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壁を乗り越えるための思考法。一定の成果を生む“比較思考”と、限界突破について


ここ数回、大切なもの、幸せや価値観について話しています。前回のnoteでこんなお話をしました。

例えば、何かを欲しいと思ったとき、それが「have to」なのか、「want to」 なのかを自分に問いかける。

have to(しなければいけない)と感じているようなら、それは第三者の影響や誰かの価値観で「大切」を押し付けられている可能性があります。
want to(したい)であれば、自分の欲求ということになりますが、純粋な自発的欲求かどうかを判断する価値基準がすでに狂わされている可能性もあります。

本質的に「have to」か「want to」を吟味することで、そのもの・こととの関係性において、「主体がどこにあるのか?」が見えてくるはずです。

「自分が本当に大切にしていること」は案外見えづらく、
第三者につくられたものかもしれないという話

誰かや何かとの比較が人々を苦しめている

体型や身長、年収や車、時計、身につける物、持ち物・・・・・・
自分なりの軸を持って選んでいれば問題ないものでも、“比較”をし始めると、主体が自分ではなくなってしまいます。

世の中で生じている価値観の歪みのほとんどは、誰かや何かと比べることから起きていると私は思っています。

そしてこの“比較”が、多くの人を悩ませ、苦しめています。

比較が有効な場合もある

「だから、誰かや何かと比べるのはやめよう! 比較をやめて、自分の思考や感覚だけを頼りに生きていこう!」

こういうメッセージは多いのですが、これにはちょっと注釈が必要です。

比較自体が悪なのかというと、比較をすることによって生まれるモチベーションや成長の機会は確実にあります。

私の例でいえば、Jリーガ-になる前までの私は完全に「他者との比較」をモチベーションに成長をしていました。

身近なお手本、自分より少しうまい人と自分を比較して、その差を埋めるために努力する。他人と比べる必要がないほどの異才、圧倒的な何かを持っていれば別なのかもしれませんが、まぁまぁな才能しか持ち合わせていない多くの人は、相対的な比較なしには自分の実力がどれくらいかを把握することができません。

自分と他人を比較することで自分の立ち位置を知り、他人との差を知ることで、それを埋め、もう一つ上の段階に行く努力の仕方にたどり着くのです。

「自分発の比較」は内発的動機づけになる

近年のスポーツ指導では、「他者との比較ではなく、過去の自分との比較で評価してあげてください」というのがスタンダードになっています。これはもちろん正しくて、コーチや親、周囲の大人が「○○くんと比べてあれができない、これができていない」と言ってしまうと、かえって子どものやる気を削ぐことになり、成長の芽をつむことになります。

私が言っているのは、「自分発の比較」です。
これも最近よくいわれている内発的動機づけにつながり、「アイツよりうまくなってやる」だったり「あの人みたいにプレーしたい」という目標とそこに向かうモチベーションになってくれるのです。

と、えらそうに言いましたが、絶賛子育て中の身としては、理想、理論通りにいかないことだらけなことを実感しまくっています。

お団子サッカーからポツンと1人離れて、フリーのポジション二ングをとり続けるわが子

たしかにいいポジショニングではあるのですが、練習中はずっとボールには触れず。この段階ではもっと積極的にボールに向かってプレーした方がいいのでは? いやでもポジショニングは大事だし間違っていない・・・・・・うーむ・・・・・・。

経営判断の方が百倍簡単です。。。

比較からの成長には限界がある

話を元に戻しましょう。笑

「比較も悪くない」
それもまた真実なのですが、私が経験した「その先」は、もう少し複雑でした。

身近なライバル、目標の例でお話したように“比較”は自己分析にもつながるとてもロジカルな行為です。

あの子はアレができるけど、自分はできない。
だから、アレができるようになるために、こんな練習をする。

比較をすると、論理的に努力する道筋が見えます。
さらに、

その練習をした結果、「できるようになる」or「できない」

と、うまくいった・いかなかったの結果も明確に出ます

ある程度のところまではこれでいいのです。
しかし、Jリーガーになった私を待っていたのは、
努力や練習ではどうにもならない壁だったのです。

壁を乗り越えられなかったときに襲う精神的ダメージ

これは実は誰にでも起こり得ることで、溢れんばかりの才能があったとしても、いずれ必ず体力的な限界がやってきます

他者との比較が効果的なのは、この壁にぶち当たるまで、つまり、自分でつくった目標=壁を乗り越えられている間だけなのです。

私が“比較”による価値観が多くの人を悩ませ、苦しめているというのは、ここに理由があります。

目に見える成長ができているうちは“比較思考”の価値観でも大丈夫でしょう。でも年齢を重ね、解決すべき課題の難度がどんどん上がり、乗り越えられない壁に行き当たったとき、これを乗り越えられなかったときにどうなるのか? “比較思考”のままでいくと、「乗り越えられなかった自分」の精神的なダメージがあまりにも大きく、そこから一歩も進めなくなってしまうのです。

壁にぶち当たったときに成長するためには

そこで問われるのは、“比較思考”の価値観をいかにうまく手放し、判断や決断の主体を「自分」にシフトさせていけるかです。

私が「手放すこと」が成長の大きなきっかけになるとずっと言っているのは、成長が止まり壁にぶち当たったときこそが、“比較主義”から脱却するタイミングであり、チャンスだからです。

他者との比較で苦しんでいる人は、自分がなぜ苦しんでいるのか気づいていない人がほとんどです。
自分は他者を羨んだり、比べているという意識はなく、誰かのつくった価値観で生きている自覚もありません
ロジカルに考えて成長できる手段を必死に探し、努力をしている真面目な人だともいえます。

一定のところまではそれが自分を成長させてくれます。でも、あと一歩、もう一段上にブレイクスルーを果たすためには、「have to」から「want to」、相対から絶対、比較思考から自分軸への転換が必要だと思うのです。

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