初めまして❗

とも咲く かおる です😌

noteに投稿するのは初めてです🔰
今日は、自己紹介をさせていただきたいと思います😌

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振り返ってみれば、私の人生は
「自分自身を受け入れ続ける」学びの連続だったように思います。

幼い頃、母はとても厳しく
わたしが母の思った通りにできないことについて、叱られることがよくありました。

「叱られないように」「親が求める子どもの姿」を察して
自分の行動を決めることが当たり前になっていきました。

思春期にはクラスメイトたちが
友だちのことや、恋のことで
素直に泣いたり、笑ったりしているのが理解できなくて
少し醒めた目でみている子でした。

「わたしは」という一人称で思考することより
「あの人は」
こうしてほしいだろうとか、
「こうしたほうが良いのでは?
という思考から行動することが多く

「自分がどうしたいのか」を主張しない子どもでした。

「親の顔色をみる自分」「人の期待を察して、応えようとする自分」・・
思春期の頃はそんな自分自身のことを、
誰よりもわたし自身が嫌いでした。
自分を裏切り続ける自分・・・

「なぜ守ってくれないの?」と
自分にがっかりしていたと思います。

自分を好きになれなくて、苦しい思春期でした。

幼い頃からピアノをならい、中学から音楽学校で学んでいましたが
自分がどうしたいのか、
「自分の中からあふれるもの」を感じることが難しかった私は
自分を表現することと、演奏することがうまく結びつかず
ずっと「何か違う・・」と思っていました。

自分からあふれるものを表現したい

そんな思いから、大学では「ピアノ」ではなく「リトミック」を専攻。

幼い頃から、大人や相手の顔色をみて、自分の本当の思いを表現してこなかったこと。
小学校から「脱毛症」になり、長い間ウィッグをつけてきたこと。

そんな経験から「自分が本当はどう感じているのか」を表現することに
とても難しさを感じていた私が

リトミックを学び、即興演奏、身体表現など、
自分の中からあふれる感性を
仲間たちと意見をかわしながら、

自由に表現しあえる環境で
自分を表現できることに心から喜びを感じていました。

そして私のなかの
「苦しかった思春期」を振り返って

「音楽で子どもたちの心を解放したい。
楽しく自己表現することをサポートしたい」

という夢が生まれました。

「やりたい仕事ではなかった」ことから教えてもらったこと

「これこそ、叶えたいこと!!」という夢に確信をもった私は

人生で一番勉強し、アツイ情熱をもって受験した
「教員採用試験」に合格。

「4月から中学校の教師になれる!」と夢をふくらませていました。

しかし、声をかけてもらったのは、身体が不自由な生徒が通う
「養護学校」(現・特別支援学校)でした。

まったく知らない世界・・・
夢見ていた場所ではない環境・・・・
はじめの頃はかなり戸惑い、落ち込みました。

目の前に居る子どもたちに、どう接したらいい?
私に何ができる?? 暗闇を歩くような毎日。

生き生きと笑顔で、子どもと接する先輩たちが
とてもまぶしかった。

しかし養護学校での5年という日々の中で
私を導いてくれたのは「子どもたち」でした。

できないことと向き合い、乗り越えていこうとする姿。

重度の障害をもっている生徒が
音楽に、声かけに、笑顔を見せてくれたときの、喜び!

生徒たちが「自分」を引き受けて生き抜く「つよさ」と「美しさ」。

いつしか私も、養護学校で働くことが生きがいとなり
自分を生きることと重なっていきました。

希望していなかったはずの「養護学校」で
こどもたちや、ともに働く仲間、保護者の方たちに教えてもらったことは

わたしのとても大切な「原点」となりました。

まだ向き合えていなかったこと

実家を出て、一人暮らしの夢を叶え
学校でともに働く仲間たち、子どもたちとの充実した日々。やりがいのある仕事をして、自立できた。

そう思っていました。

しかし、まだ本当の意味で「自立」できていませんでした。
精神的に「親」があっての「私」。
最後には、親が助けてくれる。
「正解を与えてくれる」・・

わたしの「ベース」に親への「依存」があったことを
実感させられる出来事が起こりました。
しっかりとキャッチしてあげられていなかった
「ありのままの自分」が
ついに叫びをあげたのです。

