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なぜ今「読解力」を伸ばす必要があるのか?―『読解力』を伸ばす魔法の言葉~日本人が大切にしてきた「言霊の本質」を探る~―(中編)

こんにちは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


その一環として、
小学校教諭として学校現場では、
「和の心」を軸に、喜びあふれる豊かな学級集団を作り上げるために、
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を目指して
日々奮闘しています。


前回から、

『読解力』を伸ばす魔法の言葉

という主題でお話をしていきます。


今回は、
なぜ今「読解力」を伸ばす必要があるのか?
についてお話していきます。







1)我が国の「読解力」ってどのくらいなの?




ところで、

日本の子どもたちの読解力は、
他国と比べて高いのか、低いのか、
いったいどちらなのか、考えたことがありますか。

「OECD」(経済協力開発機構)が進めている
「PISA(Programme for International Student Assessment)/学習到達度調査」と呼ばれる国際的な学習到達度テストがあります。

わが国も、これに参加しています。

この「PISA」では、
15歳児を対象に、
読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三分野について、
3年ごとに本調査を実施しています。

そして、その調査が昨年の2022年に行われました。

では、その結果は、どうだったと思いますか?




前回の調査から
「日本の読解力の低下」が取り沙汰されていましたが、

日本の読解力は、15位。


お世辞にも、芳しい結果とは言えませんね。

しかし、
結果をよく見てみると、
11位のスウェーデンから20位のドイツまでは、
平均点数にほとんど差はなく、
順位だけ見ただけで一概に日本の読解力が落ちたかとは
言えない面もあります。

また、
「PISA」で出題される問題は、
通常の学校の問題とは異なるため、
被験者である子供たちが「問い方に慣れていなかった」
という事実も差し引いて考えなければならないでしょう。

そもそも、
日本の子どもたちの読解力は「下がった」のでしょうか。

「下がった」というくらいですから、
もともとは「高かった」と言えますよね?




実は、
「日本の子どもたちの読解力はもともと低い」ということが
エビデンスとして裏付けるデータが発表されたのです。

国立情報学研究所社会共有知研究センター長・教授であり、
AI研究で有名な数学者である新井紀子さんが
全国の2万5000人もの中高生を対象に、
「読解力調査」を実施し、その結果や分析をまとめた著書

『AI vs 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新聞)
2018年に出版されました。

新井さんによると、

「日本の中高生の多くが、中学校の教科書を正確に読めていないこと」

を明らかにしました。




全国2万5000人を対象に実施した『読解力』調査で分かったことは、
次のようなことです。



・中学校を卒業する段階で、約3割が(内容理解を伴わない)表層的な読解もできない。
・学力中位の高校でも、半数以上が内容理解を要する読解はできない。
・進学率100%の神学校でも、内容理解を要する読解問題の正答率は50パーセント強程度である。
・読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い。
・読解能力値は中学生の間は平均的には向上する。
・読解能力値は高校では向上していない。
・貧困は読解能力値にマイナスの影響を与えている可能性が高い。
・通塾の有無と読解能力値は無関係。
・読書の好き嫌い、科目の得意不得意、一日のスマートフォン利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力に相関はない。

これが、何を意味するのか、社会全体で真摯に考えないといけません。



ここまでが引用です。
つまり、短期的には、読解力が「下がった」のではなく、
もともと低かったのが表面化しただけなのです。



2)なぜ我が国の「読解力」は低いのか?




では、日本の子どもたちの読解力はなぜ低いのでしょうか?


1つの要因は、

「学校で読解の方法を教えていないから」


です。


これは、数十年以上前からそうで、
「最近になって読解を教えなくなった」ということではありません。


もう1つは、

「勉強に対する意欲を喪失している子が増えているから」


です。

特に、
ここ10年は、その傾向が強まっています。
国の統計で出ているように直接的な原因は、ゲームとスマホです。

子どもたちがなぜゲームやスマホにばかり目を向けるのかと言えば、
「学校で教えられる勉強があまりにもつまらなすぎるから」でしょう。

つまり、
子どもたちを取り巻く「勉強以外の楽しみ」が急増したことで、
相対的に勉強に向かう時間が減ったというのが本来の原因と考えます。

そもそも、
勉強は、「量より質」で結果が左右されるものです。

「勉強は気合、根性、努力が大切で、量が重要」と思っているしたら、
かなり時代遅れの発想と言わざるを得ません。

勉強は、「質=理解」がはじめにあり、
量はその後ということを勉強ができる子たちは知っています。

しかし、
質的な「学び」を知らない教育者が、教育現場に少ないため、
「読解力」がないのは子供の問題と勘違いされることもあります。

だから、
「ゲームをする時間を減らそう」などと論点をずらした議論に終始するのではなく、学校で展開される授業をより魅力的にしたり、質的に優れたものに改善したりすれば、子どもたちの読解力をもっと養うことが可能なのです。



3)なぜ今「読解力」を伸ばすことが大切なのか?




