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Pay money To my Pain“SUNRISE TO SUNSET”鑑賞記録①世界一リスナーの人生に寄り添ったバンド~初鑑賞直前までの過程~

1.前置きと記述の順序

自分の人生に大きく影響を与えてくれた、最も敬愛するバンド・Pay money To my Pain(以下、PTPと略称)の活動を収めた映像作品“SUNRISE TO SUNSET”が、2023年11月17日・新宿バルト9をはじめとする全国主要都市で映画館で放映という形で始まった。

これを綴っている11月28日現在は公開から10日以上が経過している。この10日間、明らかに従来とは異質な感覚を伴って毎日を過ごしている。こんな感覚は人生でそう何度も味わえるものではないだろうと思うほどに。だからこの作品に纏わって自分のなかで駆け巡る想いを、やはりなるべくリアルタイムで記録しておきたいと思い至り筆を取っている。

従ってこれは映画のレビューとはつかない、エッセイ的なものだということを断っておく。これから綴っていくことはMitzkiという個人がこの映画・そしてPTPというバンドと過ごすことによって生まれた感情の記録という目的が主で、誰に向けたものでもない。見る人の殆どにとってはただの自語りでしかないと思う。

でもだからこそ伝わる何かもあるかもしれない、という願いもある。そこで、この感覚をなるべく鮮明に書き記すために、少し独特な形式を取る。自分がこの一週間で経験した感情の流れを順序に沿って複数の記事に分けて記していくことにする。

以下、今後の更新予定を先に記しておく。大きく三段階に分けての更新とする(予定を変更する可能性は大いにあり、また都度加筆修正をしていくものと思われる)。

①これまでのPTPと自分の人生の歩みと鑑賞直前の空気(今回の記事)
②SUNRISE TO SUNSETネタバレなしの未聴の方に向けてのプレゼン
③SUNRISE TO SUNSETネタバレありの感想(京都舞台挨拶回の記録含む)
④その後複数回鑑賞していった上での感想

というわけで本日は初回の更新。自分の人生とPTPがどう関わってきたかの大まかな振り返りから、映画初回鑑賞(公開初日・TJOY大阪夕方の部)その開始前までの空気を記したい。

この過程を辿ってもらうことでPTPというバンドがどれだけリスナーの人生に寄り添うものだったかが伝わると嬉しい、そしてそれは自分だけでなく全てのリスナーが同じ濃度で経験しているものだと信じている。

2.自分が生き延びるうえで希望の光だった、人の純粋な繋がりの象徴だったKというボーカリストとPTPというバンド

誰にとってもそれぞれの人生に影響した音楽というのがあると思うけど、PTPは世界のどのバンドよりそれぞれの人生に強く影響していたと思う。

・自分がPTPを知ったきっかけ

自分がPTPというバンドに出会ったのは2009年頃。ものすごく幸運なことだ。自分は10代の終わり頃で、精神的疾患で高校を中退して先行きを見失っていた頃だった。音楽だけが心の拠り所で、それでもこうしたナイーブな状態の自分にマッチするような真摯な表現(綺麗事なく痛みにスポットを当てている)バンドがあまり居ないように感じていた。

DIR EN GREYや凛として時雨、洋楽ではSigur RosやTOOLといったバンドが支えだったが、他にそれぐらいの濃度で音楽をやっているバンドは居ないものかと意図的に探し回った時に出会ったのがPay money To my Painであり、Kというボーカリストだった。

タトゥーまみれで鍛え上げられた身体にコワモテの表情(その後どんどん綺麗な瞳の優しい顔立ちという印象に変わっていくのだが)、にも関わらず歌われてる内容の繊細さ、MCやインタビューなどでの真摯な語り口にあっという間に魅了された。

K自身うつと戦いながらそれを曲という形にありのままに変換しながら歌って生きていて、その姿が見る者にとっての勇気にもなっていたのは言うまでもないと思う。それだけこんなピュアな人がいて良いのか、と思うほど常に丸裸な表現をしていた。

しかもKはアメリカに住んでいて、遠距離バンドという形容では済まないほどのハードルにも関わらず、Kがボーカルでないといけないという必然が表れたその活動形態も魅力的だった。自分がバンドいうもの、ひいては人生というものに求める「代わりなんていない、その人でなければいけない必然」という究極の繋がりを体現していたからだ。