それは27歳の時のことです。
きっかけは両親が二人とも、次々と体調を崩して入院してしまったことでした。

心配と不安で「過換気症候群」となり

一人暮らしの毎日は
「希望」から「つらいもの」に変わりました。

深いところから湧き上がってくる不安と苦しさ・・・
暗闇につき落とされたような思いでした。

そんな時に「クリスタル ヒーリング」に出会いました。

不安や心細さをまぎらわすように
毎晩インターネットに向かっていた私は
美しいクリスタルたちのページに目が留まりました。

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・私のもとにクリスタルが集まり始め
すぐにその魅力にとりつかれました。

一つとして、同じものはない「クリスタル」たち。
傷さえも輝かせながら
静かにわたしの心に語りかけてくる・・・

「クリスタル」と触れあうことが、私の日常となり
自分の心と向き合うこと、心の声を聞くこと、
心身のエネルギーを整えることを学びました。

自分の内側に目を向けてみれば
「私のことをちゃんと見て欲しい」
「なかったことにしないで、本当の声を聞いて欲しい」
という私自身の声が聞こえてくるようでした。

「私はまだ、外に正解を求めていて
自分の声を聞けていなかった」
そう思いました。

同時に
クリスタルと触れあうことで知ったり、思い出したりした
目に見えない世界の学びも
わたしの心に、人生への安らぎと信頼を与えてくれたのです。

「ステキな中学生」

その後「中学校」へ異動し
念願叶って
「音楽の教員」として子どもたちと過ごすことになりました。

31年間、本当にいろいろな事がありましたが
どんなときも

思春期の子どもたちの輝きは
私にとって、とてもまぶしいものでした。

娘が生まれ、3年間育児休業をいただいた時も
現場に戻れる時には
とても嬉しかったのを覚えています。

学校では
たくさんの子どもたちと過ごし、教え、
責任のある立場になっていき
経験とともに、仕事も増えていき

「待ったなし」の教育現場で奮闘し続けました。

生徒たちの成長におどろき、感動する、様々な「行事」。
担任として関わるなかで、ぶつかり続けた生徒が、卒業の時にくれた、心のこもった「手紙」。
悩みながら向き合い続けた「我が子」の、卒業を迎えた保護者の「涙」。

学校での仕事は日々、色々な事があるけれど
受け取る「喜び」や「感動」は、とても大きく

「きっと退職まで続けるのだろう」
これこそ私の「天職」だ。
と思いました。

「本当に、これで良いのだろうか・・」

3学年の授業を受け持つわたしは
日々、600人以上の子どものプリントチェック、成績処理、
担任としての日々の仕事、生活指導、
部活動の顧問として、放課後の対応、休日の出勤・・・
忙しさを極める毎日。

しかし、忙しさを極めながらも
やりがいを感じていました。

同時に
「クリスタル」や「ボイスヒーリング」「レイキ」など
大好きな趣味もあきらめたくない、と学びも続けていました。

4歳から主人が主夫として育ててくれた娘は
小学校5年生ぐらいまでは
「ママ、早く帰ってきてね」と毎日メールをくれましたが
娘の願いを聞いてあげられることはなく
帰宅時間は、毎日娘がふとんに入る(またはすでに寝ている)時間でした。

お話できるのは朝だけ。
食事は三食とも別々。
それが当たり前でした。

いつしか娘は
「早く帰ってきてね」とは言わなくなり
こちらに目を向けて会話することもなくなり
話しかけても、コミュニケーションと思えない返事。

「ああ、娘もそんな年頃になったか」
これでいいのだ・・。
さみしさを感じながらも、そう思っていました。

ちょうどその頃、
娘と同じ年で、わたしもとても可愛がっていた甥が
突然亡くなりました。

2ヶ月前に会ったばかりで
またすぐに会えると思っていたのに。
ずっとこの先も一緒に年を重ねていけると思っていたのに。
「命」はあっけなくなくなってしまうものなのだ・・
その事実が、実感として胸にせまってきました。

