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言葉がつまってしまう、“喋る怖さ”を体感した学生時代

いつまでもトラウマに悩まされてちゃいけないんですけどね(トラウマを言い訳にするのも良くないんですが)人前で喋るのに緊張してしまうのは“学生時代”のトラウマがあるからなんです。

とくに中学生時代。何かを言えば笑われる。何も言わなければエスカレートする。じゃあどうすりゃいいんだと何べん悩んだか。何かを言っても黙ってても状況はよくならない。

ある日の夕方、部屋にいたら非通知から電話がかかってきました。当時はガラケー。怖かったので無視したんですが、何回もかかってきたので出たんです。

これをきっかけに、さらにコミュニケーションが怖くなってしまいました。

前回「初めての挫折」

【無言電話の犯人は誰?】

「はい?」

『‥』

「もしもし?誰ですか?」

『‥(遠くに聞こえる数人の笑い声)』

「(ん?何人かいる?)もしもし?切りますよ?」

『‥くくく、ふふふ、あっ、やめ(笑)』

「あれ、この笑い声‥。」

聞き覚えのある笑い声。同じ部活に所属している鈴木(仮名)でした。携帯番号を知っていて、こんなイタズラをしてくるのは鈴木くらいしかいません。電話を切り、鈴木のお母さんへ電話しました。

「もしもし。有野です。あのさっき、鈴木くんが非通知でイタズラ電話をかけてきたんです。笑い声が鈴木くんでした。やめてほしいんです。」

『あぁ、そっか。ごめんね。言っておくから』

「ありがとうございます」

これで片付いた‥と思っていました。電話したことが火に油を注いだんでしょう。

電話から1時間くらいたったとき、ピンポーンとインターホンが鳴りました。父親が

「おい、鈴木くんだってさ」

と言いました。

「え?」

なんか嫌な感じはしていたんですが、前まで来ているならしょうがない。玄関を開けると門の向こう側に鈴木を始め、見覚えのある顔が7.8人いました。同じ部活の連中です。門を開けはしませんでしたが、ギリギリまで近づき

「何?」

と言ったら、襟元をガッと捕まれ

『あ?なにじゃねーよ。お前、親に言ったろ。俺じゃねーから』

一瞬ビビりましたが、ちょっと強気でいられました。家の前ですし、監視カメラがついていて何かあればこっちが有利だと思っていたので。

「ん?なんの話?」

『電話、俺じゃねーから』

「じゃあなんでこんな連れてきてんの?文句があるなら1人で来なよ。本当にお前じゃないならこんなに連れてこないでしょ。あと、カメラついてるけど平気?見えてるよ?」

『えっ』

襟元を掴みながらも、一歩引いたのがわかりました。なめられないように、バカにされないように、冷静を装いながらも必死に言葉を考えました。

『次ふざけたらぶん殴るからな』 

今にも涙が溢れそうな目をグッと堪えて

「わかった」

と言い返しました。もっと言い返してやりたかったんですが、これをいうので精一杯だったんです。


玄関を閉め、部屋に戻る最中に母親が

「鈴木くん、なんだったの?」

と聞いてきました。カメラで見ていたのか声が聞こえていたのかわかりません。

「いや、へい‥」

いや平気だよと言いかけたとき、ポーカーフェイスを作ろうとしていた顔から、ダムが決壊したかのようにガァーッと涙が出てきました。

「なんで。なんでよ。どうして。何もしてないのに。なんで僕だけなの。なんもしてないよ。なんでよ、なんで」


【他愛のない言葉でもつまってしまう】

「あっあっあっあっありがとう」

『そんな慌てなくてもいいよ』

どういうときに出るかわからなかったんですが、たまに吃音っぽくなってしまうことがありました。中学生時代のこの出来事があってから。

今でもたまにでます。この頃と同じようにいつ出るかわかりません。でもなんとなく「こんな状況の時には出やすくなるなー」というのがわかってきました。


・極度の緊張

・自分に発言が求められ、みんなの目がこっちを向いている時


1つ目はお仕事の時なんかで当てはまりますが、2つ目は何?同じじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。似ているようで似てないといいますか。これは、普段の雑談でも出ることがあるからなんです。たとえば2人で話しているとき

「〇〇ってどうしたらいいかな?」と聞かれたとしましょう。これって、今僕にコメントを求められている訳ですよね。そうすると「少しでもちゃんとしたことを言わなきゃ」と思って「あっ、えっえっえっえっえっと」となってしまうんです。

大体の人はスルーしてくれるので、大した問題ではないんですが、あの頃の心の記憶が一瞬蘇ってきて吃ってしまうんです。

突然ですが、僕の「有野」という苗字だけは芸名です。なんでいきなりこの話をしたのか?

有野(違う自分)でいれば、ちゃんと物事を言えるようになるから、芸名にしたんですよと言うためでして。吃音っぽくなってしまうときって、本名でいるときなんですよ。

この頃の弱い自分とは違うぞという、切り離すため?という感じでしょうか。気持ちの持ちようなんですけどね。本名の自分でいると、どうもナヨナヨしてしまう。芸名は、一種の鎧みたいなものです。

吃りを気にしなくていい相手って、安心できる人なんですよね。良い意味でちゃんと話さなくていい人。家族とか友達とか。

喋りのお仕事をしていますが、文章の方が心地よい時があるんです。なんせ、文章は吃りませんから。


吃音というのも、ちゃんと診断してもらったわけではないので自称です。自称ではありますが、現に吃音っぽい症状が出ているので。これと付き合っていくためにも「有野」でいる必要があります。

名前を変える、服装を変える、喋り方を変える。なんでもいいんですが、一目でわかるような何かを変えることで(何かになることで)今までの自分とは違う人なんだと意識する。

それが“喋りをうまくするため”のスタートでした。


次回「声優に、なりたかったけど」


noteを通して書籍出版を目指します!タイトルは「僕には喋りの仕事しかない~いじめから脱却できたのは“喋りのおかげ”だった」です!


ナレーター
有野優樹(ありのひろき)

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