・Remember the name/STAY REAL TOUR映像に感化され、ライブへ参加

実を言うと表面的なサウンドだけで言えば、PTPは自分のど真ん中の音楽性ではなかった。音の好みだけで言えば他にもっと好きなバンドがいたりする。実際、最初に知った時はファーストアルバム“Another day comes”の表題曲が自分の中でクリーンヒットしたけど、以降に続くハードな曲はカッコいいとは感じつつもグッとはこなかった。

当時PTPは「日本人離れした、海外基準に引けを取らない本格派」という部分が持ち上げられていて、それに関しては実際全力で同意なのだけど、「海外基準が魅力というなら、その比較対象になっている元の音楽を聴こう」という感覚だったので、PTPならではの何かというのは当時まだ理解が及んでいなかった(後年、もちろん初期作品も大好きになる)。

自分が本格的にPTPに入れ込むきっかけになったのはPicturesというオープンマインドな楽曲、そしてその流れを汲んだ“Remember the name”という懐の広さが表れたアルバムのタイミングだった。

DIR EN GREYを長年取り扱っている音楽ライターの増田勇一さんが「この音楽を選ばない世の中なら、いっそ捨ててしまいたい」とまで書いていて、ライターさんがそのような書き方をするということは相当異例なことだと思って購入を決めた(忘れもしないDIR EN GREY“LOUTS”と同じ2011年1月26日リリース)。

Remember the nameで聴ける様々な曲調、それまで以上に存分に味わえるKの情感豊かなクリーンボーカルの魅力に、はじめてPTPにカラフルな印象が感じられた。そして何より、初回盤DVDに収録された“STAY REAL TOUR”の映像にPTPが他のラウドなバンドと明らかに違う魅力が集約されていた。

STAY REAL=ありのままの自分でいてくれ、というメッセージを約10分近くかけて話すKの真摯な姿。その瞳の繊細さと美しさ。自分の弱さを隠さない強さ。「こんなアーティストに、こんな人に出会いたかったんだ」と気付かされた。このSTAY REAL TOURのMCがその後の自分の人生を支え続けていくことになる。

うつで頭がおかしくなりそうな夜はこのDVDを見ることで涙を流して落ち着けた、御守りという言葉を辞書に書くならこの状況を例にして欲しい。そしてそのMC~Another day comesのライブアクトを見て以降、PTPのそれまで聴いていた曲全てが違った深い意味合いを持つように自分の中で化けた。

3.Kが生きてる間のリアルタイムで活動を追えた幸福、そして別れの悲しみ

・結果的に少しの間だけど、PTPのライブを追いかけられた日々Remember the nameの曲を披露する“JOR RIDE TOUR”心斎橋クアトロ公演が初めてのライブ参加になった。しかしそれは東日本大震災が起きた翌日のことだった。世の中正確な情報もわからないまま、ただ明らかに皆が不安と恐怖と同時に楽しむことにイップスになっていたタイミング。

だが前半数曲を演奏し終えた段階でKは快活に叫んだ「生き残った俺たちが元気でなくてどうすんだよ!!色々思うことはあるだろうけど、まずは楽しもうぜ!」と。(その後、5月に被災地仙台で無料ライブを刊行したのも印象深い)

その頼もしさと、彼の人の胸中を慮る心意気は、音源や文面・そして映像から感じてきた人柄そのものだった。ライブで、その姿と声を直接浴びたことによって益々自分はKとPTPというバンドの唯一無二の魅力を確信した。

そこからPTPを追いかける日々が本格派していったけれど、それはどれも美しく眩しく、相変わらず根絶できないうつとの戦いの日々の大きな支えだった。

その極め付けは2012年1月8日に渋谷O-EASTで行われた“LIVE40”。なんと当時の持ち曲40曲すべてを一気に披露するという、3時間にも及ぶ総力戦的ライブ。

数少ないインスト2曲のうち1曲を1曲目で演奏しちゃうし(ボーカルの休みに使う選択肢もあったはず)、あろうことか“Black Sheep”という爆裂曲を早速かますという圧巻のスタート。にも関わらず最後までテンションがダレることのない、圧倒的なライブを繰り広げた。