ほぼ同じ頃、
娘が朝起きられなくなり
学校を休むことが増えていました。

気になりながらも、わたしは生活を変えずにいました。

しかしある日、
お風呂からあがった娘を見て、焦りました。
あまりにも痩せてしまっていたのです。

こんなになるまで、なぜ気付かなかったのだろう。

「自分は大切なことを、ちゃんと大切にできていないのではないか・・」

「今」は二度と戻ってこない。
本当に、これでいいのだろうか・・

退職の決意

そこから、
日々の自分が選んでいることを
注意深くみるようになりました。

何を大切にして生きていたいのか。

そう考えたとき、
今のわたしの人生が
自分の「大切にしたいこと」とずれてきている
と感じました。

限りある、大切な人との時間を大切にすること。
時間に追われず、
「帳尻を合わせる」ことに焦ることなく
目の前の子どもや、大人と向き合うこと。
自分の心の声を、なかったことにしないこと。

もう一度、今の自分とていねいに向き合って生きたい

と思いました。

そして、退職を選びました。

「ともに咲く 一人ひとりがプレゼント」

これまで
「自分の外にある正解」のために
探し続けて、帳尻を合わせて
頑張ることが多い人生だったと思います。

しかし
「自分の正解」は「自分で決めたい」と
深いところで、ずっと望んでいました。

それができなかったのは
「自分には、その価値がない」と思っていたからかもしれません。

しかし今は
「自分の正解」は「自分で決められる」と思っています。

これからは
「自分が一番大切にしたいこと」をまず選ぶ。そう決めました。

それが出来てはじめて
誰かと幸せをシェアしあえる自分になる・・
そう思いました。

この世界には、何一つ「同じ」ものはなく
たとえ似ていても違う存在。

「同じでないこと」が当たり前。

それを分かっていながらも
私たちは「人と違うこと」を恥じたり、悲しんだり。
「自分自身であること」を選べなかったりしますよね。

それは多分「自分がオリジナルな存在o許されない」と
「人生のどこかで学んでしまったから」
だと思います。

 

「オリジナルは許されない」ことが幻想であることに
きっと、多くの人たちは気付いているのです。
ただ「抜け出す」ことを「自分に許せない」だけ・・

「ともに咲く 一人ひとりがプレゼント」

「素晴らしい人」や「声の大きな」人よりも
「『小さな』自分自身の心の声」を優先すること。

「外」に正解を求めず
ほんとうに自分で感じて、考えたものを「正解」にすること。
分からないことを鵜呑みにしないこと。

たった一つの小さな選択からでいいから、
自分の心がyesということを、選び続けていく。

かけがえのない「オリジナル」な存在であることを思い出すために・・

かけがえのない「自分」に目覚める人が増えたなら
きっと地球は「愛の星」になるでしょう。

一人ひとりが「自分の輝き」に振り向き、大切にできる地球。
それぞれがお互いの違いを「プレゼント」として受け取り合い
豊かさとして愛であえる地球・・

そんな時代が、もうすぐやって来る、と信じています。

出会った人たちと
同じ時代に、ここに生まれ出会えた奇跡と、喜びを分かち合っていきたい。

だからこそ

わたしも、あなたも、自分を受け入れること。
「もっているもの」に気付いて、大切に育て、「開花」させること。
それを心からの喜びをかんじながら、誰かと分け合えることに
わたしの「命の時間」を使っていくことにしました。

「ともに咲く。一人ひとりがプレゼント~魂の輝き360度開花」。

すべての人が、自分を愛で、
お互いを愛であえる世界になりますように・・

そんな願いを込めて活動していきます。

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