避しているのだろう。

自分の発した言葉に対して、思慮が足りないなどと言われないよう予防線を張る〈セルフツッコミ〉だ。
自分の言葉にどっぷりなわけではなく、ちゃんと客観的に見ることもできるんですよのアピールともいえる。
しかし、いちいちおことわりされると聞きづらいうえ、自分の主張に水を差す一言だから、結局その人が何を言いたいのかが伝わりづらくなる。

僕も以前、予防線を張る傾向があった。
でも主張は主張でしっかりし、批判は批判でしっかり受けるべきだとの思いから、セルフツッコミをできるだけ思いとどまるようになった。

「絶対合格する」
「なんでそんなこと言えるん!」
「何の根拠もないけどそう思うねん」

「この店まずかった」
「この店がまずいって舌大丈夫?」
「え? ほな自分の体調悪かっただけかもしれんなぁ」

会話はそうあるべきだと思っている。

文末についた(語彙力)とか(言い方)。
最近よく見かけないだろうか。
たとえば「花がきれいだった(語彙力)」みたいな。

セルフツッコミの文字版といえる。
僕は使わないし、見るのもちょっと苦手。
目にした瞬間、回れ右をして帰りたくなる。

「花がきれいだった」だけだと、そんな稚拙な表現…と思われるのが怖く、先回りして「語彙力ないのは重々承知」ということだろうか。

これを多用されるととにかく読みにくい。
とりあえず(語彙力)と書いておけばいいと思っている人あれば、行って地の文でしっかり表現したほうがいいと言い、あえてテンポを考えて入れている人あれば、行って逆に読みにくくなっているよと言いたい。

僕は記事本文の中ではなるべく(  )を使わない。
セルフツッコミだけでなくふつうの説明であっても、(  )には頼らず地の文で説明すべきと思うからだ。

同じ理由で顔文字や「(笑)」も本文では使わず、感情は文章で表現する。
コメント欄ではテンポ感を出すため逆にそれらを使うし、さらに「いぬき表現:している→してる」「らぬき表現:見られる→見れる」も多めに使って本文とメリハリをつけている。

それが僕のnote。

はい、うまくまとまった!(言い方)

(2023/2/7記)

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