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カップ1杯のホットチョコレートで

きっかけは、カップ1杯のホットチョコレートだった。

海外で過ごした高校時代、中国から同じく単身留学に来ていたNancyという友人がいた。
18才目前の夏、わたしたちは2人きりで海のそばの町へ1泊の旅行に行った。その町に思い入れがあったわけではなく、何となく海のそばへ行きたかったのだと思う。

旅先の町は、海と、少し離れた場所にあるスーパー以外には特に何もない町。夕ごはんと夜食のおやつの買い出しに行ったあとは、泊まっていたコテージで何をするわけでもなく、他愛もない話をしつつテレビから流れてくる流行の医療ドラマを見ながら時間を過ごしていた。

きっかけは、カップ1杯のホットチョコレートだった。

「寝る時間がもったいない」
旅先での“あの”高揚感に包まれたわたしたちは、それぞれ1杯のホットチョコレートを作り、おだやかな潮風が吹くテラスで大きすぎる毛布に体をくるみこませて話をしていた。
あのときコテージに置いてあったマグカップは、片手で持つには少し重いほど大きなものだったように思う。相当な量のホットチョコレートが出来上がっていたはずなのに、カップの中身がなくなり泥混じりの水たまりのような跡が乾き切ったあとも、両手で大きなマグカップを包み込んだまま、わたしたちは夢中で話し続けた。
今まで抱えてきたコンプレックスや家族のしがらみ。10代のわたしたちにとってそれらは永遠に和らぐことのない苦しみであり、同時にわたしたちを10代たらしめていた鮮やかな哀しみたちだった。

くすぐったい風にくしゃみが続くと、あの夜のことを思い出す。
カップ1杯のホットチョコレートで、今となればうらやましくなるほど瑞々しい感情で埋め尽くされた夜を過ごしたことを。
マグカップに入っていたのはただのホットチョコレート。
けれど、あの夜のわたしたちはそのカップ一杯の飲み物なしでは不完全な思い出になってしまったはずだ。

ひとり考え事に耽りたい朝、”適度な”距離感の先を分かち合いたい2人の隙間、大切な家族の手に会えずにいた時間に積まれた愛しさを感じる瞬間。
カップ一杯の飲み物が、それらひとつひとつに寄り添い、なにかのきっかけになってくれるかもしれない。

ニッパー撥水マグカップ
暮らしの中に何気なく存在するものから、やさしい記憶が生まれてく。