私が金髪にした理由

小学生の頃、最も嫌いなことが「散髪」でした。

いえ、散髪そのものは嫌いではなかったのですが、当時、親の意向でさせられていた所謂、

「坊ちゃん刈り」

が嫌で仕方無かったのです。

私は本当は女の子の様に髪を伸ばしてみたかったのですが、髪を伸ばしても一定の長さに到達すると親に美容室に連れていかれました。

何故、女の子は自由に髪を伸ばして好きな髪型が出来るのに、男の子は一律に短髪でないといけないのか、幼いながらに疑問を感じていました。

そして、そんな私にとって、大人になったら自分の好きな髪型にすることが、密かな夢になっていました。

中学、高校は校則がありヘアカラーは出来ませんでしたが、ある程度自由な髪型にすることが出来る様になり、大学になると、ヘアカラーも出来る様になりました。ここで初めて自分のなりたい姿を自由に表現することの喜びを感じました。

そして、就職活動の時期になりました。ここで、再度、小学生の頃の記憶がよみがえりました。幼いころから、自分の髪なのに、自分の身体の一部なのに自分の好きなように自由にコントロールできないことが、私にとっては大きな疑問で、それはきっと自立した大人になれば解決される問題だと思っていました。

ただ、その不自由さは大人になっても続いていたのです。

皆と同じ様なリクルートスーツに身を包み、鞄、そして髪型まで他人を意識して選択しなければならないからです。その圧迫感がとても嫌でした。

画一的な格好を強いられること、自分の容姿を常に他人目線で意識し調整し続けなければならないことに疑問を感じていました。そう、自分の身体なのに!

もちろん、人間は社内的な生き物ですから、清潔感を意識した装いをすることはマナーとしては同感です。ただ、人それぞれに顔や頭の形が異なり、必然と似合う髪型も異なるのに、特に就職活動の場においては、あまりにも自由の幅が少なすぎるのではないかと思うのです。

ちなみに、就職活動等で皆が横並びで同じ格好をした場合、先天的に顔や頭の形が整っている(バランスが取れた)人の方が有利ですよね。例えば、面長でそれをコンプレックスに感じている人がいたとして、前髪を下ろしたり、サイドにボリュームを持たせることで面長をカバーできると思います。ただ、額を出したり、短髪を強いられた場合には、カバーする術がありません。

ところで、就職活動をする前から気付いていたのですが、社会におけるこうした見た目の規範の多くは支配層である中高年男性が形成しているということです。見た目に関しての学校の規則も、職場の規則も、それを決めるには多くは中高年男性であり、その価値観が正しいものとして社会に根付いています。就職活動においても、最終的に合否を決める面接官は中高年男性であることがほとんどですから、否応なしにその見た目の規範に従わなければなりません。

例えば、就職活動の髪型やメイクは、業界にもよりますが、中高年男性が好むようなスタイル(男性の髪型は短髪、女性のメイクは控え目にすること)が求められ、あまり自分を自由に表現できません。元々自分の容姿にあまり関心や拘りのない人であれば難なくその暗黙ルールに対応していけると思うのですが、皆がそうではありません(私もです)。

就職活動独自の見た目ルールに則り自分の「好き」を封印し続け、個性を抑え続けることになります。これは自分のファッションや容姿に関心のある人にとっては大変なストレスになるのではないかと思います。

結局、私も例外なく、自分の「好き」に蓋をして、黒髪短髪にして周囲から浮かないようなリクルートスーツや鞄を身に付け就職活動を何とか終えました。ただ、その見た目に関しての規範は社会人になってからも続きました。

私は社会人になり、就職活動の時よりは若干、自由の幅は広がったものの、女性は私服出社が許されていましたが、男性の場合はスーツに白シャツ、ネクタイ、革靴というスタイルから外れないことはもちろんのこと、髪型も黒髪・短髪が求められる空気でした。スーツやシャツはある程度、自由を持たせることが出来ましたが、髪型に関しては(多くの会社がそうだと思いますが)そう自由にはできませんでした。

当時、自分としては出来る限り自分の好きな服を選び好きな髪型にしているつもりでしたが、それも他人から咎められない範囲、会社員としてはみ出しすぎない範囲にと、制限をかけていました。服装だけならまだしも髪型は休日でも変えることができないので、一年中、自分の「好き」な気持ちに蓋をして生きなければなりません。

中途半端に他人を意識した弱腰の選択は常にビクビクした姿勢につながります。常に「自分はどう思われているのだろうか」「枠からはみ出ていないだろうか」といった心境につながるからです。こういったフラストレーションは一つ一つは小さなものに感じても、徐々に自分の潜在意識に溜められ膨らんでいきます。私は仕事そのものは好きなはずなのに毎朝、漠然としたフラストレーションを感じており、それに起因してか、些細なことで家族や職場の人と言い争いが絶えませんでした。

当時はその原因が分からずにいましたが、今思えば、心から好きな自分の見た目でいなかったことがストレスの主な発生源だったと思います。


そうした中、入社して3年経った後の年明け、中学以来の友人と初詣で明治神宮を訪れた私は、そこで引いたおみくじでこれまでとは違う人生を歩むきっかけを得ました。そのおみくじにはこう書いてありました。

「むらぎもの心にとひてはぢざらば よの人言はいかにありとも」

「自分の良心にきいてみて、少しも恥ずるところがなければ、
世間の人は何と言おうと、動揺することはありません」

そしてその末尾には太字でこうも書き加えられていました。

「自信を強く持つこと」

それを読んだ私の頭に浮かんだのは、自分の見た目に関してでした。今まで、どこか他人の目を気にして中途半端にしか自分の好きな姿をしてこなかったけれども、

「一度自分が心から満足するまで好きな格好をしてみよう。ここでやらなかったら、一生、好きな自分になれない」

そう思いました。

ただ、今まで自分の好きな格好ができない環境で自分の心をコントロールするために、自分の心をあえて鈍感にし、自分の心身の発する声に耳を傾けないようにする癖がついてしまっていました。

現状の自分の姿が理想ではないことは分かっているけれど、自分がどういう見た目になりたいのかわからなくなっていたのです。そこで、雑誌やインターネット等で色々な有名人の画像を検索しまくり、自分が「こうなりたい」と感じる容姿の画像を集めました。そしてその画像の共通点を見つけ、自分の「好き」の本質は何なのか、探求しました。

そこで行き着いたのが、「金髪のロングヘア」でした。
元々、私の髪は黒々としていて且つ剛毛多毛で、短くすると髪が跳ね上がり、黒い塊のようになってしまいました。小学校の頃から、それを理由にからかわれた経験が数多くあり、就職活動においても、インターンシップで対応を受けた社員の人に髪のことをからかわれた経験もあります。そうした経験から、明るくて柔らかい髪、ロングヘアに憧れがあったのかもしれません。

今まで金髪など、考えたこともなかったし、会社員が金髪など許されるのかといった不安もありました。

ただ、「今ここで自分の欲求に従わないと、恐らく死ぬまで好きな格好が出来ないのではないか」と思い、実行してみたのです。

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