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家族のかたちを築く「初日」がお葬式


本日も大変お疲れ様でございました。

「一生の命の時間は長くなっているのに、どうしても家族や一族とともに過ごす時間が少ない。
一族で同居している方は少ない核家族が中心の社会。
多忙な現代人は配偶者とお子様以外振り返ることは少なく、たまに親御様くらい・・・
そこで冠婚葬祭が家族を振り返る上で重要な装置だとすると
その装置のパフォーマンスを上げるため事前や常日頃から参列者の認識の共有が必要不可欠ではないか?」

と私は葬儀屋としていつも考えてます。
かといって社会生活を営んでいると家族と一緒に過ごす時間が少ない現代人にとって事前に共有しておくなどの工夫が必要です。
例えばLINEグループなどテクノロジーを利用した共有手段を活用できていればいいかもしれませんが、なかなか一族になると年齢差、地域差などもあり常日頃となると難しいように思えます。
そこで目で見てわかるということは大切かと考えます。

「家族・親族・一族」が一目で分かる、分かりやすいツールの活用が現代には必要ではないか?

過去このような場面で効力を発揮してきたのが「思い出の写真」ではないかと思います。
かつて我々はフィルムキャメラで家族の写真を撮り、「アルバム」に収めてきました。
倉庫や納屋をある日片付けていると「アルバム」が出てきて、倉庫整理が進まなくなった経験がありませんか?
フィルムキャメラはやがてデジタルカメラの登場と共に少なくなり、それでもフォトブックや印画紙を購入し、インクジェットプリンターで出力し、アルバムを製作してきたと思います。
昨今スマートフォンの解像度アップなどにより、デジタルカメラを所有していない方も増えてきました。持っていてもスマホで済みます。
SNSで共有できている家族は画像の共有はしていても一緒に見ることや前述の倉庫整理の件は登場しなくなった方も多いのではないでしょうか?
かくいう私も紙に出力する機会も少なくなりました。
すると空間と時間を共に過ごし、写真を一緒に見る機会は少なくなりました。
もう冠婚葬祭しかなくなってしまったように思うのですが、アクションとしては最高でも「スマホ片手に見せ合う感じ」になりました。
結婚式や葬儀ならば事業者が準備してくれた追悼コーナーで空間と時間と写真を共有することができたかもしれません。

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