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「自分が本当に大切にしていること」は案外見えづらく、第三者につくられたものかもしれないという話

前回は「人生で一番大切なこと」について、私なりに感じていること、会社を経営するうえで「大切なことやもの」がどう影響しているかをお話ししました。


「大切」の棚卸しをする

‟もの”にしても‟こと”にしても「人生でいちばん」と言われると、それなりに重大に受け止めて考えるので、即答できない人がほとんどです。

普段から大切なもの・ことの「棚卸し」をしておくと、自分の人生の軸がしっかりしてきます。

スマホを見ても、テレビを見ても、誰かと話しても、電車に乗っていても、道を歩いても、世の中は本当に自分が欲しいものを見失わせるような情報にあふれています。

第三者の価値感に左右されていないか?

ビジネスにおいて、マーケティングはとても重要ですが、裏を返せば世の中の発信のほとんどは、誰かの思惑、マーケティングの都合でなされていると思ったほうがよさそうです。
かくいう私も、世の中の「あたりまえ」「常識」「普通の感覚」に惑わされ、「自分の大切」を見失っていた時期がありました。

具体的には、
「車や家、物を買うこと、所有することが大切で、その物は高ければ高いほど価値がある」
「時計やカバン、服など自分が身に着けるものは、価格に比例して価値が高い」
まぁ物欲に支配されていたともいえるのですが、自分が欲しいとか、大切だという以前に、世間で価値があると言われている、所有することで羨望のまなざしで見てもらえるなどの‟第三者の価値観で測った価値”でそれに価値かがあるかどうか、大切かどうかを判断していたのです。

世の中に惑わされないトレーニングとは?

世の中は基本的にこうした基準で価値を判断するように仕向けようとしてきます。私は今でも少し油断するとそっちに流されてしまうのですが、そんなときは「自分の大切」に立ち返れるように意識的にトレーニングをしています。

例えば、何かを欲しいと思ったとき、
それが「have to」なのか、「want to」 なのかを自分に問いかける。

have to(しなければいけない)と感じているようなら、それは第三者の影響や誰かの価値観「大切」を押し付けられている可能性があります。

want to(したい)であれば、自分の欲求ということになりますが、純粋な自発的欲求かどうかを判断する価値基準がすでに狂わされている可能性もあります。

本質的に「have to」か「want to」を吟味することで、そのもの・こととの関係性において、「主体がどこにあるのか?」が見えてくるはずです。

企業はひたすら売り上げだけを追求すべきなのか?

企業経営やビジネスでも同じことが言えます。

「企業は売り上げや利益だけをひたすら追求すべきだ」
「すべてのビジネスパーソンは必ず成長しないといけない」
ある意味ではひとつの真実ですが、それを全面的に受け入れて思考停止するのではなく、「企業の売り上げはなぜ必要なのだろう?」「利益を追求し、期末ごとに際限なく成長させる意味とは?」と自分の中で反証できないか検討することが重要です。

経営でも自分の業績を上げる、出世するでもとにかく自分が入り込んでそこに集中しているときには「何が本当に大切か」に気づくことは難しいでしょう。

無意識から意識へ

無意識に受け入れ、信じていたことに気づくためには、意識的に自分を客観視することが大切です。私はよく「無意識から意識へ」と言うのですが、幼少期からそう信じ込まされてきたこと、「18歳までに身につけた偏見のコレクション」から離れることで、本当に自分が大切にしたいこと、本当は大切にしてきたことに気づくことができるのです。

繰り返しますが、私たちは生まれた時から「誰かの価値観」に誘導され、それが自分の価値観だと信じ込んでしまっている節があります。

意識的に「have to」か「want to」かで物事を判断し、定期的に自分が大切にしていること・ものを見つめ直すことを習慣化できれば、自分が本当に大切にしたいことにフォーカスできるはずです。

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