LIVE40の時のK -Billboard JAPANより-


間違いなく人生で見たあらゆるライブの中でも未だにベストはあの日だ。このライブに立ち会えたことは人生の誇りだ。O-EASTのキャパでは明らかに足りないほど、PTPが好きな人で埋め尽くされた空間。

次から次へやまないモッシュの嵐。金髪ツーブロックのいかついけど、引き締まった体でしなやかに動き回るKのパフォーマンス、ライトに照らされた姿。全てを鮮明に思い出せる。

こんな風にPTPが伝説を残していく姿を追いかけていける。なんて幸せなことなんだろうと思った。今も同じ気持ちだが、10代の後半から20代のほとんどをうつとの戦いに費やして、誇れることなんてこの人生ほとんどなかった。

でもPTPをはじめとして見るべきライブを見ることだけは徹底できたことだけは心から誇らしい。ただ、こんな早くもその先が見られなくなるとはこの時思ってもみなかった。

・人生で初めてリアルタイムを追いかけた人の死、PTPが縁で繋がれた恋人とKとの別れの痛みを共有した日々

まさかLIVE40を見たその年の間中にこんなことになるなんて全く予想してなかった。ベスト盤リリースとそれに伴うツアーがKの体調不良でキャンセルということになった時も、心配ではあるけどいつか戻ってきてくれるだろうからゆっくり休んでほしいという気持ちだった。本当に二度とその姿が見られなくなるとは思ってなかった。

実感が伴わないのは実感したらつらいから本能的に避けているのか。元々アメリカに住んでた時代に知った存在だから、またしばらく遠くにいて見る機会がなくなったというような感覚で、この世にはまだいるんじゃないかと思いながら過ごしている節があった(それは多かれ少なかれ今もそのまま)。

ただ同時に勝手に自分の中では「これをただの悲しいことでなく、少しでもいい機会にしなければいけない」と捉えることにした。個人的な話をするとPTPと出会ってからうつで宙ぶらりんな生活を抜け出せずにいたけど、生活的リハビリを重ねて音楽の専門学校に通うことを進めていた時期でもあった。

もうPTPやKの存在に甘えられない以上、踏み出して自分はもう大丈夫だと言える人間になることが、PTPに救われてきた人間としてやるべきことに思えた。


(閉館前にZepp Tokyoの写真を取りに行った時のもの、お台場はPTP最後のライブのあの時と同じまさしく“Sun Forever”な色をしていた)

その過程でお互いにPTPが好きだった者同士で恋人ができた。一緒にSTAY REAL TOURの映像を見て同じ場面で泣きあった時、生まれて初めて丸裸な心を他者と共有できた気がした。

遠距離恋愛ではあったけど、彼女と色んなライブ見たり思い出共有しながら、そして個人的には専門学校できっちり学ぶことで2013年が進んでいった。こうした充実の時間が、PTPが決断した最後の活動「残されたアルバムのリリースとZepp Tokyoでの最後のライブの開催」へ向け覚悟を整わせてくれた。

・最後のアルバムgeneと最後のライブZepp Tokyo

とはいえ、geneを聴くのは相当難しかった。購入してから数週間、再生ボタンを押せなかった。何せこれを聴いたら最後、もう新しいKの声を聴く機会はおそらくない。それを噛み締められるような自身の状態、受け止める覚悟の強さ、そういう自分が整うまで聴けずにいた。

今からちょうど10年前、今と同じ11月のリリースだったから、肌感覚で色々と思い出せる。当時の胸中をリアルタイムで記したブログがあった。拙い文章だけど、当時の自分のリアルな感覚が書かれているので参考までに。

結果としてZepp Tokyoの数週間前にgeneを聴いた。おそるおそる聴き始めたそれは、前半の楽曲の怒涛の勢いと格好良さにノックアウトされた。なんてかっこいいんだ、PTPの音は、Kの声は。もちろん今まで以上に痛みが伴うリリックはナイーブな感傷を意識せざるを得ないが、それ以上に勢いと圧の強さに笑ってしまうほどだった。俺たちの追いかけてきたバンドは最高だぜって。

そして後半に向かうにつれ繊細な楽曲が増え、ゲストボーカルがバトンタッチしながら紡いでいくのだが、これがKの不在の事実と痛みと真正面から向き合いながらどこか前を見てる感覚になれたことがとても救いだった。皆、Kがもう居ないことの痛みから全く逃げてない。そしてその上で過去を受け入たり前を見ようとしている。それは自分がそれまでPTPに抱いてきた“綺麗事を言わない”スタンスの究極だった。