実は、
教育界もこのままではいけないと、
2020年に教育の大改革が行われました。

教育界のこの変革を
「明治維新以来150年ぶりの大改革」と表現する人もいます。

では、
いったいなにが変わったのかというと、大きく2つあります。

1つが、
日本の学校境域の大黒柱ともいえる「学習指導要領」の内容が
これまでになく大きく改定されること。

もう1つが、「大学入試センター試験」が廃止され、
「大学入学共通テスト」という新しい試験に切り替わることです。

そもそも「学習指導要領」は、
全国のどこの学校でも一定水準が保てるように、
文部科学省が定めているカリキュラムの基準のこと。

これまでも約10年に1度、改訂されてきました。

それは、社会全体が変化していくからです。

学校とは、社会と切り離された存在ではなく、社会の中にあります。
グローバル化や急速な情報化、技術革新など社会の変化に沿って、
「子供たちがこれから生きていくのに必要な資質や能力」について、
見直しを定期的に重ねてきました。

例えば、
1989年の改訂には、
「生活科」が小学校1・2年で導入されたり、
高校の「家庭科」が男女ともに必修になったりしました。

2008年の改訂では、
「外国語活動」が小学校5・6年で導入されました。

では、2020年では、何がどのように変わったのでしょうか。

これまでの教育では、
「唯一の、同じ正解」を出すため、
たくさんの子どもたちが必死に答えを探していました。

しかし、
これからは、
「人と異なる見方や考え方の方が重要である」という
真逆の方に舵を切ったのです。

表面的には大きく変わった学習指導要領ですが、
その根幹には、「読解力」があるのです。

意味が理解できなければ、
そもそも考えることや思うこともままなりません。

どんなに素晴らしい改革がなされても、
読解力がおぼつかない子にとっては、
「点数がとれない」「勉強に興味が持てない」という状況は続きます。

例えば、
大きく変わったものとして「ICT教育」で
全国の小中学校にタブレット端末が導入されました。

しかし、
パソコンにいくら慣れ親しんで、手早く扱えるようになったとしても、
「動画ばかり見ている」というこの場合、動画の内容にもよりますが、
学びへの意欲が高まり、学力が向上するかどうかは、疑問です。

だからこそ、
今の時代には、読解力を伸ばすことが欠かせないのです。




2009年。
イギリスのロンドンで250人以上の研究者や専門家、
医師によって構成される国際団体ATC21S(Assessmennt & Teaching of 21st Century Skills)が発足しました。

この団体は、
4つの領域の10種類のスキルを「21世紀型スキル」として
定義しています。

それらは、
ICT技術の発展や、
グローバル化の進む21世紀以降の社会で活躍するために必要なスキルです。




このような流れを受けて、
2013年に日本の国立教育政策研究所が「21世紀能力」を定義し、
文部科学省が提唱する「生きる力」をはぐくむための
具体的な方向性の一つと定められました。

この「21世紀型能力」は、
日本の「学習指導要領」の理念である「生きる力」の獲得を
目的としています。

「基礎力」「思考力」「実践力」の
3層からなっているのが大きな特徴です。

具体的な内容はこの通りです。

では、なぜ「21世紀型のスキル」が必要なのでしょう?

2011年、アメリカのデューク大学のデビッドソン教授は、
「将来、子どもたちの65%は今はない職業に就くだろう」
と発言しました。

つまり、
未来になればなるほど、
現在ではとうてい考えられないような仕事が生まれると
予測されているのです。

このように変化する世界に対応するために必要とされているのが
21世紀型スキルであり、今はまだ存在しない職業への準備であり、
情報化によってうまれる新しい職業に適した教育が必要です。

この「21世紀型能力」は、
基礎力・思考力・実践力の3層構造になっています。

そして、何よりも欠かせないのが、「基礎力」です。

日本は、
江戸時代から「読み書き」「計算力」といった
基本的な学力を身に着けることが、学校教育の役割の一つでしたが、
それは時代がどんなに変化しても変わらない普遍的なものです。

大きく変わるのは、「思考力」の部分でしょう。

そして、その思考力の中核は『読解力』です。

そこに、「情報を使いこなすツール」として、
小中学校では、「タブレットを使った学習」が加わるということです。

このような時代の変革期には、
『読解力』を高めることの必要性が大きく増しているのです。



では、
どのようにして、『読解力』を高めればよいのでしょうか。


次回の記事でお話していきます。



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『学び』って

もともと
「なんか気になる」
「なんか面白そう」 という
知的好奇心を満たしたり、
知る楽しさを満たしたりするもので

テストでいい点を取るためでも
試験に受かるためのものでもない。

そんな何かに「没頭できる」体験を
学校でできるようにしたいと考えています。


僕は、こう思います。

学校教育の役割は、
みんな同じように能力を高め、平均点を上げることではない。

それぞれに個としての能力を高め、
自分の持ち味を自覚し、
社会の中で自分をうまく活かせる場所を見つける力を養うことだと。


極端だけど本質的なこと。

『学び』とは、知識を得ることではない。

『学び』とは、「学ぶことの意味」を知るということ。


本当に教員がやるべきことは、
「学ぶことの意味」を子供が実感できるようにすること。

これさえおさえておけば、
「勉強しろ」と言わなくても
勝手に子供自ら学び始める。


『一隅を照らす これ即ち国宝なり』

私たちが小さな灯火として
周囲の一隅を照らす。

その灯火がたくさん集まって、
国家全体を明るく照らし、
将来への希望の灯りを点すことができるようになる。

大人が輝けば、子供も輝く。

今日も子供を信じて。

今日も自分を信じて。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。


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