「周りの目」の正体

よく「『周りの目』が気になる」という言葉を耳にします。

自分が何かしたいことがあったとしても、その「周りの目」「他人の目」が気になって、それができないということは、多くの人が一度は経験したことがあるのではないかと思います。

もちろん、人気のない山奥や無人島で生活している場合を除いて、
社会集団の中で生活している以上、全く周囲のことを考えずに行動するのは好ましくないでしょう。

美術館や図書館等、静かにすべき環境で大声で騒いだりしない等、社会的なモラルやマナーが必要とされる場面ではそれに則る必要があります。

ただし、自分のプライベートの時間にまでその「周りの目」を持ち込むと自分の人生がとても不自由で窮屈なものとなります。

例えば、着たい服やしてみたい髪型があるのに、周りからどう思われるかと気にして、なるべく当たり障りの無い無難なものを選んだ経験はありませんでしょうか。

逆に、他人からこう思われたいと思って、服装や髪型を決めたことはありませんでしょうか。

本来、髪も身体も自分自身の所有物であり、自由にする権利はあるはずです。それを常に他人目線で限定していくのは、常に目に見えない「他人」から身体を拘束されていることと同じです。

「こういう服が着たい」「こういう見た目になりたい」自分のそういった心の声を抑えて「周りの目」を優先させることは、自分では自覚しないうちに小さなフラストレーションとなり、蓄積されていきます。

そしてそのフラストレーションは思わぬ形で姿を現します。

例えば、(集団から浮かないようにと)常に他人目線で自分の服装や髪型を決めている人は、集団の中で少しでも目立つ髪型や服装をしている人を許容しません。「自分は自分の自由を我慢しているのにあの人は好き勝手にしている」と、自分が自由を我慢している分、他人にもその我慢を求めるようになります。自分のフラストレーションが他人への批判に向かうのです。

しかし、本当に自由に自分の人生を謳歌している人は他人の人生に干渉しません。自分の心の声に従って自分の人生を一生懸命に生きている人は、自分とは異なる考えや価値観を持っていたり、見た目が個性的と見なされる人にも敬意をもって接することができます。

自分の人生を一生懸命に生きる為には自分を分析し、認め、受け容れる一連の「自分を知る経験」が不可欠です。そしてその経験は苦しく、時に寂しさを覚えるかもしれません。なぜなら、自分を知るとは他者との埋めがたい差異に気付き、認めることだからです。

人間は一人一人が異なる個性を持ったオリジナルな存在なので、絶対に外面も内面も同じ人はいません。そういった自分の個性に気付き、自分の独自性を認識することとは他者との間の差異を自覚することであり、そして、自分という人間の全てを他者に理解してもらえることは不可能だと気づきます。

ただし、自分というオリジナルの存在の全てを理解できるのは自分しかいないと悟り、その寂しさに向き合い乗り越えた人は、もはや他人との差異に恐れを抱かなくなります。そして自然体で自分を表現しつつ、また「自分は自分、他人は他人」といった視点で他人の個性や自由も認められるようになるのです。

自分の人生を謳歌するとは自分自身の欲に素直で忠実でいることです。不当に他人を傷つけたり迷惑をかけることでない限り、自己責任で自分の欲に忠実であることは自分らしい人生を歩む上で避けては通れないことではないでしょうか。

常に心の底に鬱々としたフラストレーションを抱えた人が他人に優しくできることはありません。例え、全ては叶えられなくとも、自分自身の心の声に耳を澄まし、願望に向かって進んでいく人生こそ、幸せな人生なのではないいでしょうか。そういった意味で「周囲の目」に翻弄されて自分の人生に抑制をかけることはもったいないことだと思うのです。


では、どうしたら「周りの目」が気にならなくなるのでしょうか。そもそも、この「周りの目」とは何でしょうか。

「周りの目」には大きく分けて二種類あると思います。

1.事実の「周りの目」

2.想像の「周りの目」

「1.事実の「周りの目」」については、周囲の人々が事実としてあなたを見ている目です。例えば、あなたが金髪にしたと仮定して、周囲の親、友人、同僚、電車で隣に座った人等が実際にあなたをどう見ているか、その見方です。ある人は金髪のあなたを見て「似合っている」「オシャレだ」「私も真似したい」と思い、また別の人は「派手だ」「相応しくない」「黒髪にするべきだ」と思います。これらのように、あなたの周囲の人たちがあなたに対して実際に寄せる目が「1.事実の「周りの目」」です。

「2.想像の「周りの目」」はあなたが「周囲からこう見られている」「こう見られるだろう」と自分で想像するものです。金髪にしたあなたが、「親からはきっと小言を言われるだろうな」、「逆に友人のAさんからは褒めてもらえるかな」と実際に本人の意思を確認する前に想像・確認するものです。
そして、「2.想像の「周りの目」」の正体は「他人が自分をこう見ているだろう、こう見るだろう」と想像している自分自身です。それは、その人自身の生きてきた環境での様々な経験から自分自身が想像し、心の中に内在化させたものであり、実は実態が無いものなのです。


では、そうしたらこれら2つの「周りの目」が気にならなくなるのでしょうか。その方法を次回に書いてみたいと思います。



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