今聞き返してもMasatoの切なるエモーションと葉月の渾身のシャウトの“Resurrection”から何かモードが変わってくる感覚があって、だから“Innocent in a silent room”が苦しい歌だけど前を向くことを諦めてない歌に聴こえるし、JESSEのまさに友に語りかける慈愛のような“Illumination”と、このKの不在そのものを歌う“Voice”を引き受けたTakaの心意気と覚悟の強さに勇気もらえるからこそ、最後のKの声“Rain”をただ悲しいだけに終わらずに向き合うことできる。

自分のなかでしっかり覚悟を整えて、Zepp Tokyo当日に向かっていくことができた。だから当日、Kの声を同期で流しながら演奏するメンバーのつらい胸中も痛いほど伝わりながら、そうしてでもこのライブを実行した覚悟とその意図を真正面から受け止めることができたと自負している。

(Zepp Tokyoが閉館する直前、2021年12月撮影)

そしてMCがはじまってPABLOが活動休止宣言をすることも、T$UYO$HIが「こっからは3人で演奏するから皆も力を貸してくれ」と言うだろうことも烏滸がましいけど予想がついていた。だって、PTPはずっとそういうバンドだったから。

そしてこんなバンドをやることにおいて究極につらい状況にあっても、一番嘘のない選択をすると信じてたから。KがいないPTPはPTPじゃない、という繋がりの必然性を、ずっと行動で示してきたバンドは最後までそれを示した。

だから自分個人は、Zepp Tokyoに関しては悲しみ以上に勇気をもらった感覚だったりする。自分がPTPに見出してきた人生の希望みたいなもの、それをしっかり言語化するなら「こんな風に美しい純度の繋がりは世の中に存在する」と示してくれたこと。そしてそれをそのまま音楽やライブで表現してくれたこと。

こんなバンドは世界見渡しても他に居なくて、最後までそれをやり遂げてくれた尊さ。音楽や人生の醍醐味の権化であり、決して喜べるものではないけど、この2013年12月30日の数時間はそんな美しさの象徴でもあった。そしてその美しさはその後も続く。

・PTPから受け継いだものを形にしたいという人生の目標

翌年PABLOがPTPで使用していた自身のモデル“RED DEVIL”の販売デモストレーションを心斎橋の楽器屋で行った。正直PTPの活動に区切りを打ってまだ2ヶ月ほどで、正直思い出す時間を減らしたい状況だろう。にも関わらず「ファンからのリクエストコーナー」でオーダーされるPTPの楽曲のフレーズを目一杯弾いてくれる。

その姿勢に泣かずにはいられなかった。PTPとして残ったものを受け止める後の世代が、それを活かして何かになってくれるという願いもあったのかもしれないと捉えてる(geneというアルバムのコンセプトしかり)。

何者でもないどころか、自分の生活もままらないような状況にいた当時の自分だけど、いつか絶対PTPから受け継いただものを何かの形にすることが、より人生の目標として固いものになった。

Zepp Tokyoのすぐ後に渋谷Subcietyで、Kプロデュースアパレルブランドninemicrophonesのパーカーを購入したのも、その気持ちを自分に示すためのニュアンスがあった。

4.Zepp Tokyoから10年、変われた自分が“SUNRISE TO SUNSET”であの頃へ向き合う

・回り道と苦悩を重ねながらも、10年かけて辿り着いた在りたい自分

PTPの活動の最後を見届けられたことが大きく人生に作用し続けている。あの純粋な美しさに救われてきた身として何か形にしたい、という想いの強さは悪い方に空回りしたことあった。けれどどんな辛い夜もその夢を叶えないうちは死ねない、という支えにもなっていた。

バンドを本気でやりたくて、歌練習して良い曲つくって、でもメンバーに出会えず始めることもできなかった20代。ようやくメンバーが集まり、ライブができるかと思えばコロナで中止になりメンバーはやめていった。29歳になり年齢的に最後の挑戦かと思っていたバンド、そしてそれ以外の生活も全てコロナでたち行かなくなった。

全てを失って開き直りができた自分は、約30年生きてきた関西から離れ福岡県でまた0から人生を始めることにした。もっと根源的な幸せを感じられるようになり、あらゆる意味で別人のような自分が出来上がった。そしてそんな自分が根源的にやりたいことは一周して結局音楽だった。

だから福岡でバンドでなく1人で活動を立ち上げた。覚悟を持って取り組み始めたら、それまでの30年が嘘みたいに素晴らしい出会いの数々が重なっていき、自分が長年夢見てきた理想的な音楽活動を実現させられている。

そしてその過程でKがアメリカに住んでいた頃友人だった人とも繋がるという奇跡が発生した。彼が旅立って10年も経って、そんなことが起きるなんて誰が予想できたか。「生きていればいいことあんぜ」って言われた気分だ。

・活動停止から10年というタイミングで届けられる“SUNRISE TO SUNSET”という巡り合わせ

10年という長い月日。自分は間違いなく何か一巡した感覚があったし、あの頃PTPを愛した人たち皆それぞれにそれぞれのドラマがあっただろう。映画という形でPTPが見られるという発表があった時「これは間違いなく、自分がPTPに抱いていたあの美しさを再び感じられる時間になるだろう」と思った。

と同時に「多分きっとこれが最後になるのではないか」とも思った。そして、Kの不在ということに今一度向き合って、その上で前を進めるのかが問われる時間になると。それくらいにこの映画に詰まっているものの重さ・実直さは予告編から感じていた。そしてZAXがこう発言するのもなんとなく予想していた通りだった。

自分は公開2日目の京都舞台挨拶回にありがたくも当選できた。けど、メンバーが揃って想いを聴かせてくれるその姿を見る前に、まず先に本編見ておかないと気持ちが追いつかないと感じたので、公開初日の夜の分を大阪で鑑賞することにした。

前売り券の引き換えで席を予約しに放映の1時間前に到着。席は8割以上埋まっていた(やむを得ず前から2列目で見たのだが、これライブの臨場感で没入できるのでめちゃくちゃおすすめ)。グッズは完売、なんとかパンフレットは確保できた。この状況が皆の熱を物語っていてとても嬉しかったし、何よりPTPのライブ会場に来た気分になっていた。

パンフレットを無事購入、内容の濃さに驚かされる

放映開始にはまだまだ時間があるのに気づけばTJOY大阪のフロアはPTPのグッズを身につけた人で埋め尽くされていた。「久しぶり」と声を掛け合う人もいたが、基本的には自分と同じく1人で来た人が多いようだ。みんな同じ想いでここに集まってるという事実が胸を打つ。

だってこんなことは基本的にもう起こり得ないはずだった。PTPがライブをやらない以上、あの頃ライブハウスで集まっていた人たちが同じ目的で同じものを目指して集まる機会は実現しようがなかった。茂木監督が映画で公開という形の理由について「皆がもう一度集まれる場所を作りたかったのがひとつ」と仰っていたが、その純粋な願いが見事に結実していた。

さらに言えば、集まった人たちは年齢層も様々だったけど、やはり同世代(アラサー)か少し上が多かった。おそらく当時を知る人たちで、その時はキッズだった人たちが10年も経てばサラリーマンやOLでいえばキャリアが整ってくる世代で、だけど今この瞬間は皆あの頃の自分に立ち返ってるのではないかと思った。

公開初日の様子についてInstagramストーリーで書いたもの

ライブが始まる前のソワソワ、そしてこれに関しては「もうこの場が最後かもしれない」という覚悟でいうと、まさにあのZepp Tokyoの時と同じような空気だった。始まって欲しいけど、始まってほしくない。誰もが皆あの頃に自分が感じたような気持ちに、あの頃の自分に向き合いながらその時に臨もうとしている。それだけPTPが誰もにとって、その人生に大きく寄り添った存在という証に思えた。

やがて開演のアナウンスが鳴る。フロア中にいたPTP babyzが列をなし、シアターに向けての入り口に吸い込まれ消えていく。それはまるで今から始まるタイムスリップに向けてタイムマシンに乗り込んでいくようで、自分は全員が消えるのに見とれて、最後に入った。そして映画の冒頭の演出はこの喩えそのままを具現化してくれていた。涙が流れるのに10秒も必要なかった。

・次回更新内容

これが、映画が始まる直前までの自分が感じたことの推移。第二回は映画本編についてのネタバレなしで、PTPのことを全く知らない人に向けてのプレゼン的な内容です


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